(1971/ワリス・フセイン監督/マーク・レスター、トレイシー・ハイド、ジャック・ワイルド、シーラ・スティーフェル、ジェームズ・コシンズ、ロイ・キニア/106分)
前回に続いて、子供が主演の映画。今度は38年前の大ヒット作、「小さな恋のメロディ」であります。実はヒットしたのは日本だけで、本国イギリスでもアメリカでも、そんなに話題にはならなかったとの事です。ホントに日本人は可愛い子供の出る映画が好きなんですねぇ。
主演のマーク・レスターは、3年前のアカデミー作品賞受賞作「オリバー!」から人気は上がってきていたはずだけど、この映画で日本では爆発的な人気者に。可愛いトレイシー・ハイドも「明星」や「平凡」等のアイドル雑誌に出る程騒がれたし(注:本当に出ていたかどうかは未確認^^)、貧しくとも元気一杯の悪ガキを演じたジャック・ワイルドも人気者になりました。マークとジャックは既に「オリバー!」で共演済みでしたね。
因みに、3人は11歳のパブリック・スクール1年生を演じたんですが、ジャックは当時18歳だったそうです。
監督はこの映画以外になじみのないワリス・フセイン。名前からするとアラブ系のようですが、インド生まれだそうです。
脚本を書いたのが、その後監督に進出するアラン・パーカー。「ミッドナイト・エクスプレス (1978)」や「ミシシッピー・バーニング (1988)」など、社会派の問題作が多い印象ですが、監督デビュー作は、30年代の禁酒法下のニューヨークを舞台に、ギャング同士による抗争を描きながら、登場人物すべてが子供という「ダウンタウン物語 (1976)」でした。こちらは本国でもヒットしたそうです。
そして、プロデューサーがパーカーの友人のデビッド・パットナム。「ダウンタウン物語」、「ミッドナイト・エクスプレス」にも参加していて、その後の「炎のランナー(1981)」でアカデミー作品賞受賞、「キリング・フィールド(1984)」という名作も彼の製作でした。
さて、映画の話。
同じ学校に通う11歳の男の子と女の子が、ずっと一緒に居たいからと結婚式を挙げるという爽やかなコメディ・タッチの作品です。結婚式といっても、クラスメイトが神父代わりをした真似事のようなもので、又、日本のテレビドラマのように赤ん坊が出来るとかそんな生々しい話はありません。さりとて、少女漫画のように乙女チックでもない。
中流家庭の一人息子ダニエル(レスター)と、中の下クラスのやはり一人娘メロディ(ハイド)が、何度か学校の中で顔を合わせる内にダニエルが彼女を好きになり、やがてメロディもダニエルが好きになり、二人は学校を休んでデートをし、それを咎められ、それならばと結婚を約束する。
大人たちは、親も教師も子供をないがしろにするような存在として描かれています。コメディとして多少誇張されてはいますが、要するに、自分たちがかつて子供であったことを忘れてしまったような人間なんですね。ですから、徐々に子供たちの大人に対する不満が募っていく感じが伝わってくるし、終盤、結婚式を子供たちだけでやろうとする気持ちも、それを阻止しようとする先生達に対して子供たちの怒りが爆発するのも受け入れられる様に描かれています。
未見なんですが、ラストシーンのドタバタで、68年の異色の学園紛争もの「if もしも‥‥」を思い出しました。「小さな恋のメロディ」は、過激なあの作品に対する皮肉なのか、それともオマージュなのか・・・。
構成としては、ダニエルとメロディのそれぞれの生活をスケッチ風に平行して描いていき、後半で二人のエピソードを中心にしていくというもの。お互いを意識していく過程も学校の中でのすれ違いとか、視線の交わりとか、誰もが経験する甘酸っぱい初恋の時代を想起させるような描き方でした。学校生活のスケッチ風な描写はアラン・パーカーの「フェーム (1980)」も思い出しましたね。
ダニエルの前半は下流家庭のトム(ワイルド)と仲良しになるエピソードが主流。メロディの前半は女子のクラスメイトとのたわい無いお遊びが描かれる。メロデイの父親が保釈中であるような台詞もあり、母親に言われてメロディが街角のパブで飲んでいる父親にお金を貰いに行くシーンには、彼女の淋しげな境遇が察せられました。それにしても、露店の金魚を買うのに、親の洋服を勝手に持ち出すのはいかがなモンでしょうか^^
原題は【Melody】。ヒロインの名前ですね。
二人きりになった音楽室での合奏。何故か頑張ってしまった競技大会の200m走。学校帰りの墓地でのデート。そして、ズル休みして親にも内緒で行った海辺のデート。ミュージック・ビデオ風な雰囲気の映像とビージーズの楽曲のコラボが素敵な時間でした。
痛快なラストは、チャップリン映画のようなトロッコでの快走シーン。流れたのはクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの「♪Teach Your Children 」でした。
約40年ぶりの再見になるはずです。当時、主人公達より年上でもあったし、ストーリーにのぼせ上がることはなかったのですが、とりあえずビージーズの音楽を聞きたくて観に行きました。再見しても、溢れかえる音楽の魅力は大きかったですね。
それと、トレーシー・ハイドは可愛いだけの女の子だったように覚えていましたが、結構演技もしていたんだなぁと・・。彼女は成人してからはOLになり、普通の結婚をしたそうで、でも時々はTV出演もしたそうです。やっぱ、可愛い♪
それにしても、あの女学生のギンガムチェックの制服には、萌え~な男性、今もいるんじゃないでしょうか
デートシーンで流れた「♪若葉の頃(First of May)」が好きですが、ここは映画のために作られた「♪Melody Fair」をアップしておきましょう。
前回に続いて、子供が主演の映画。今度は38年前の大ヒット作、「小さな恋のメロディ」であります。実はヒットしたのは日本だけで、本国イギリスでもアメリカでも、そんなに話題にはならなかったとの事です。ホントに日本人は可愛い子供の出る映画が好きなんですねぇ。
主演のマーク・レスターは、3年前のアカデミー作品賞受賞作「オリバー!」から人気は上がってきていたはずだけど、この映画で日本では爆発的な人気者に。可愛いトレイシー・ハイドも「明星」や「平凡」等のアイドル雑誌に出る程騒がれたし(注:本当に出ていたかどうかは未確認^^)、貧しくとも元気一杯の悪ガキを演じたジャック・ワイルドも人気者になりました。マークとジャックは既に「オリバー!」で共演済みでしたね。
因みに、3人は11歳のパブリック・スクール1年生を演じたんですが、ジャックは当時18歳だったそうです。
監督はこの映画以外になじみのないワリス・フセイン。名前からするとアラブ系のようですが、インド生まれだそうです。
脚本を書いたのが、その後監督に進出するアラン・パーカー。「ミッドナイト・エクスプレス (1978)」や「ミシシッピー・バーニング (1988)」など、社会派の問題作が多い印象ですが、監督デビュー作は、30年代の禁酒法下のニューヨークを舞台に、ギャング同士による抗争を描きながら、登場人物すべてが子供という「ダウンタウン物語 (1976)」でした。こちらは本国でもヒットしたそうです。
そして、プロデューサーがパーカーの友人のデビッド・パットナム。「ダウンタウン物語」、「ミッドナイト・エクスプレス」にも参加していて、その後の「炎のランナー(1981)」でアカデミー作品賞受賞、「キリング・フィールド(1984)」という名作も彼の製作でした。
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さて、映画の話。
同じ学校に通う11歳の男の子と女の子が、ずっと一緒に居たいからと結婚式を挙げるという爽やかなコメディ・タッチの作品です。結婚式といっても、クラスメイトが神父代わりをした真似事のようなもので、又、日本のテレビドラマのように赤ん坊が出来るとかそんな生々しい話はありません。さりとて、少女漫画のように乙女チックでもない。
中流家庭の一人息子ダニエル(レスター)と、中の下クラスのやはり一人娘メロディ(ハイド)が、何度か学校の中で顔を合わせる内にダニエルが彼女を好きになり、やがてメロディもダニエルが好きになり、二人は学校を休んでデートをし、それを咎められ、それならばと結婚を約束する。
大人たちは、親も教師も子供をないがしろにするような存在として描かれています。コメディとして多少誇張されてはいますが、要するに、自分たちがかつて子供であったことを忘れてしまったような人間なんですね。ですから、徐々に子供たちの大人に対する不満が募っていく感じが伝わってくるし、終盤、結婚式を子供たちだけでやろうとする気持ちも、それを阻止しようとする先生達に対して子供たちの怒りが爆発するのも受け入れられる様に描かれています。
未見なんですが、ラストシーンのドタバタで、68年の異色の学園紛争もの「if もしも‥‥」を思い出しました。「小さな恋のメロディ」は、過激なあの作品に対する皮肉なのか、それともオマージュなのか・・・。
構成としては、ダニエルとメロディのそれぞれの生活をスケッチ風に平行して描いていき、後半で二人のエピソードを中心にしていくというもの。お互いを意識していく過程も学校の中でのすれ違いとか、視線の交わりとか、誰もが経験する甘酸っぱい初恋の時代を想起させるような描き方でした。学校生活のスケッチ風な描写はアラン・パーカーの「フェーム (1980)」も思い出しましたね。
ダニエルの前半は下流家庭のトム(ワイルド)と仲良しになるエピソードが主流。メロディの前半は女子のクラスメイトとのたわい無いお遊びが描かれる。メロデイの父親が保釈中であるような台詞もあり、母親に言われてメロディが街角のパブで飲んでいる父親にお金を貰いに行くシーンには、彼女の淋しげな境遇が察せられました。それにしても、露店の金魚を買うのに、親の洋服を勝手に持ち出すのはいかがなモンでしょうか^^
原題は【Melody】。ヒロインの名前ですね。
二人きりになった音楽室での合奏。何故か頑張ってしまった競技大会の200m走。学校帰りの墓地でのデート。そして、ズル休みして親にも内緒で行った海辺のデート。ミュージック・ビデオ風な雰囲気の映像とビージーズの楽曲のコラボが素敵な時間でした。
痛快なラストは、チャップリン映画のようなトロッコでの快走シーン。流れたのはクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの「♪Teach Your Children 」でした。
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約40年ぶりの再見になるはずです。当時、主人公達より年上でもあったし、ストーリーにのぼせ上がることはなかったのですが、とりあえずビージーズの音楽を聞きたくて観に行きました。再見しても、溢れかえる音楽の魅力は大きかったですね。
それと、トレーシー・ハイドは可愛いだけの女の子だったように覚えていましたが、結構演技もしていたんだなぁと・・。彼女は成人してからはOLになり、普通の結婚をしたそうで、でも時々はTV出演もしたそうです。やっぱ、可愛い♪
それにしても、あの女学生のギンガムチェックの制服には、萌え~な男性、今もいるんじゃないでしょうか
デートシーンで流れた「♪若葉の頃(First of May)」が好きですが、ここは映画のために作られた「♪Melody Fair」をアップしておきましょう。
・お薦め度【★★★=音楽の魅力でちょいとおまけ、一度は見ましょう】
(2005/ケン・クワピス監督/アンバー・タンブリン、アレクシス・ブレデル、アメリカ・フェレーラ、ブレイク・ライヴリー、ジェナ・ボイド/118分)
マタニティ教室で仲良くなった四人の母親から生まれた四人の女の子。子供の頃から同じ町に住み仲良し四人組だった彼女たちが、16歳の夏、初めて夏休みをバラバラに過ごすことになる。
ギリシャ移民の子リーナは、祖父母が住む地中海の辺(ほとり)の町へ。プエルトリコ系のカルメンは、離婚して遠くにいる父を訪ね、サッカー選手のブリジットはメキシコに合宿へ。ひとりティビーだけは好きな映画製作をするために町に残る事になった。
離ればなれになる前に四人は古着屋に寄り、そこで一本のジーンズに出逢う。それは、背格好の違う四人全てにフィットする不思議なジーンズだった。魔法のジーンズとして、四人はソレを夏休みの間に一週間交代で回し着しようと決める。さて、魔法のジーンズは彼女たちにどんな夏休みをプレゼントしたのか・・・。
