(2016/デイミアン・チャゼル監督/ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン/128分)
(↓Twitter on 十瑠 から(一部修正あり))
年末年始でゆっくりと「ラ・ラ・ランド」を観ようと借りてきたが、返却日の今日やっとこさ2回目を観た。意外にこのお休みもやることは色々とあったってことか。褒めてる人、貶す人が半々だったような気がしたが、僕のお薦め度も★二つ(悪くはないけどネ)と微妙だな。
[ 1月 4日 以下同じ]
デイミアン・チャゼル監督の作品はコレが初めて。終盤のタラレバ人生を見せる所で、パリに一緒に行った主人公達を描いたシーンの中、赤い風船を持った水色のシャツの少年がチラっと出てくる。あれって「赤い風船」へのオマージュだよね。この若い監督が古いフランス映画も観てたってことだ。
1回目の印象は冗長。2時間の尺だがあと半時間はあった感じだった。ストーリーの把握がより出来た今日の2回目でも、その印象はより確実になった。脚本も監督だからどうしようもないね。
カリフォルニアで若い男女がめぐり逢う。最初は互いに印象は良くない出会いだった。
女は女優志望。ハリウッドの撮影所の中のカフェで働きながらオーディションを受けまくっているが、日の目を見ない日々が続いている。
男は音楽家。ジャズを信奉し、愛好家が少なくなっている事に危機感を覚えていて、将来は良いジャズを聴かせる店を持つことが夢だが、まず資金を貯めて・・というような段取りが出来ないロマンチスト。生演奏が謳い文句のレストランでオーナーの選曲したポピュラー曲を弾けば生活には困らないのに、つい自作のメロディーを弾いて何度目かのクビを言い渡される。
幾度かの出逢いでお互いを認識し、知らず知らずに夢を語り合い惹かれ合っていく二人。
二人での生活が始まる。
女は子供の頃から脚本をものしたこともあり、男は他人の本じゃなくて自分で書けばオーディションを受ける必要もないじゃないかと意見。女は一人芝居の創作に入る。
男は音楽学校時代からの知り合いに誘われバンドのキーボード奏者となり忙しい日々に入っていく。
アルバム作成にツアーと忙しく飛び回る男と創作に没頭する女。すれ違いの日々の中で感情の行き違いが起こる。男は一緒についてきて欲しいと言い、女は一人芝居の公演の期日が迫っているのでソレは出来ないと言う。
男は『君の為に頑張っているのに』と言い、女は『あなたはあなたの夢の為にお金を稼いでいるんじゃないの!?』とアパートを飛び出す。
女の一人芝居の公演は空席だらけで劇場の使用料も払えずに赤字確定。観劇を約束していた男はつまらないプロモーション撮影の為に行けなくなってしまう。
この辺りの展開は今までもどこかで見た光景だし、しかも主人公たちの安っぽい思考回路が見え隠れしてげんなりする。
アパートに一人残った男のもとに彼女宛に映画のプロデューサーから電話が入る。予定されている大作への出演オファーだった。先日の一人芝居を評価していたのだ。
男は女の実家を探してこの事を伝える。女は男の熱意にほだされハリウッドに再び向かう。オファーは確実なモノとなった。
撮影の為に女はパリに向かう。男が本物のジャズが聴ける街だと言っていたパリへ。
そして五年・・・。
▼(ネタバレ注意)
女は女優として成功し、ハリウッドに豪邸を構え夫と幼子と暮していた。
ある日、シッターに子供を預けて夫婦は外食