古い映画が多いこのブログですが、時々(比較的)新しい21世紀に作られた映画も紹介することにしています。
「旅するジーンズと16歳の夏」。原題は【THE SISTERHOOD OF THE TRAVELING PANTS】。原作があって、<世界的ベストセラーとなったアン・ブラッシェアーズのヤングアダルト小説『トラベリング・パンツ』>の映画化らしいです。
おじさん向きではないですな、内容は。しかし、語り口のセンスも良くて、ヒロイン達の性格もチャラチャラして無くて、好感が持てました。ティーンの女の子にはお薦め度【★★★~★★★★】クラスのお気に入りになる作品ではないでしょうか。
ジーンズを狂言回しに、若者らしい恋愛や、家族、親子、そして友情といったテーマが、四人のエピソードの中で小出しに語られるというスタイルです。
内気で美人のリーナ(ブレデル)はギリシャでかっこいい漁船の若者と出逢うが、彼が祖父母時代から反目する一家の出だったことから、リーナは彼と逢うことを禁じられる。ロミオとジュリエットのような悲劇にはならず、リーナが内気な殻を破るのがポイントになる。
冒頭の語り手でもあるカルメン(フェレーラ)は、父と二人で休みを過ごすつもりだったのに、父の家には結婚を控えた子連れの女性が居た。父親はカルメンにも結婚式に出て貰おうと思っているが、カルメンは事前に聞かされていなかった事もショックだし、相手の家族にもなかなか慣れることが出来なかった。父が用意してくれたドレスはサイズが合わず、楽しみにしていた父とのテニスもお預け。ついにカルメンは切れる。
サッカー好きでスポーツ万能なブリジット(ライヴリー)は、小さい頃から自由奔放。異性に対しても積極的で、男子禁制の合宿ではあったが、これも御法度の男子大学生コーチに恋をしてしまう。母親が精神的な病から数年前に自ら命を絶つという不幸を乗り越えたブリジットだったが、初めての体験は意外にも母を恋しくさせるものだった。
スーパーでバイトをしながらドキュメンタリー製作に精を出すティビー(タンブリン)の前に、小生意気な小学生が現れる。店で倒れていたのを助けたのが最初で、その後番地が似ていたことから配達違いのジーンズを届けてくれたのも彼女だった。名前はベイリー(ボイド)。
報酬は要らないからと取材を手伝ってくれるが、何かと口を挟むので時にうんざりすることも。やがて、不思議ちゃん、ベイリーの秘密をティビーが知る日が来る。
出来上がった映画に、ティビーが名付けたタイトルは『ベイリー』だった。
おじさんの好きなエピソードはティビーの段。ネタバレになるからこれ以上は書きません。
リーナもギリシャの海の青と建物の白にマッチしたロマンチックな美人で良かった♪
但し、ジーンズの扱いは全然ファンタジーにはなっていません。ま、最初に着たリーナが海に落っこしちゃったから、魔法も消えたのでしょう(絶対に洗わないという約束があったのに)。
ブリジット役のブレイク・ライヴリーの最初の印象は、日本の女性タレント木下優樹菜に似ていること。どうやら同い年のようです。四人の中では一番若いのに、一番セクシーな役所でした。
また、ティビー役のアンバー・タンブリンは、「ウエスト・サイド物語」のラス・タンブリンのお嬢さんとのことでした。
マタニティ教室で仲良くなった四人の母親から生まれた四人の女の子。子供の頃から同じ町に住み仲良し四人組だった彼女たちが、16歳の夏、初めて夏休みをバラバラに過ごすことになる。
ギリシャ移民の子リーナは、祖父母が住む地中海の辺(ほとり)の町へ。プエルトリコ系のカルメンは、離婚して遠くにいる父を訪ね、サッカー選手のブリジットはメキシコに合宿へ。ひとりティビーだけは好きな映画製作をするために町に残る事になった。
離ればなれになる前に四人は古着屋に寄り、そこで一本のジーンズに出逢う。それは、背格好の違う四人全てにフィットする不思議なジーンズだった。魔法のジーンズとして、四人はソレを夏休みの間に一週間交代で回し着しようと決める。さて、魔法のジーンズは彼女たちにどんな夏休みをプレゼントしたのか・・・。
古い映画が多いこのブログですが、時々(比較的)新しい21世紀に作られた映画も紹介することにしています。
「旅するジーンズと16歳の夏」。原題は【THE SISTERHOOD OF THE TRAVELING PANTS】。原作があって、<世界的ベストセラーとなったアン・ブラッシェアーズのヤングアダルト小説『トラベリング・パンツ』>の映画化らしいです。
おじさん向きではないですな、内容は。しかし、語り口のセンスも良くて、ヒロイン達の性格もチャラチャラして無くて、好感が持てました。ティーンの女の子にはお薦め度【★★★~★★★★】クラスのお気に入りになる作品ではないでしょうか。
ジーンズを狂言回しに、若者らしい恋愛や、家族、親子、そして友情といったテーマが、四人のエピソードの中で小出しに語られるというスタイルです。
内気で美人のリーナ(ブレデル)はギリシャでかっこいい漁船の若者と出逢うが、彼が祖父母時代から反目する一家の出だったことから、リーナは彼と逢うことを禁じられる。ロミオとジュリエットのような悲劇にはならず、リーナが内気な殻を破るのがポイントになる。
冒頭の語り手でもあるカルメン(フェレーラ)は、父と二人で休みを過ごすつもりだったのに、父の家には結婚を控えた子連れの女性が居た。父親はカルメンにも結婚式に出て貰おうと思っているが、カルメンは事前に聞かされていなかった事もショックだし、相手の家族にもなかなか慣れることが出来なかった。父が用意してくれたドレスはサイズが合わず、楽しみにしていた父とのテニスもお預け。ついにカルメンは切れる。
サッカー好きでスポーツ万能なブリジット(ライヴリー)は、小さい頃から自由奔放。異性に対しても積極的で、男子禁制の合宿ではあったが、これも御法度の男子大学生コーチに恋をしてしまう。母親が精神的な病から数年前に自ら命を絶つという不幸を乗り越えたブリジットだったが、初めての体験は意外にも母を恋しくさせるものだった。
スーパーでバイトをしながらドキュメンタリー製作に精を出すティビー(タンブリン)の前に、小生意気な小学生が現れる。店で倒れていたのを助けたのが最初で、その後番地が似ていたことから配達違いのジーンズを届けてくれたのも彼女だった。名前はベイリー(ボイド)。
報酬は要らないからと取材を手伝ってくれるが、何かと口を挟むので時にうんざりすることも。やがて、不思議ちゃん、ベイリーの秘密をティビーが知る日が来る。
出来上がった映画に、ティビーが名付けたタイトルは『ベイリー』だった。
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おじさんの好きなエピソードはティビーの段。ネタバレになるからこれ以上は書きません。
リーナもギリシャの海の青と建物の白にマッチしたロマンチックな美人で良かった♪
但し、ジーンズの扱いは全然ファンタジーにはなっていません。ま、最初に着たリーナが海に落っこしちゃったから、魔法も消えたのでしょう(絶対に洗わないという約束があったのに)。
ブリジット役のブレイク・ライヴリーの最初の印象は、日本の女性タレント木下優樹菜に似ていること。どうやら同い年のようです。四人の中では一番若いのに、一番セクシーな役所でした。
また、ティビー役のアンバー・タンブリンは、「ウエスト・サイド物語」のラス・タンブリンのお嬢さんとのことでした。
・お薦め度【★★=おじさん的には、悪くはないけどネ】
「子供たちはダスティン・ホフマンとサイモン&ガーファンクルのために並び、大人は子供たちが何故並ぶのかを知るために並んでいる」
初公開時、アンドリュー・サリスというアメリカの映画評論家が「卒業」について語った言葉です。この映画の大ヒットの要因を言い得ていると言うことでしょうか。
再見記事、最終回はサイモン&ガーファンクルが提供した楽曲について書いてみます。
今回再見して思ったのが、「卒業」での彼らの楽曲の使い方が単なるBGMではなく、時に映像がミュージック・ビデオのように見えるほど存在感を示していたこと。当時はそれが新しかったのでしょうが、改めて観ると少しばかり違和感がありました。
ミュージカル以外で歌詞入りの楽曲が映画の一シーンに使われるというのはこの映画が最初ではないでしょうか。ニューシネマでは「真夜中のカーボーイ」の「♪うわさの男」も全米ナンバーワンになるヒット曲でしたが、あれはオープニングロールで流れただけで、「卒業」のように途中で使われることはありませんでした。
「明日に向って撃て!」の「♪雨に濡れても」も「卒業」的な使われ方で、人気に相乗効果を与えた作品でしょう。その他思い起こすと、「小さな恋のメロディ」、「イージー・ライダー」、「いちご白書」、「華麗なる賭け」、「ロミオとジュリエット」etc・・・。全て60年代後半から70年代の作品ばかりです。その後、「卒業」のような使われ方は少なくなっていったように思います。完全にBGMの一つとして旧いヒット曲が使われることは、ままあるようですがね。
さて、サイモン&ガーファンクルの歌はこの映画で5曲使われています。
サイモン&ガーファンクルの人気に火を付けた「♪サウンド・オブ・サイレンス(The Sound Of Silence)」。
64年にリリースしたアルバム『水曜の朝、午前3時(Wednesday Morning, 3 A.M)』のA面最後に入っていた曲で、アルバムではアコースティック・ギターのみのシンプルなものでしたが、その後プロデューサーが勝手にパーカッションやエレキ・ベース等を付けてシングルレコードとして発売し、ヒットしたものとのことです。
「卒業」ではオープニングのタイトルバックでヒット曲バージョンが、ラストシーンではアコースティックバージョンが流れました。ベンジャミンとミセス・ロビンソンとの密会が始まって、その数週間をイメージビデオ風に編集したシーンでも流れ、その時は冒頭のものと同じバージョンだったように思います。
ベンジャミンとミセス・ロビンソンとの密会のイメージビデオ風シーンでは、「♪四月になれば彼女は(April Com She Will)」も使われました。
ベンジャミンが親の目を避けながら過ごしていった夏の日々の様子を、物理的な空間を無視して象徴的に描いたシーンでした。
エレーンにミセス・ロビンソンとの関係がばれた後、ベンジャミンがエレーンの様子を遠くから眺める時に流れたのが「♪スカボロー・フェア(Scarborough Fair)」です。これは、音楽シーンでも大ヒットしたと記憶しています
ベンジャミンのエレーンへの一途な想いをあらわす歌で、インスツルメンタル・バージョンもシンプルなギターのメロディーのみのものや、管楽器をつかったバージョンも作られていました。サンフランシスコやバークレーでの大学構内などのシーンで流れてきました。
この映画の為にポール・サイモンが作った曲で、大ヒットした「♪ミセス・ロビンソン(Mrs.Robinson)」。
1981年9月、ニューヨーク、セントラルパークに53万人を集めた再結成コンサートで最初に歌われた曲で、なんでも彼らのコンサートでは常に最初に歌われるのだそうです。
ロビンソン夫人を皮肉った歌詞なんですが、どこかユーモアがあり、明るいメロディなので受けたのでしょう。映画ではベンジャミンが、結婚のために大学を辞めてしまったエレーンを探してロサンゼルス、サンフランシスコ、サンタバーバラを車で走り回るシーンで流れました。終盤ではアコースティック・ギターの伴奏が段々間延びしていって、アルファ・ロメオのエンストを表現してましたっけ。
「卒業」のサウンドトラックCDには、もう一つ「♪プレジャー・マシーン(The Big Bright Green Pleasure Machine)」という曲も納められていますが、この曲がどのシーンで流れていたのか思い出せません。
ご存じの方、コメントプリーズです。
初公開時、アンドリュー・サリスというアメリカの映画評論家が「卒業」について語った言葉です。この映画の大ヒットの要因を言い得ていると言うことでしょうか。
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再見記事、最終回はサイモン&ガーファンクルが提供した楽曲について書いてみます。
今回再見して思ったのが、「卒業」での彼らの楽曲の使い方が単なるBGMではなく、時に映像がミュージック・ビデオのように見えるほど存在感を示していたこと。当時はそれが新しかったのでしょうが、改めて観ると少しばかり違和感がありました。
ミュージカル以外で歌詞入りの楽曲が映画の一シーンに使われるというのはこの映画が最初ではないでしょうか。ニューシネマでは「真夜中のカーボーイ」の「♪うわさの男」も全米ナンバーワンになるヒット曲でしたが、あれはオープニングロールで流れただけで、「卒業」のように途中で使われることはありませんでした。
「明日に向って撃て!」の「♪雨に濡れても」も「卒業」的な使われ方で、人気に相乗効果を与えた作品でしょう。その他思い起こすと、「小さな恋のメロディ」、「イージー・ライダー」、「いちご白書」、「華麗なる賭け」、「ロミオとジュリエット」etc・・・。全て60年代後半から70年代の作品ばかりです。その後、「卒業」のような使われ方は少なくなっていったように思います。完全にBGMの一つとして旧いヒット曲が使われることは、ままあるようですがね。
さて、サイモン&ガーファンクルの歌はこの映画で5曲使われています。
サイモン&ガーファンクルの人気に火を付けた「♪サウンド・オブ・サイレンス(The Sound Of Silence)」。
64年にリリースしたアルバム『水曜の朝、午前3時(Wednesday Morning, 3 A.M)』のA面最後に入っていた曲で、アルバムではアコースティック・ギターのみのシンプルなものでしたが、その後プロデューサーが勝手にパーカッションやエレキ・ベース等を付けてシングルレコードとして発売し、ヒットしたものとのことです。
「卒業」ではオープニングのタイトルバックでヒット曲バージョンが、ラストシーンではアコースティックバージョンが流れました。ベンジャミンとミセス・ロビンソンとの密会が始まって、その数週間をイメージビデオ風に編集したシーンでも流れ、その時は冒頭のものと同じバージョンだったように思います。
ベンジャミンとミセス・ロビンソンとの密会のイメージビデオ風シーンでは、「♪四月になれば彼女は(April Com She Will)」も使われました。
ベンジャミンが親の目を避けながら過ごしていった夏の日々の様子を、物理的な空間を無視して象徴的に描いたシーンでした。
エレーンにミセス・ロビンソンとの関係がばれた後、ベンジャミンがエレーンの様子を遠くから眺める時に流れたのが「♪スカボロー・フェア(Scarborough Fair)」です。これは、音楽シーンでも大ヒットしたと記憶しています
ベンジャミンのエレーンへの一途な想いをあらわす歌で、インスツルメンタル・バージョンもシンプルなギターのメロディーのみのものや、管楽器をつかったバージョンも作られていました。サンフランシスコやバークレーでの大学構内などのシーンで流れてきました。
この映画の為にポール・サイモンが作った曲で、大ヒットした「♪ミセス・ロビンソン(Mrs.Robinson)」。
1981年9月、ニューヨーク、セントラルパークに53万人を集めた再結成コンサートで最初に歌われた曲で、なんでも彼らのコンサートでは常に最初に歌われるのだそうです。
ロビンソン夫人を皮肉った歌詞なんですが、どこかユーモアがあり、明るいメロディなので受けたのでしょう。映画ではベンジャミンが、結婚のために大学を辞めてしまったエレーンを探してロサンゼルス、サンフランシスコ、サンタバーバラを車で走り回るシーンで流れました。終盤ではアコースティック・ギターの伴奏が段々間延びしていって、アルファ・ロメオのエンストを表現してましたっけ。
「卒業」のサウンドトラックCDには、もう一つ「♪プレジャー・マシーン(The Big Bright Green Pleasure Machine)」という曲も納められていますが、この曲がどのシーンで流れていたのか思い出せません。
ご存じの方、コメントプリーズです。
今、手元にある早川書房の「卒業」の翻訳本は(多分)3代目。ヘミングウェイの「老人と海」、フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」と同じように、引っ越しなどで廃棄しても、何年か経つと又読みたくなる小説の一つです。
原題は映画と同じ【THE GRADUATE】。作者はCharles Webb(チャールズ・ウェッブ)。
アメリカで発行されたのが1963年(J・F・Kがダラスで暗殺された年です)。一躍センセーショナル・ベストセラーにのし上がり、約200万部という驚異的な売れ行きを示したと言うことです。
ウェッブは<1939年、サンフランシスコ生まれ>ですから、22、3歳の時に書いたことになります。<東部、マサチューセッツ州のウィリアムス・カレッジを卒業し、専攻はアメリカ史及びアメリカ文学>との事。まさにベンジャミンは彼自身がモデルのようです。
<本書は小説(ノヴェル)であって、せりふ台本(ダイアログ・シート)ではもちろんない。>
訳者:佐和 誠氏が原作を評して、あとがきの最初に語ったこの言葉のように、この小説の最大の特徴はその台詞の多さです。そして、その台詞が登場人物の感情や心の動きを巧く表現していて実に面白い。加えて言えば、この本にはせりふ台本で言うところの“ト書き”の部分に、一般的な小説でみられる登場人物の内面を記した文章がないということです。
『○○は、××を見て++と思った』とか、『○○は、△△に++を感じた』などというような文章です。
それはまるでハードボイルド小説のようですが、その徹底ぶりはヘミングウェイ以上と言えるでしょう。それでいて、中身は登場人物の感情や心の動きが良く分かる。それほど、シチュエーションの構成と台詞が巧いということです。
登場人物の動きなどは勿論表現してあるのですが、それも芝居の台本のように、いやそれ以上に映画のカメラのようにフォーカスのあて方が巧いです。
例えば、ベンジャミンとミセス・ロビンソンの逢瀬がマンネリ化した頃、ホテルのベッドの上で、たまには話をしようとベンジャミンが言い出し、話の流れでエレーンの名前が出た時のやりとりです。
ミセス・ロビンソンはエレーンの話はしたくないと言い、ベンジャミンはそれは娘を会わせたくないという母親の気持ちの表れで、ひいてはロビンソン夫人がベンジャミンをくだらない人間だと思っているからだと、彼は考える。ベンジャミンは怒り、ロビンソン夫人を反吐がでそうだとなじり、脱いでいた洋服を着ようとする。
<そのまま、彼はくるりとうしろをふりむき、床の上のシャツを取りあげると、やおら腕をとおしはじめた。ロビンソン夫人がベッドのはしから立ち上がった。その目が、シャツのボタンをかけ、その裾をズボンにたくしこんでいるベンジャミンの動きを追っている。
「ベンジャミン?」女が言った。
彼はかぶりをふった。>
この後、ロビンソン夫人はベンジャミンの言葉に傷ついたと言い、ベンジャミンは言い過ぎたと謝る。そんなやりとりの中で、服を着て帰ろうとしている若い男を見つめながら、何事かを考えている中年女の姿が浮かんでくるわけです。
台詞の上手さで言えば、こんなやりとりもあります。
終盤近く、ミスター・ロビンソンが主人公ベンジャミンのアパートを訪ね、エレーンと会わないように言う場面です。
「ベン、私たちはお互いに常識というものを心得ている人間のはずだ。脅迫みたいな子供じみた真似はやめてくれんかね。」
「脅迫なんかしていませんよ。」
「それじゃ、こぶしを握りしめるのだけはやめてくれ。よろしい。」
この台詞のやりとりでベンジャミンがこぶしを握って話をしていたこと、やめてくれと言われてこぶしを開いたこと、などが分かります。
この小説以上に複雑な人間心理を描いた小説はごまんとありますが、これら映画のような場面設定の面白さや台詞の活き活きとしたやりとりが味わえるのは希有な作品だと思っています。
前半はほとんど映画と同じ。脚本家は、どう作るかよりも、どこを削るかに苦心したのではないでしょうか。台詞もそのままと言っていい場面が多々あり、この本を何度も買い換えている最大の要因は、それらのせりふを読む度に映画のシーンが思い出されるからでしょう。人物の心理を表現するのに、原作では手紙も結構登場しましたが、この辺は小説ならではの手法ですね。
ウェッブは「卒業」の後、「体験」、「結婚」という、いわば青春三部作ともいうべきものを書き上げています。後の2作とも早川書房から出版されていて、「体験」は大昔に読みました。内容は忘れましたが、文体が全く同じだったという印象は残っています。翻訳も同じ佐和誠氏でした。
「結婚」は、71年に「実験結婚」というタイトルで映画化されています。「卒業」のプロデューサー、ローレンス・ターマンの初監督作品で、主演がリチャード・ベンジャミンとジョアンナ・シムカス。日本では未公開との事でした。映画には期待できなくとも(ターマンの監督作は二つだけ)、当時も今も、この出演者なら観てみたいと思いますね。
(続く)
原題は映画と同じ【THE GRADUATE】。作者はCharles Webb(チャールズ・ウェッブ)。
アメリカで発行されたのが1963年(J・F・Kがダラスで暗殺された年です)。一躍センセーショナル・ベストセラーにのし上がり、約200万部という驚異的な売れ行きを示したと言うことです。
ウェッブは<1939年、サンフランシスコ生まれ>ですから、22、3歳の時に書いたことになります。<東部、マサチューセッツ州のウィリアムス・カレッジを卒業し、専攻はアメリカ史及びアメリカ文学>との事。まさにベンジャミンは彼自身がモデルのようです。
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<本書は小説(ノヴェル)であって、せりふ台本(ダイアログ・シート)ではもちろんない。>
訳者:佐和 誠氏が原作を評して、あとがきの最初に語ったこの言葉のように、この小説の最大の特徴はその台詞の多さです。そして、その台詞が登場人物の感情や心の動きを巧く表現していて実に面白い。加えて言えば、この本にはせりふ台本で言うところの“ト書き”の部分に、一般的な小説でみられる登場人物の内面を記した文章がないということです。
『○○は、××を見て++と思った』とか、『○○は、△△に++を感じた』などというような文章です。
それはまるでハードボイルド小説のようですが、その徹底ぶりはヘミングウェイ以上と言えるでしょう。それでいて、中身は登場人物の感情や心の動きが良く分かる。それほど、シチュエーションの構成と台詞が巧いということです。
登場人物の動きなどは勿論表現してあるのですが、それも芝居の台本のように、いやそれ以上に映画のカメラのようにフォーカスのあて方が巧いです。
例えば、ベンジャミンとミセス・ロビンソンの逢瀬がマンネリ化した頃、ホテルのベッドの上で、たまには話をしようとベンジャミンが言い出し、話の流れでエレーンの名前が出た時のやりとりです。
ミセス・ロビンソンはエレーンの話はしたくないと言い、ベンジャミンはそれは娘を会わせたくないという母親の気持ちの表れで、ひいてはロビンソン夫人がベンジャミンをくだらない人間だと思っているからだと、彼は考える。ベンジャミンは怒り、ロビンソン夫人を反吐がでそうだとなじり、脱いでいた洋服を着ようとする。
<そのまま、彼はくるりとうしろをふりむき、床の上のシャツを取りあげると、やおら腕をとおしはじめた。ロビンソン夫人がベッドのはしから立ち上がった。その目が、シャツのボタンをかけ、その裾をズボンにたくしこんでいるベンジャミンの動きを追っている。
「ベンジャミン?」女が言った。
彼はかぶりをふった。>
この後、ロビンソン夫人はベンジャミンの言葉に傷ついたと言い、ベンジャミンは言い過ぎたと謝る。そんなやりとりの中で、服を着て帰ろうとしている若い男を見つめながら、何事かを考えている中年女の姿が浮かんでくるわけです。
台詞の上手さで言えば、こんなやりとりもあります。
終盤近く、ミスター・ロビンソンが主人公ベンジャミンのアパートを訪ね、エレーンと会わないように言う場面です。
「ベン、私たちはお互いに常識というものを心得ている人間のはずだ。脅迫みたいな子供じみた真似はやめてくれんかね。」
「脅迫なんかしていませんよ。」
「それじゃ、こぶしを握りしめるのだけはやめてくれ。よろしい。」
この台詞のやりとりでベンジャミンがこぶしを握って話をしていたこと、やめてくれと言われてこぶしを開いたこと、などが分かります。
この小説以上に複雑な人間心理を描いた小説はごまんとありますが、これら映画のような場面設定の面白さや台詞の活き活きとしたやりとりが味わえるのは希有な作品だと思っています。
前半はほとんど映画と同じ。脚本家は、どう作るかよりも、どこを削るかに苦心したのではないでしょうか。台詞もそのままと言っていい場面が多々あり、この本を何度も買い換えている最大の要因は、それらのせりふを読む度に映画のシーンが思い出されるからでしょう。人物の心理を表現するのに、原作では手紙も結構登場しましたが、この辺は小説ならではの手法ですね。
*
ウェッブは「卒業」の後、「体験」、「結婚」という、いわば青春三部作ともいうべきものを書き上げています。後の2作とも早川書房から出版されていて、「体験」は大昔に読みました。内容は忘れましたが、文体が全く同じだったという印象は残っています。翻訳も同じ佐和誠氏でした。
「結婚」は、71年に「実験結婚」というタイトルで映画化されています。「卒業」のプロデューサー、ローレンス・ターマンの初監督作品で、主演がリチャード・ベンジャミンとジョアンナ・シムカス。日本では未公開との事でした。映画には期待できなくとも(ターマンの監督作は二つだけ)、当時も今も、この出演者なら観てみたいと思いますね。
(続く)
六月ということで、1967年のマイク・ニコルズ監督作「卒業」、久しぶりに観てみました。
<ベンジャミン・ブラドックは六月のさる日、東部の小さなカレッジを卒業した。彼はその足で家へ飛んで帰った。>
これが、チャールズ・ウェッブの原作(早川書房/佐和 誠訳)の書き出しです。映画では、オープニングのタイトルロールで、サイモン&ガーファンクルの「♪サウンド・オブ・サイレンス」が流れるシーンですね。ファースト・ショットは、飛行機の座席で背もたれの真っ白なカバーに頭を乗せている、不安げな表情をしたダスティン・ホフマンのアップでした。
日本での公開は翌68年。大好きなこの映画ですが、実は封切時には観ていません。まだ中学生で、劇場で洋画を観だす前だったので、この2、3年後に逢うことになります。
小さな映画館で、確か同時上映が「2001年宇宙の旅」でした。今となっては、「卒業」は原作本やらパンフレット、映画音楽等で、それこそ脳内メーカーでチェックすると100%“卒業”となってしまいそうな時期が長かったので、初見時のイメージは残っていません。むしろ、猿が大きな骨を空に放り投げたり、宇宙船がワルツの中で浮かんでいたり、サイケな色の氾濫するシーンが長すぎるなんていう併映の個性的なSF映画の方をよ~く覚えています。
監督: マイク・ニコルズ
製作: ローレンス・ターマン
脚本: バック・ヘンリー、カルダー・ウィリンガム
撮影: ロバート・サーティース
音楽: ポール・サイモン、デイヴ・グルーシン
出演: ダスティン・ホフマン(=ベンジャミン・ブラドック)、キャサリン・ロス(エレーン・ロビンソン)、アン・バンクロフト(=ミセス・ロビンソン)、マーレイ・ハミルトン(=ミスター・ロビンソン)、ウィリアム・ダニエルズ(=ベンの父)、エリザベス・ウィルソン(=ベンの母)、バック・ヘンリー(タフトホテルのクローク)、ブライアン・エイヴリー(カール・スミス)、ノーマン・フェル(下宿屋のおやじ)、リチャード・ドレイファス(下宿屋の学生)/107分
サンフランシスコで法律事務所を経営しているブラドック氏の一人息子ベンジャミンが、東部の大学を優秀な成績で卒業する。両親は、友人達を招いて卒業祝いのパーティーを開くが、当の息子は自分の部屋から出てこない。
学業以外にも、クロスカントリーチームの花形選手、カレッジ新聞の編集長、弁論クラブの代表などなど、輝かしい学生生活をおくってきたベンジャミンだが、今は将来への不安を抱えていた。平凡な人生は送りたくない、さりとて何をしたらいいのか分からない。両親に促されて渋々パーティーに顔を出すも、数分もすれば、また自室に引っ込んでしまった。
そんなベンジャミンに目を付けたのが、ブラドック氏の共同経営者、ミスター・ロビンソンの奥方だ。出来ちゃった婚で学生時代に所帯を持ったミセス・ロビンソンは、さりげなくベンジャミンの部屋を訪れ『主人が車で出かけちゃったので足が無くなったの』と言って家まで送らせる。ベンジャミンの倍の年齢ではあるが、水着の日焼けの後も生々しい身体には余計な贅肉もない。ベンジャミンを娘の部屋に呼び込んだミセス・ロビンソンは、いきなり素っ裸になり『今日でなくてもイイの。いつかその気になったら連絡して』と誘う。ロビンソン氏が帰ってきたので、事なきを得たが、この事は二人だけの秘密となった。
翌週、脳天気に息子の21回目の誕生日を祝うブラドック夫妻。またしても父親は友人家族を招いている。卒業祝いにはアルファ・ロメオだったが、誕生祝いはスキューバ・ダイビングの道具だった。部屋の奥でベンジャミンにダイビングスーツを着せ、ボンベも付けた格好を客人に披露しようというのだ。
こんな馬鹿騒ぎなんかしたくないのに。庭のプールの底に沈んでいきながら、ベンジャミンはミセス・ロビンソンとの刺激的な遊びをしてみようかと思うのだった・・・。
2002年に思い出の作品として書いた記事があり、その後、お薦め度を付ける際に五つ★としていましたが、今回再見して★一つマイナスしようと思います。
前半の抜群の面白さに比べて、後半が弱いと感じました。ベンジャミン、ミセス・ロビンソン、そして廻りの大人達の濃密な心理描写は思わず声をあげて笑い出しそうなのに、後半、エレーンにベンジャミンと彼女の母親との関係がばれた後からは、ベンジャミンにはエレーンへの一途な想いがあるだけで、前半ほどの葛藤がないのが寂しいです。むしろ、後半はエレーンに葛藤があったと思われますが、エレーンに関するエピソードが少なく、原作もその辺は弱いです。
全体を通して、ベンジャミンを主軸にしているのは原作も映画も同じ。高校時代からエリートだったベンジャミンにエレーンは憧れていた、なんていう解釈も出来ますが、ああいうラストに持って行くにはヒロインのエピソードが物足りない感じがしましたね。
なにはともあれ、「ベーン!」と叫ぶエレーン=キャサリン・ロスのなんと可愛いことよ
製作費300万ドルの低予算ながら、当時の歴代興行収入4位(当時のTOPは「風と共に去りぬ」)に入る大ヒット作で、アカデミー賞では作品賞、主演男優賞(ホフマン)、主演女優賞(バンクロフト)、助演女優賞(ロス)、脚色賞、 撮影賞にノミネートされ、映画2作品目のマイク・ニコルズが監督賞を受賞しました。
ニコルズはNY批評家協会賞でも監督賞を獲り、ゴールデン・グローブでは作品賞(コメディ/ミュージカル)、女優賞(コメディ/ミュージカル)、監督賞、有望若手男優賞、有望若手女優賞を受賞、英国アカデミー賞でも、作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞、新人賞(ホフマン、ロス)を受賞し、主演女優賞にもノミネートされました。
(続く)
<ベンジャミン・ブラドックは六月のさる日、東部の小さなカレッジを卒業した。彼はその足で家へ飛んで帰った。>
これが、チャールズ・ウェッブの原作(早川書房/佐和 誠訳)の書き出しです。映画では、オープニングのタイトルロールで、サイモン&ガーファンクルの「♪サウンド・オブ・サイレンス」が流れるシーンですね。ファースト・ショットは、飛行機の座席で背もたれの真っ白なカバーに頭を乗せている、不安げな表情をしたダスティン・ホフマンのアップでした。
日本での公開は翌68年。大好きなこの映画ですが、実は封切時には観ていません。まだ中学生で、劇場で洋画を観だす前だったので、この2、3年後に逢うことになります。
小さな映画館で、確か同時上映が「2001年宇宙の旅」でした。今となっては、「卒業」は原作本やらパンフレット、映画音楽等で、それこそ脳内メーカーでチェックすると100%“卒業”となってしまいそうな時期が長かったので、初見時のイメージは残っていません。むしろ、猿が大きな骨を空に放り投げたり、宇宙船がワルツの中で浮かんでいたり、サイケな色の氾濫するシーンが長すぎるなんていう併映の個性的なSF映画の方をよ~く覚えています。
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監督: マイク・ニコルズ
製作: ローレンス・ターマン
脚本: バック・ヘンリー、カルダー・ウィリンガム
撮影: ロバート・サーティース
音楽: ポール・サイモン、デイヴ・グルーシン
出演: ダスティン・ホフマン(=ベンジャミン・ブラドック)、キャサリン・ロス(エレーン・ロビンソン)、アン・バンクロフト(=ミセス・ロビンソン)、マーレイ・ハミルトン(=ミスター・ロビンソン)、ウィリアム・ダニエルズ(=ベンの父)、エリザベス・ウィルソン(=ベンの母)、バック・ヘンリー(タフトホテルのクローク)、ブライアン・エイヴリー(カール・スミス)、ノーマン・フェル(下宿屋のおやじ)、リチャード・ドレイファス(下宿屋の学生)/107分
サンフランシスコで法律事務所を経営しているブラドック氏の一人息子ベンジャミンが、東部の大学を優秀な成績で卒業する。両親は、友人達を招いて卒業祝いのパーティーを開くが、当の息子は自分の部屋から出てこない。
学業以外にも、クロスカントリーチームの花形選手、カレッジ新聞の編集長、弁論クラブの代表などなど、輝かしい学生生活をおくってきたベンジャミンだが、今は将来への不安を抱えていた。平凡な人生は送りたくない、さりとて何をしたらいいのか分からない。両親に促されて渋々パーティーに顔を出すも、数分もすれば、また自室に引っ込んでしまった。
そんなベンジャミンに目を付けたのが、ブラドック氏の共同経営者、ミスター・ロビンソンの奥方だ。出来ちゃった婚で学生時代に所帯を持ったミセス・ロビンソンは、さりげなくベンジャミンの部屋を訪れ『主人が車で出かけちゃったので足が無くなったの』と言って家まで送らせる。ベンジャミンの倍の年齢ではあるが、水着の日焼けの後も生々しい身体には余計な贅肉もない。ベンジャミンを娘の部屋に呼び込んだミセス・ロビンソンは、いきなり素っ裸になり『今日でなくてもイイの。いつかその気になったら連絡して』と誘う。ロビンソン氏が帰ってきたので、事なきを得たが、この事は二人だけの秘密となった。
翌週、脳天気に息子の21回目の誕生日を祝うブラドック夫妻。またしても父親は友人家族を招いている。卒業祝いにはアルファ・ロメオだったが、誕生祝いはスキューバ・ダイビングの道具だった。部屋の奥でベンジャミンにダイビングスーツを着せ、ボンベも付けた格好を客人に披露しようというのだ。
こんな馬鹿騒ぎなんかしたくないのに。庭のプールの底に沈んでいきながら、ベンジャミンはミセス・ロビンソンとの刺激的な遊びをしてみようかと思うのだった・・・。
2002年に思い出の作品として書いた記事があり、その後、お薦め度を付ける際に五つ★としていましたが、今回再見して★一つマイナスしようと思います。
前半の抜群の面白さに比べて、後半が弱いと感じました。ベンジャミン、ミセス・ロビンソン、そして廻りの大人達の濃密な心理描写は思わず声をあげて笑い出しそうなのに、後半、エレーンにベンジャミンと彼女の母親との関係がばれた後からは、ベンジャミンにはエレーンへの一途な想いがあるだけで、前半ほどの葛藤がないのが寂しいです。むしろ、後半はエレーンに葛藤があったと思われますが、エレーンに関するエピソードが少なく、原作もその辺は弱いです。
全体を通して、ベンジャミンを主軸にしているのは原作も映画も同じ。高校時代からエリートだったベンジャミンにエレーンは憧れていた、なんていう解釈も出来ますが、ああいうラストに持って行くにはヒロインのエピソードが物足りない感じがしましたね。
なにはともあれ、「ベーン!」と叫ぶエレーン=キャサリン・ロスのなんと可愛いことよ
製作費300万ドルの低予算ながら、当時の歴代興行収入4位(当時のTOPは「風と共に去りぬ」)に入る大ヒット作で、アカデミー賞では作品賞、主演男優賞(ホフマン)、主演女優賞(バンクロフト)、助演女優賞(ロス)、脚色賞、 撮影賞にノミネートされ、映画2作品目のマイク・ニコルズが監督賞を受賞しました。
ニコルズはNY批評家協会賞でも監督賞を獲り、ゴールデン・グローブでは作品賞(コメディ/ミュージカル)、女優賞(コメディ/ミュージカル)、監督賞、有望若手男優賞、有望若手女優賞を受賞、英国アカデミー賞でも、作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞、新人賞(ホフマン、ロス)を受賞し、主演女優賞にもノミネートされました。
(続く)
(2003/ウォルター・サレス監督/ガエル・ガルシア・ベルナル、ロドリゴ・デ・ラ・セルナ、ミア・マエストロ、メルセデス・モラーン、ジャン・ピエール・ノエル/127分)
家族のいない熟年女性と、母親と死に別れた少年との父親探しのロード・ムーヴィー、「セントラル・ステーション」で僕を泣かせてくれたウォルター・サレスが、その5年後にR・レッドフォードのプロデュースで作った、今度は若者二人がバイクで旅をするロード・ムーヴィーだ。
主人公はエルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。通称チェ・ゲバラ。
先日、キューバのカストロ議長が引退を表明したが、ゲバラはカストロと共にキューバ革命の旗頭だった革命家で、要するに、これは実話を元にしている映画であります。
1952年1月4日からの凡そ半年間。アルゼンチンの比較的裕福な家庭に育ち、医学の道を目指していた23歳のゲバラが、7歳年上の生化学者、アルベルトと共に南米縦断の旅に出、その時に綴った日記が元になっている。【原題:THE MOTORCYCLE DIARIES】
(ゲバラの)大学卒業前に、本でしか知らない南米のその他の国々を実際に見てみたいというのが彼らの目的で、とりあえずの目的地は大陸の最北端のグラヒラ半島。ゲバラの専門はハンセン病であり、アマゾンの奥にある療養所にも立ち寄る予定だった。当初の手段は、アルベルトが持っていた大型二輪に二人乗りだが、全行程8000㎞には耐えられず、途中からは徒歩やヒッチハイク、そしてアマゾン河の船の旅になる。
実話なので「セントラル・ステーション」のような伏線のあるエピソードはないが、僅かなお金しかない旅であり、おまけにゲバラは幼少期からの喘息持ちで死の危険にさらされることもあり、面白いロード・ムーヴィーとしての土台は出来ております。
スケッチ風というには些か重いムードはあるが、ジャンプ・カットを混じえた語り口には弛みが無く、厳しくも美しい南米の大自然を捉えたエリック・ゴーティエのカメラも印象的だった。
この旅によって、ゲバラは同じ大陸の同胞達の様子を見聞きし、ある考えに目覚めるが、そこにはまだマルクス主義は入っていないようだった。正義感に溢れる若者の、旅立ちストーリーと言ってよいと思う。
旅の初めに恋人の家にも寄るが、彼女の親は結婚に反対していて、彼女は無事を祈ってくれたが、永遠に待つとは約束できないとも言った。
異国の人々はどこも貧しく、二人の旅も過酷なものとなるが、ゲバラは目的を全うしたいという強固な意志を持っていたし、アルベルトには天性の明るさがあった。
ブエノスアイレスを西に向かってチリに入り、アンデス山脈に沿って北上する。1月はアチラでは夏のはずだが、山越えは雪の中だった。
マチュピチュでは、スペイン人に侵略された古代インカの人々に想いを馳せる。
共産主義者だというだけで、生まれ住んだ土地を奪われ、放浪の旅をする夫婦にも会う。ペルーの山の中にもアメリカ資本の企業が進出しており、安い労働者を確保していた。
リマでは大学の教授に紹介された医師と面会し、サンパブロにあるハンセン療養所への紹介状を書いてもらう。
リマの医師が、ハンセン療養所での体験は君達の人生に貴重なものとなるであろう、と言ったとおり、終盤のハンセン療養所でのエピソードが映画のクライマックスとなる。
生化学者であるアルベルトは研究の手伝い、医者の卵であるゲバラは治療の手伝いをする。看護をしている女性は全てシスターだったが、彼女達にもハンセン病の理解が不足していて、謂われない差別が行われていた。重症患者と軽症患者は河を隔てて分けられており、療養所での最終日、ゲバラは抗議の意味もあったのだろう、この河を泳いで渡り、患者の喝采を浴びる。
大勢の関係者に見送られながら、筏(いかだ)で更に北上する頃には、旅は1万キロを越えるものとなった。
映画の終わりは、アルベルトとゲバラのカラカス空港での別れのシーンだった。
アルベルトは療養所で引き続き働く予定であり、ゲバラにも卒業後には(病院に)来ないかと誘うが、ゲバラは多分そうはならないだろうと答える。ゲバラは、今の自分がかつての自分ではないことに気付いていた。
旅で感じたことは、南米の国々が貧しくて、人々の意識がバラバラだということ。医者になることよりも、もっと重要な道があると感じさせた旅だった。
飛び立っていく飛行機を見送るアルベルト。ゲバラのモノローグに被せて、旅で出会った色々な人々がモノクロの映像で流れてくる。
黒いスクリーンに静かにクレジットが流れ、二人のその後を解説する。
二人が再会するのは8年後のキューバ。1960年、アルベルトを出迎えたゲバラは、キューバ革命軍の司令官だった。
1967年10月8日。ゲバラは、ボリビアでのゲリラ活動中にCIAに逮捕され、翌日処刑される。
画面が替わると、一人の老人が飛行機を見送っている。
再会後、キューバ国民となり、医療活動に身を捧げ、子供や孫たちと余生を送っている現在のアルベルトだった。
ゲバラに扮していたのは、「バベル」のガエル・ガルシア・ベルナル。
ラストシーンとエンドクレジットに流れてくる哀愁漂うメロディーも、「バベル」のグスターボ・サンタオラヤだった。
カンヌ映画祭ではパルム・ドール(ウォルター・サレス)に、ゴールデン・グローブ、セザール賞では外国語映画賞にノミネートされ、英国アカデミー賞でも作品賞他でノミネートされ、外国語映画賞、作曲賞を受賞したとのこと。
尚、アルベルト役のロドリゴ・デ・ラ・セルナは、名前でもわかるようにゲバラの血縁者で、映画サイトの情報によると“はとこ”の関係だそうである。
家族のいない熟年女性と、母親と死に別れた少年との父親探しのロード・ムーヴィー、「セントラル・ステーション」で僕を泣かせてくれたウォルター・サレスが、その5年後にR・レッドフォードのプロデュースで作った、今度は若者二人がバイクで旅をするロード・ムーヴィーだ。
主人公はエルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。通称チェ・ゲバラ。
先日、キューバのカストロ議長が引退を表明したが、ゲバラはカストロと共にキューバ革命の旗頭だった革命家で、要するに、これは実話を元にしている映画であります。
1952年1月4日からの凡そ半年間。アルゼンチンの比較的裕福な家庭に育ち、医学の道を目指していた23歳のゲバラが、7歳年上の生化学者、アルベルトと共に南米縦断の旅に出、その時に綴った日記が元になっている。【原題:THE MOTORCYCLE DIARIES】
(ゲバラの)大学卒業前に、本でしか知らない南米のその他の国々を実際に見てみたいというのが彼らの目的で、とりあえずの目的地は大陸の最北端のグラヒラ半島。ゲバラの専門はハンセン病であり、アマゾンの奥にある療養所にも立ち寄る予定だった。当初の手段は、アルベルトが持っていた大型二輪に二人乗りだが、全行程8000㎞には耐えられず、途中からは徒歩やヒッチハイク、そしてアマゾン河の船の旅になる。
実話なので「セントラル・ステーション」のような伏線のあるエピソードはないが、僅かなお金しかない旅であり、おまけにゲバラは幼少期からの喘息持ちで死の危険にさらされることもあり、面白いロード・ムーヴィーとしての土台は出来ております。
スケッチ風というには些か重いムードはあるが、ジャンプ・カットを混じえた語り口には弛みが無く、厳しくも美しい南米の大自然を捉えたエリック・ゴーティエのカメラも印象的だった。
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この旅によって、ゲバラは同じ大陸の同胞達の様子を見聞きし、ある考えに目覚めるが、そこにはまだマルクス主義は入っていないようだった。正義感に溢れる若者の、旅立ちストーリーと言ってよいと思う。
旅の初めに恋人の家にも寄るが、彼女の親は結婚に反対していて、彼女は無事を祈ってくれたが、永遠に待つとは約束できないとも言った。
異国の人々はどこも貧しく、二人の旅も過酷なものとなるが、ゲバラは目的を全うしたいという強固な意志を持っていたし、アルベルトには天性の明るさがあった。
ブエノスアイレスを西に向かってチリに入り、アンデス山脈に沿って北上する。1月はアチラでは夏のはずだが、山越えは雪の中だった。
マチュピチュでは、スペイン人に侵略された古代インカの人々に想いを馳せる。
共産主義者だというだけで、生まれ住んだ土地を奪われ、放浪の旅をする夫婦にも会う。ペルーの山の中にもアメリカ資本の企業が進出しており、安い労働者を確保していた。
リマでは大学の教授に紹介された医師と面会し、サンパブロにあるハンセン療養所への紹介状を書いてもらう。
リマの医師が、ハンセン療養所での体験は君達の人生に貴重なものとなるであろう、と言ったとおり、終盤のハンセン療養所でのエピソードが映画のクライマックスとなる。
生化学者であるアルベルトは研究の手伝い、医者の卵であるゲバラは治療の手伝いをする。看護をしている女性は全てシスターだったが、彼女達にもハンセン病の理解が不足していて、謂われない差別が行われていた。重症患者と軽症患者は河を隔てて分けられており、療養所での最終日、ゲバラは抗議の意味もあったのだろう、この河を泳いで渡り、患者の喝采を浴びる。
大勢の関係者に見送られながら、筏(いかだ)で更に北上する頃には、旅は1万キロを越えるものとなった。
映画の終わりは、アルベルトとゲバラのカラカス空港での別れのシーンだった。
アルベルトは療養所で引き続き働く予定であり、ゲバラにも卒業後には(病院に)来ないかと誘うが、ゲバラは多分そうはならないだろうと答える。ゲバラは、今の自分がかつての自分ではないことに気付いていた。
旅で感じたことは、南米の国々が貧しくて、人々の意識がバラバラだということ。医者になることよりも、もっと重要な道があると感じさせた旅だった。
飛び立っていく飛行機を見送るアルベルト。ゲバラのモノローグに被せて、旅で出会った色々な人々がモノクロの映像で流れてくる。
黒いスクリーンに静かにクレジットが流れ、二人のその後を解説する。
二人が再会するのは8年後のキューバ。1960年、アルベルトを出迎えたゲバラは、キューバ革命軍の司令官だった。
1967年10月8日。ゲバラは、ボリビアでのゲリラ活動中にCIAに逮捕され、翌日処刑される。
画面が替わると、一人の老人が飛行機を見送っている。
再会後、キューバ国民となり、医療活動に身を捧げ、子供や孫たちと余生を送っている現在のアルベルトだった。
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ゲバラに扮していたのは、「バベル」のガエル・ガルシア・ベルナル。
ラストシーンとエンドクレジットに流れてくる哀愁漂うメロディーも、「バベル」のグスターボ・サンタオラヤだった。
カンヌ映画祭ではパルム・ドール(ウォルター・サレス)に、ゴールデン・グローブ、セザール賞では外国語映画賞にノミネートされ、英国アカデミー賞でも作品賞他でノミネートされ、外国語映画賞、作曲賞を受賞したとのこと。
尚、アルベルト役のロドリゴ・デ・ラ・セルナは、名前でもわかるようにゲバラの血縁者で、映画サイトの情報によると“はとこ”の関係だそうである。
・お薦め度【★★★=一度は見ましょう、私は二度見ましたが】
(2004/岩井俊二:監督・脚本/鈴木杏、蒼井優、郭智博、相田翔子、阿部寛、平泉成、木村多江、大沢たかお、広末涼子、ふせえり、ルー大柴、アジャ・コング、叶美香、虻川美穂子、テリー伊藤/135分)
初めての岩井俊二作品。名前は知っていたけど、どんな映画を撮る人かも知らずに、去年の11月にNHK-BS放送を録画していたのを観てみました。観ているうちに、この映画、昔TVCMか何かでよく見かけていたのを思い出しました。
鈴木杏扮する荒井花、通称ハナと、蒼井優扮する有栖川徹子、通称アリスという二人の少女が主人公。二人は仲良しの中学生で、オープニングでは二人が電車通学するシーンがテレビコマーシャルのような感覚の映像で流れ、こんなんで2時間持つんかいなと思っていましたら、なんとなんと、時にクラシックのような、時にほんわか漫画チックなムードのBGMと、ジャンプカットを混ぜてスルスルと展開していくストーリーに、いつの間にやら映画の中にのめり込んでしまいました。
CM撮影のようなカメラワークを劇映画に使うと、観る方もカメラの存在が気になってストーリーに入っていけないことがままありますが、この作品はそのような感覚になりませんでした。俳優達の演技、特に台詞廻しが自然で、ドキュメンタリーのような雰囲気もあるからでしょう。
紗のかかったような画面はフランス映画のようでもあり、アリスが離婚後の父親(平泉成)と一日を過ごした後の駅での別れのシーンは、まさにクロード・ルルーシュのような感覚の映像で、この親子のシークエンスは作品中でもお気に入りの一幕となりました。
二人の中学生は序盤で同じ高校に進学して、ハナは以前より電車通学で見かけていた男子高校生、宮本君を探しに落研(おちけん)を訪れる。電車の中で落語の本を読んでいる宮本君を見ていたので見当をつけていたからだが、案の定、宮本君は二人しかしない部員の一人だった。かくして、ハナは落研の紅一点となる。
下校する宮本君の後をつけるハナ。本を読みながら歩いていた宮本君は、とある民家のシャッターに頭をぶつけ倒れてしまう。あわてて駆け寄るハナは、『あんた、誰?』という宮本君に、とっさに『私は先輩の彼女ですよ』とウソをついてしまう。
『先輩、記憶喪失になったんですか!?』
こうして、奇妙なとっかかりで二人はつきあい始めるが、やがてそれはアリスをも巻き込む三角関係に発展する・・・。
ハナの嘘がいつばれるか、というのがとりあえず興味を惹くところですが、調子の悪くなったハナのパソコンを宮本君が修理していて、HDDに自分の昔の写真を見つけるのが嘘の上塗りの始まり。
先輩にはアリスという元カノがいて、ハナに奪われそうになったので、自分の彼氏だと主張するためにアリスが写真を置いていったのだとハナは説明する。そこで、アリスのことも覚えていない宮本君は、アリスに近付いて自分の(ありもしない)過去を聞こうとする。面白がったアリスが宮本君の疑問に適当に応えるうちに・・・というわけだ。
この作品で日本映画プロフェッショナル大賞の主演女優賞を獲ったという、蒼井優の自然な演技が素晴らしい。ぶっきらぼうだったり、可愛かったり、男の子のような言葉遣いも今風の女子高生みたいで面白い。
ふせえり扮する芸能事務所のスタッフにスカウトされたアリスが、仕事のオーディションを受けるシーンが何回かあるが、最後にみせるバレエのシーンで、紙コップをトゥシューズ替わりにするのが印象的だった。
ハナの母親役が相田翔子。
最初アリスとレストランで偶然会った時には、新しいボーイフレンド(阿部寛)とデート中だったので隣のおばさんのフリをする、とぼけたお母さんでした。
木村多江はハナとアリスが通うバレエ教室の先生。
その他にも多彩な人々が出演していますが、皆さん映画の雰囲気を壊さないように自然な風情でおさまっておられました。
少しエピソードを削って、20~30分短くしたら、★もう一個あげたくなるような作品でした。
尚、岩井俊二監督は、脚本以外にも編集、音楽も担当され、プロデューサーでもあったようです。才人ですな。
初めての岩井俊二作品。名前は知っていたけど、どんな映画を撮る人かも知らずに、去年の11月にNHK-BS放送を録画していたのを観てみました。観ているうちに、この映画、昔TVCMか何かでよく見かけていたのを思い出しました。
鈴木杏扮する荒井花、通称ハナと、蒼井優扮する有栖川徹子、通称アリスという二人の少女が主人公。二人は仲良しの中学生で、オープニングでは二人が電車通学するシーンがテレビコマーシャルのような感覚の映像で流れ、こんなんで2時間持つんかいなと思っていましたら、なんとなんと、時にクラシックのような、時にほんわか漫画チックなムードのBGMと、ジャンプカットを混ぜてスルスルと展開していくストーリーに、いつの間にやら映画の中にのめり込んでしまいました。
CM撮影のようなカメラワークを劇映画に使うと、観る方もカメラの存在が気になってストーリーに入っていけないことがままありますが、この作品はそのような感覚になりませんでした。俳優達の演技、特に台詞廻しが自然で、ドキュメンタリーのような雰囲気もあるからでしょう。
紗のかかったような画面はフランス映画のようでもあり、アリスが離婚後の父親(平泉成)と一日を過ごした後の駅での別れのシーンは、まさにクロード・ルルーシュのような感覚の映像で、この親子のシークエンスは作品中でもお気に入りの一幕となりました。
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二人の中学生は序盤で同じ高校に進学して、ハナは以前より電車通学で見かけていた男子高校生、宮本君を探しに落研(おちけん)を訪れる。電車の中で落語の本を読んでいる宮本君を見ていたので見当をつけていたからだが、案の定、宮本君は二人しかしない部員の一人だった。かくして、ハナは落研の紅一点となる。
下校する宮本君の後をつけるハナ。本を読みながら歩いていた宮本君は、とある民家のシャッターに頭をぶつけ倒れてしまう。あわてて駆け寄るハナは、『あんた、誰?』という宮本君に、とっさに『私は先輩の彼女ですよ』とウソをついてしまう。
『先輩、記憶喪失になったんですか!?』
こうして、奇妙なとっかかりで二人はつきあい始めるが、やがてそれはアリスをも巻き込む三角関係に発展する・・・。
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ハナの嘘がいつばれるか、というのがとりあえず興味を惹くところですが、調子の悪くなったハナのパソコンを宮本君が修理していて、HDDに自分の昔の写真を見つけるのが嘘の上塗りの始まり。
先輩にはアリスという元カノがいて、ハナに奪われそうになったので、自分の彼氏だと主張するためにアリスが写真を置いていったのだとハナは説明する。そこで、アリスのことも覚えていない宮本君は、アリスに近付いて自分の(ありもしない)過去を聞こうとする。面白がったアリスが宮本君の疑問に適当に応えるうちに・・・というわけだ。
この作品で日本映画プロフェッショナル大賞の主演女優賞を獲ったという、蒼井優の自然な演技が素晴らしい。ぶっきらぼうだったり、可愛かったり、男の子のような言葉遣いも今風の女子高生みたいで面白い。
ふせえり扮する芸能事務所のスタッフにスカウトされたアリスが、仕事のオーディションを受けるシーンが何回かあるが、最後にみせるバレエのシーンで、紙コップをトゥシューズ替わりにするのが印象的だった。
ハナの母親役が相田翔子。
最初アリスとレストランで偶然会った時には、新しいボーイフレンド(阿部寛)とデート中だったので隣のおばさんのフリをする、とぼけたお母さんでした。
木村多江はハナとアリスが通うバレエ教室の先生。
その他にも多彩な人々が出演していますが、皆さん映画の雰囲気を壊さないように自然な風情でおさまっておられました。
少しエピソードを削って、20~30分短くしたら、★もう一個あげたくなるような作品でした。
尚、岩井俊二監督は、脚本以外にも編集、音楽も担当され、プロデューサーでもあったようです。才人ですな。
・お薦め度【★★★=一度は見ましょう】
1970年、ロバート・マリガン監督作、「おもいでの夏【Summer of '42】」。
約2年前、この映画について書きましたが、それは30年以上前に映画館で見たのを思い出しながらのもので、その後ツタヤでDVDを見つけまして、今夏ようやく数十年ぶりに再見しました。
改めて見ると、やはり記憶だけで書いた文章には色々と間違いもありますな。その辺の修正を兼ねつつ、今回は徒然に・・・。
勿論、未見の方には“ネタバレ注意”です。
<数十年後の彼がこの地を訪れて、当時を思い出すという形式で始まったと思う。>
中年になったハーミーの後ろ姿が出てきたように思ってましたが、そんなシーンはありませなんだ。どうやら、小説の方を勝手に映像化していたようです。(笑)
思い出を語っているというスタイルは間違ってなく、紗をかけたようなスチール写真のオープニング・タイトルが終わった後、大人のハーミーのナレーションが始まります。
<二人の友達がいて、一人はジャイアンのように体が大きい少年で、確か名前はオジー。>
映画ではオスキーと呼ばれてました。多分、小説の方がオジーだったような。もう一人の友達、ベンジーは間違ってなかったですけど。
三人組を彼らは自ら「テリブル・トリオ」と呼んでいて、いつも三人で浜辺なんかをウロウロしている。
女性に関して、てんでお子ちゃま的発言しかしないベンジーをオスキーは心配するが、ベンジーは自分は何でも知っていると言う。『だって、本で見たもん。』
ベンジーの家に、性交についての手順を写真入りで解説した医学書があって、オスキーとハーミーはベンジーに持ち出させる。中盤の浜辺のデートの前には、もう一度持ち出させて、ハーミーの部屋でオスキーが重要部分を書き写す。
そういえばこの青春映画、彼ら少年たちの家族については、台詞の中で紹介するだけで出演シーンはありませんでしたな。ハーミーの母親だけは一瞬、声が聞こえますが。
<『AもBもすんだ。C(?)、D(?)・・・もうどこだかわから~ん!』>
解説書ではSEXを12段階に分けていて、第6ポイントは「前偽」。浜辺でのデート中のオスキーの途中報告が『俺は第6ポイントなんだが、ミリアム(彼女)はもう第9ポイントなんだ。』でした。
自前のゴムが破れてしまったオスキーがハーミーに新品をもらいに来、その後再び、今度はフラフラになりながらやって来たオスキーに『12ポイントまでいったのか?』とハーミーが聞く。オスキー曰く、『12ポイント? もっと奥があるのさ。13ポイント、14・・・15・・・』
少女達との最初の出逢いは映画館。オスキーが三人組の女の子に声をかけ、ベンジーは恐れをなして帰ってしまう。女の子の方も太めのグロリアが気を利かして帰っていき、オスキーはミリアムと、ハーミーはアギーとカップルになる。原作通り、映画館の中でハーミーがアギーの腕をおっぱいと間違えて、11分もさすってしまうというエピソードがありました。
<船から降りてくる美しいドロシーを見たハーミーは、・・・>
これも間違いでした。船絡みのエピソードは出征する夫を見送る時で、これはハーミーがドロシーを2回目に見かけるシーンです。
最初の出会いは映画の冒頭で、三人組が若夫婦の様子を砂浜から覗き見するシーン。海辺の高台の家の前で夫は薪割をしていて、やって来たドロシーを抱きかかえて家の中に入っていく。オスキー曰く、「これからベッドへ行くんだぞ。」
3回目は、三人組がビーチをぶらついている所へドロシーが水着で日光浴に来るシーン。オスキーにけしかけられたハーミーが、横になっている眩しすぎるドロシーに近付くも、オスキー達が卑猥な言葉をかけたためにハーミーは逃げ出し、あとでオスキーと殴り合いのケンカをする。
4回目は、初めて会話をかわすシーン。母親に言われて新聞と雑誌を買いに出かけたハーミーが、買い物袋を抱えきれなくなって困っているドロシーを見かけ、「手伝いましょうか」。なんか、お約束のシチュエーションだけど、少年がドキドキしただろう事はよ~く分かります。
5回目は、例の映画館でオスキーやアギーと並んでいるところに、映画を見終わったドロシーが声をかけるシーン。『家で手伝って欲しいことがあるんだけど、木曜日の10時に来れるかしら?』
6回目は、そのドロシー宅の訪問シーンで、用事は不要な荷物を屋根裏に片付けるという仕事。家での彼女は肌の露出が多いスタイルで、お駄賃を受け取らないハーミーに、それではと額にキスをする。“さわやか美しい系”のジェニファー・オニールでなかったら、スケベな若妻に見えなくもないエピソードでしたな。
因みに、デートで上映中の映画は、ベティ・デイヴィス主演の「情熱の航路(1942)」(=未見)でした。
7回目は、砂浜のデートでオスキーとミリアムの衝撃シーンを目の当たりにしたハーミーが、次の日の朝、浜辺を散歩していて家の前で手紙を書いているドロシーを見つけるシーン。
ドロシーは戦地の旦那さん宛てに手紙を書いていて、ハーミーは『今夜、この近くに来る用事があるんだけど、家にお邪魔してもいいですか?』と尋ねる。夜に人妻の家に行くって何の目的?っとか思うけど、とにかくそんな事でした。小説を読めば、どんな訳だったか書いてあるでしょうが、忘れてます。
この時、ハーミーは初めて彼女の名前が「ドロシー」であることを知る。『僕が飼っていた猫も“ドロシー”でした。車に轢かれて死んじゃったけど。』
そしてその夜が、映画のハイライト、ハーミー童貞喪失の夜となります。
愛する夫の突然の訃報に涙にくれる人妻と、ご近所の彼女を慕う少年。
ハーミーの手前、気丈にも平静をとり繕うドロシーだったが、彼のお悔やみの言葉に、つい甘えてしまう。同じ背格好の彼の腰に手を廻し、肩に顔を埋める。かかっていたレコードの曲に合わせて、どちらからともなくゆっくりと踊りだす。ドロシーの悲しみがハーミーにも伝わり、同じように涙する。やがて、ドロシーはハーミーの唇にキスをし、誘うように手を取って寝室へ。そして、促すようにハーミーの上着を取る・・・。
この間映画は15分程、二人の殆ど無言の演技が続きます。
ドロシーが先にベッドを出、後から神妙な面もちのハーミーが居間に入ってくる。やはり無言。ポーチで煙草の煙を燻らせる彼女の横を、ハーミーは波の音だけが響く浜辺へ帰って行く。『Good night』、『Good night,Hermie』。
憂いに満ちたジェニファー・オニールの涙顔が印象に残ります。
「ハーミーへ。わたしは実家に帰ります。
わかって下さい。せめてもの置き手紙です。
昨夜のことは弁解しません。時がたてばあなたにも分かるでしょう。
わたしは、あなたを思い出にとどめ、あなたが苦しまないことを望んでいます。
幸せになって下さい。ただ、それだけを祈っています。
さようなら。ドロシー。」
この記事のタイトルは、最後のナレーションでハーミーが語った言葉です。
初めて名前を知ったその日に最も親密になったのに、次の日には永遠と思われるような別れが待っていた。ドロシーの家を遠く眺めるハーミーの後ろ姿に、喪失感の深さを感じました。
そして、人生の残酷さ、人間の不可解さをも知った、ハーミー少年の最後の夏でした。
約2年前、この映画について書きましたが、それは30年以上前に映画館で見たのを思い出しながらのもので、その後ツタヤでDVDを見つけまして、今夏ようやく数十年ぶりに再見しました。
改めて見ると、やはり記憶だけで書いた文章には色々と間違いもありますな。その辺の修正を兼ねつつ、今回は徒然に・・・。
勿論、未見の方には“ネタバレ注意”です。
<数十年後の彼がこの地を訪れて、当時を思い出すという形式で始まったと思う。>
中年になったハーミーの後ろ姿が出てきたように思ってましたが、そんなシーンはありませなんだ。どうやら、小説の方を勝手に映像化していたようです。(笑)
思い出を語っているというスタイルは間違ってなく、紗をかけたようなスチール写真のオープニング・タイトルが終わった後、大人のハーミーのナレーションが始まります。
<二人の友達がいて、一人はジャイアンのように体が大きい少年で、確か名前はオジー。>
映画ではオスキーと呼ばれてました。多分、小説の方がオジーだったような。もう一人の友達、ベンジーは間違ってなかったですけど。
三人組を彼らは自ら「テリブル・トリオ」と呼んでいて、いつも三人で浜辺なんかをウロウロしている。
女性に関して、てんでお子ちゃま的発言しかしないベンジーをオスキーは心配するが、ベンジーは自分は何でも知っていると言う。『だって、本で見たもん。』
ベンジーの家に、性交についての手順を写真入りで解説した医学書があって、オスキーとハーミーはベンジーに持ち出させる。中盤の浜辺のデートの前には、もう一度持ち出させて、ハーミーの部屋でオスキーが重要部分を書き写す。
そういえばこの青春映画、彼ら少年たちの家族については、台詞の中で紹介するだけで出演シーンはありませんでしたな。ハーミーの母親だけは一瞬、声が聞こえますが。
<『AもBもすんだ。C(?)、D(?)・・・もうどこだかわから~ん!』>
解説書ではSEXを12段階に分けていて、第6ポイントは「前偽」。浜辺でのデート中のオスキーの途中報告が『俺は第6ポイントなんだが、ミリアム(彼女)はもう第9ポイントなんだ。』でした。
自前のゴムが破れてしまったオスキーがハーミーに新品をもらいに来、その後再び、今度はフラフラになりながらやって来たオスキーに『12ポイントまでいったのか?』とハーミーが聞く。オスキー曰く、『12ポイント? もっと奥があるのさ。13ポイント、14・・・15・・・』
少女達との最初の出逢いは映画館。オスキーが三人組の女の子に声をかけ、ベンジーは恐れをなして帰ってしまう。女の子の方も太めのグロリアが気を利かして帰っていき、オスキーはミリアムと、ハーミーはアギーとカップルになる。原作通り、映画館の中でハーミーがアギーの腕をおっぱいと間違えて、11分もさすってしまうというエピソードがありました。
<船から降りてくる美しいドロシーを見たハーミーは、・・・>
これも間違いでした。船絡みのエピソードは出征する夫を見送る時で、これはハーミーがドロシーを2回目に見かけるシーンです。
最初の出会いは映画の冒頭で、三人組が若夫婦の様子を砂浜から覗き見するシーン。海辺の高台の家の前で夫は薪割をしていて、やって来たドロシーを抱きかかえて家の中に入っていく。オスキー曰く、「これからベッドへ行くんだぞ。」
3回目は、三人組がビーチをぶらついている所へドロシーが水着で日光浴に来るシーン。オスキーにけしかけられたハーミーが、横になっている眩しすぎるドロシーに近付くも、オスキー達が卑猥な言葉をかけたためにハーミーは逃げ出し、あとでオスキーと殴り合いのケンカをする。
4回目は、初めて会話をかわすシーン。母親に言われて新聞と雑誌を買いに出かけたハーミーが、買い物袋を抱えきれなくなって困っているドロシーを見かけ、「手伝いましょうか」。なんか、お約束のシチュエーションだけど、少年がドキドキしただろう事はよ~く分かります。
5回目は、例の映画館でオスキーやアギーと並んでいるところに、映画を見終わったドロシーが声をかけるシーン。『家で手伝って欲しいことがあるんだけど、木曜日の10時に来れるかしら?』
6回目は、そのドロシー宅の訪問シーンで、用事は不要な荷物を屋根裏に片付けるという仕事。家での彼女は肌の露出が多いスタイルで、お駄賃を受け取らないハーミーに、それではと額にキスをする。“さわやか美しい系”のジェニファー・オニールでなかったら、スケベな若妻に見えなくもないエピソードでしたな。
因みに、デートで上映中の映画は、ベティ・デイヴィス主演の「情熱の航路(1942)」(=未見)でした。
7回目は、砂浜のデートでオスキーとミリアムの衝撃シーンを目の当たりにしたハーミーが、次の日の朝、浜辺を散歩していて家の前で手紙を書いているドロシーを見つけるシーン。
ドロシーは戦地の旦那さん宛てに手紙を書いていて、ハーミーは『今夜、この近くに来る用事があるんだけど、家にお邪魔してもいいですか?』と尋ねる。夜に人妻の家に行くって何の目的?っとか思うけど、とにかくそんな事でした。小説を読めば、どんな訳だったか書いてあるでしょうが、忘れてます。
この時、ハーミーは初めて彼女の名前が「ドロシー」であることを知る。『僕が飼っていた猫も“ドロシー”でした。車に轢かれて死んじゃったけど。』
そしてその夜が、映画のハイライト、ハーミー童貞喪失の夜となります。
愛する夫の突然の訃報に涙にくれる人妻と、ご近所の彼女を慕う少年。
ハーミーの手前、気丈にも平静をとり繕うドロシーだったが、彼のお悔やみの言葉に、つい甘えてしまう。同じ背格好の彼の腰に手を廻し、肩に顔を埋める。かかっていたレコードの曲に合わせて、どちらからともなくゆっくりと踊りだす。ドロシーの悲しみがハーミーにも伝わり、同じように涙する。やがて、ドロシーはハーミーの唇にキスをし、誘うように手を取って寝室へ。そして、促すようにハーミーの上着を取る・・・。
この間映画は15分程、二人の殆ど無言の演技が続きます。
ドロシーが先にベッドを出、後から神妙な面もちのハーミーが居間に入ってくる。やはり無言。ポーチで煙草の煙を燻らせる彼女の横を、ハーミーは波の音だけが響く浜辺へ帰って行く。『Good night』、『Good night,Hermie』。
憂いに満ちたジェニファー・オニールの涙顔が印象に残ります。
「ハーミーへ。わたしは実家に帰ります。
わかって下さい。せめてもの置き手紙です。
昨夜のことは弁解しません。時がたてばあなたにも分かるでしょう。
わたしは、あなたを思い出にとどめ、あなたが苦しまないことを望んでいます。
幸せになって下さい。ただ、それだけを祈っています。
さようなら。ドロシー。」
この記事のタイトルは、最後のナレーションでハーミーが語った言葉です。
初めて名前を知ったその日に最も親密になったのに、次の日には永遠と思われるような別れが待っていた。ドロシーの家を遠く眺めるハーミーの後ろ姿に、喪失感の深さを感じました。
そして、人生の残酷さ、人間の不可解さをも知った、ハーミー少年の最後の夏でした。
(2004/監督・共同脚本:井筒和幸/塩谷瞬、高岡蒼佑、沢尻エリカ、楊原京子、尾上寛之、真木よう子、小出恵介、波岡一喜、オダギリジョー、光石研、加瀬亮、キムラ緑子、余貴美子、大友康平、前田吟、笑福亭松之助、ぼんちおさむ、笹野高史、松澤一之/119分)
日本における戦後最大のヒット曲は1976年に発売された「♪およげたいやきくん」だが、それまでの記録を持っていたのがザ・フォーク・クルセダーズの「♪帰ってきたヨッパライ」だった。68年に発売された「♪帰ってきたヨッパライ」は早回しを使ったコミカルな歌で、生では出せない歌声なのでTVではマリオネットの人形が唄ったりした。
その後、フォークル(=ザ・フォーク・クルセダーズ)は前作とうって変わって叙情的なメロディーの曲を出す。ところが、このシングル第2弾はアッという間に発売中止になり、テレビは勿論、ラジオでさえも放送されなくなった。中止の理由は、元歌が北朝鮮の曲だったから。
タイトルは「♪イムジン河」。「パッチギ!」の主題曲である。
映画の公開に前後して三十数年ぶりに聞くことができた。懐かしかった。
音楽担当は元フォークルの加藤和彦。当時、奈良の高校生だった井筒監督にも思い出深い楽曲ばかりだと思うが、映画の中でも非常に効果的な使われ方をしていて、このオジさんも(←私のことであります^^)終盤でオダギリ・ジョーが唄う「♪悲しくてやりきれない」、塩谷瞬扮する康介がラジオの勝ち抜き歌合戦で唄う「♪イムジン河」が流れるシーンでは、2度見て2度とも泣いてしまいました。
三つ、或いは四つのシークエンスをカットバックを使って上手く構成したこのシーンは、歌の効果もあって感動もの。昭和40年代にティーンエイジャーだったオジさん、オバさん向けに、お薦め度★一個おまけいたしました。
「パッチギ!」は1968年の京都が舞台。
「♪イムジン河」の作詞者である松山猛氏の原案による物語との事で、主役の高校生の名前が“松山”康介だから、ご本人の体験談が元になっているのでしょう。
修学旅行で京都に来ている九州の男子高校生が当地の朝鮮高校の女生徒をからかい、それを聞きつけた男子朝高生が大挙して押しかけ、件の男子高校生を殴り修学旅行のバスを横転させるという事件が発生する。たまたま通りかかり事件に巻き込まれた康介は、そこで可愛い朝鮮高校の女生徒キョンジャ(沢尻)に出逢い、惹かれる。
新聞沙汰になったこの事件を嘆いた革命かぶれの康介の担任(光石)は、朝鮮高校との親善サッカー試合を提案し、康介を試合申し込みの使者に指名する。友人と朝高へ出向いた康介は、ブラスバンドでフルートを吹いているキョンジャと再会し、バンドが演奏していた美しい曲にも聴き入ってしまう。それが「♪イムジン河」だった。
南北に国を分断された朝鮮半島で、イムジン河の北、北朝鮮の人々が河の南にある故郷を想って唄った曲だという。この映画では、日本人と朝鮮人との溝を憂うものになっている。
キョンジャとの再会後、楽器店にギターを買いに来た康介は、そこで大学生坂崎(オダギリ)に会い、ブラスバンドが演奏していた曲が「♪イムジン河」である事、フォークルのレコードが発売されたがすぐに中止になったことなどを教えてもらう。坂崎にギターを習い、フォークルのコンサートが近々あることを聞き、思い切ってキョンジャを誘ってみるが、当日は自分たちのコンサートがあるからと断られる。
キョンジャのコンサートは本当はウソで、そこはキョンジャの兄アンソン(高岡)の送別会の場所だった。ギターを抱えてやって来た康介はキョンジャと「♪イムジン河」を合奏し、朝鮮の大人達とも話が出来るようになるのだが・・・。
タイトルの“パッチギ”とは<ハングル語で“突き破る、乗り越える”という意味。また“頭突き”の意味も持つ。>とのこと。
キョンジャの兄が朝高の番長で、日夜、日本の“花の応援団”連中とドツキアイを続けていて、報復の連鎖が何度かあった後、終盤での日本の関西連合との賀茂川での乱闘がクライマックスになっている。暴力シーンが多いので、映倫ではPG-12指定。
ケンカのシーンはドタバタコメディに近いですがね。
▼(ネタバレ注意)
前述した泣けたシーンの中でも特に印象的だったショット。オダギリの「♪悲しくてやりきれない」が流れるシーンだ。
アンソンの後輩がケンカ絡みの交通事故で亡くなり、その葬式の夜のこと。既に友達になっていた康介も出席するが、つまらない失敗を犯し、朝鮮人の大人に『日本人は帰れ』となじられる。キョンジャも声をかけることが出来ず、康介は一人ギターを抱えて日本人街へ帰っていく。一方、アンソンたちは弔い合戦をやろうと仲間を集め始める。
そんな中、街を走る夜のバスの中で、アンソンの子供を宿した桃子(楊原)が最後尾の座席で破水してしまう。『堪忍して』とお腹の赤ん坊に声をかける桃子。そして、そのバスの横を車に乗ったアンソン等が雄叫びを挙げながらケンカに向かっている・・・。
このバスの中で痛みをこらえる桃子と、何も知らずにその横を通り過ぎるアンソンのショットは生きることの辛さや哀しみを感じさせる強烈なものでした。
朝鮮からの帰り道、ラジオの歌合戦に出るために持ってきたギターを、橋の上で泣きながら壊してしまう康介の姿もやるせない。葬式会場のすぐ外では、そんな康介を想ってキョンジャも泣いている。
▲(解除)
初めて見た井筒作品で、脚本(共同脚本:羽原大介)も書いているせいか、俳優達の関西弁の台詞回しがTVでの監督の印象通りなのが笑えます。
「てなもんや三度笠」、「三匹の侍」、「♪困っちゃうな」、「♪アンコ椿は恋の花」、グループ・サウンズ、ベトナム戦争、キング牧師、フリーセックス、大橋巨泉、11PM、平凡パンチ、学生運動、ヒッピー・・・etc
時代色がよ~く出ています。
2005年度日本アカデミー賞では、作品賞と監督賞、脚本賞にノミネート。関西弁に親近感があって、「ALWAYS 三丁目の夕日」より面白かったなぁ。
ネット情報によると、「♪悲しくてやりきれない」は、発売中止になった「♪イムジン河」のコード進行を逆走する事で生まれたメロディーとのことでした。
尚、私が通った高校のある街にも朝鮮高校を含めて四つの高校がありましたが、この映画のような抗争は聞いたことがありません。
日本における戦後最大のヒット曲は1976年に発売された「♪およげたいやきくん」だが、それまでの記録を持っていたのがザ・フォーク・クルセダーズの「♪帰ってきたヨッパライ」だった。68年に発売された「♪帰ってきたヨッパライ」は早回しを使ったコミカルな歌で、生では出せない歌声なのでTVではマリオネットの人形が唄ったりした。
その後、フォークル(=ザ・フォーク・クルセダーズ)は前作とうって変わって叙情的なメロディーの曲を出す。ところが、このシングル第2弾はアッという間に発売中止になり、テレビは勿論、ラジオでさえも放送されなくなった。中止の理由は、元歌が北朝鮮の曲だったから。
タイトルは「♪イムジン河」。「パッチギ!」の主題曲である。
映画の公開に前後して三十数年ぶりに聞くことができた。懐かしかった。
音楽担当は元フォークルの加藤和彦。当時、奈良の高校生だった井筒監督にも思い出深い楽曲ばかりだと思うが、映画の中でも非常に効果的な使われ方をしていて、このオジさんも(←私のことであります^^)終盤でオダギリ・ジョーが唄う「♪悲しくてやりきれない」、塩谷瞬扮する康介がラジオの勝ち抜き歌合戦で唄う「♪イムジン河」が流れるシーンでは、2度見て2度とも泣いてしまいました。
三つ、或いは四つのシークエンスをカットバックを使って上手く構成したこのシーンは、歌の効果もあって感動もの。昭和40年代にティーンエイジャーだったオジさん、オバさん向けに、お薦め度★一個おまけいたしました。
「パッチギ!」は1968年の京都が舞台。
「♪イムジン河」の作詞者である松山猛氏の原案による物語との事で、主役の高校生の名前が“松山”康介だから、ご本人の体験談が元になっているのでしょう。
修学旅行で京都に来ている九州の男子高校生が当地の朝鮮高校の女生徒をからかい、それを聞きつけた男子朝高生が大挙して押しかけ、件の男子高校生を殴り修学旅行のバスを横転させるという事件が発生する。たまたま通りかかり事件に巻き込まれた康介は、そこで可愛い朝鮮高校の女生徒キョンジャ(沢尻)に出逢い、惹かれる。
新聞沙汰になったこの事件を嘆いた革命かぶれの康介の担任(光石)は、朝鮮高校との親善サッカー試合を提案し、康介を試合申し込みの使者に指名する。友人と朝高へ出向いた康介は、ブラスバンドでフルートを吹いているキョンジャと再会し、バンドが演奏していた美しい曲にも聴き入ってしまう。それが「♪イムジン河」だった。
南北に国を分断された朝鮮半島で、イムジン河の北、北朝鮮の人々が河の南にある故郷を想って唄った曲だという。この映画では、日本人と朝鮮人との溝を憂うものになっている。
キョンジャとの再会後、楽器店にギターを買いに来た康介は、そこで大学生坂崎(オダギリ)に会い、ブラスバンドが演奏していた曲が「♪イムジン河」である事、フォークルのレコードが発売されたがすぐに中止になったことなどを教えてもらう。坂崎にギターを習い、フォークルのコンサートが近々あることを聞き、思い切ってキョンジャを誘ってみるが、当日は自分たちのコンサートがあるからと断られる。
キョンジャのコンサートは本当はウソで、そこはキョンジャの兄アンソン(高岡)の送別会の場所だった。ギターを抱えてやって来た康介はキョンジャと「♪イムジン河」を合奏し、朝鮮の大人達とも話が出来るようになるのだが・・・。
タイトルの“パッチギ”とは<ハングル語で“突き破る、乗り越える”という意味。また“頭突き”の意味も持つ。>とのこと。
キョンジャの兄が朝高の番長で、日夜、日本の“花の応援団”連中とドツキアイを続けていて、報復の連鎖が何度かあった後、終盤での日本の関西連合との賀茂川での乱闘がクライマックスになっている。暴力シーンが多いので、映倫ではPG-12指定。
ケンカのシーンはドタバタコメディに近いですがね。
▼(ネタバレ注意)
前述した泣けたシーンの中でも特に印象的だったショット。オダギリの「♪悲しくてやりきれない」が流れるシーンだ。
アンソンの後輩がケンカ絡みの交通事故で亡くなり、その葬式の夜のこと。既に友達になっていた康介も出席するが、つまらない失敗を犯し、朝鮮人の大人に『日本人は帰れ』となじられる。キョンジャも声をかけることが出来ず、康介は一人ギターを抱えて日本人街へ帰っていく。一方、アンソンたちは弔い合戦をやろうと仲間を集め始める。
そんな中、街を走る夜のバスの中で、アンソンの子供を宿した桃子(楊原)が最後尾の座席で破水してしまう。『堪忍して』とお腹の赤ん坊に声をかける桃子。そして、そのバスの横を車に乗ったアンソン等が雄叫びを挙げながらケンカに向かっている・・・。
このバスの中で痛みをこらえる桃子と、何も知らずにその横を通り過ぎるアンソンのショットは生きることの辛さや哀しみを感じさせる強烈なものでした。
朝鮮からの帰り道、ラジオの歌合戦に出るために持ってきたギターを、橋の上で泣きながら壊してしまう康介の姿もやるせない。葬式会場のすぐ外では、そんな康介を想ってキョンジャも泣いている。
▲(解除)
初めて見た井筒作品で、脚本(共同脚本:羽原大介)も書いているせいか、俳優達の関西弁の台詞回しがTVでの監督の印象通りなのが笑えます。
「てなもんや三度笠」、「三匹の侍」、「♪困っちゃうな」、「♪アンコ椿は恋の花」、グループ・サウンズ、ベトナム戦争、キング牧師、フリーセックス、大橋巨泉、11PM、平凡パンチ、学生運動、ヒッピー・・・etc
時代色がよ~く出ています。
2005年度日本アカデミー賞では、作品賞と監督賞、脚本賞にノミネート。関西弁に親近感があって、「ALWAYS 三丁目の夕日」より面白かったなぁ。
ネット情報によると、「♪悲しくてやりきれない」は、発売中止になった「♪イムジン河」のコード進行を逆走する事で生まれたメロディーとのことでした。
尚、私が通った高校のある街にも朝鮮高校を含めて四つの高校がありましたが、この映画のような抗争は聞いたことがありません。
・お薦め度【★★★★=フォークル世代の皆さん、友達にも薦めて】
個別に“お薦め度”を追記していて、過去のモノの中には当然悩ましい作品があります。
ピーター・イェーツの「ジョンとメリー」もそんな一つ。【★★★★=友達にも薦めて】にするか、【★★★★★=大いに見るべし!】でいくか。気分的には【★★★★★=大いに見るべし!】にしたいけど確たるものが欲しい。
で、再見することに決定!
結果は【★★★★★=大いに見るべし!】。やっぱ良いわ♪
【★★★★★=若いカップル、大いに見るべし!】って最初は考えたけど、“カップル”は最近の人は使わんだろうと、別の表現に変えました。我ながら気いつかいです
さて、最初の記事の時に疑問としていたこと。
>『メリーの綴りは?』とジョンが聞くと『Murry』と答えるんだが、クレジットでは「Mary」だ。どういう意味なんだろう?
英語翻訳ソフトで確認したら、『Murry』は男性の名前に使用される「マリー」の事らしい。だからその後、二人してクスクス笑ってたんだな。
ン? 男で「マリー」って居るの? あんまり聞かないけどね。ま、そんなことでした。
あと、“お薦め度”で気になってるのは「男と女」。これも長い作品じゃないから、近々再見してみましょう。
ピーター・イェーツの「ジョンとメリー」もそんな一つ。【★★★★=友達にも薦めて】にするか、【★★★★★=大いに見るべし!】でいくか。気分的には【★★★★★=大いに見るべし!】にしたいけど確たるものが欲しい。
で、再見することに決定!
結果は【★★★★★=大いに見るべし!】。やっぱ良いわ♪
【★★★★★=若いカップル、大いに見るべし!】って最初は考えたけど、“カップル”は最近の人は使わんだろうと、別の表現に変えました。我ながら気いつかいです
さて、最初の記事の時に疑問としていたこと。
>『メリーの綴りは?』とジョンが聞くと『Murry』と答えるんだが、クレジットでは「Mary」だ。どういう意味なんだろう?
英語翻訳ソフトで確認したら、『Murry』は男性の名前に使用される「マリー」の事らしい。だからその後、二人してクスクス笑ってたんだな。
ン? 男で「マリー」って居るの? あんまり聞かないけどね。ま、そんなことでした。
あと、“お薦め度”で気になってるのは「男と女」。これも長い作品じゃないから、近々再見してみましょう。
■ YouTube Selection (予告編)
■ Information&Addition
※gooさんからの告知です:<「トラックバック機能」について、ご利用者数の減少およびスパム利用が多いことから、送受信ともに2017年11月27日(月)にて機能の提供を終了させていただきます>[2017.11.12]
●2007年10月にブログ名を「SCREEN」から「テアトル十瑠」に変えました。
●2021年8月にブログ名を「テアトル十瑠」から「テアトル十瑠 neo」に変えました。姉妹ブログ「つれづる十瑠」に綴っていた日々の雑感をこちらで継続することにしたからです。
●コメントは大歓迎。但し、記事に関係ないモノ、不適切と判断したモノは予告無しに削除させていただきます。
◆【著作権について】 当ブログにおける私の著作権の範囲はテキスト部分についてのみで、また他サイト等からの引用については原則< >で囲んでおります。
*
●映画の紹介、感想、関連コラム、その他諸々綴っています。
●2007年10月にブログ名を「SCREEN」から「テアトル十瑠」に変えました。
●2021年8月にブログ名を「テアトル十瑠」から「テアトル十瑠 neo」に変えました。姉妹ブログ「つれづる十瑠」に綴っていた日々の雑感をこちらで継続することにしたからです。
●コメントは大歓迎。但し、記事に関係ないモノ、不適切と判断したモノは予告無しに削除させていただきます。
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◆【管理人について】
HNの十瑠(ジュール)は、あるサイトに登録したペンネーム「鈴木十瑠」の名前部分をとったもの。由来は少年時代に沢山の愛読書を提供してくれたフランスの作家「ジュール・ヴェルヌ」を捩ったものです。
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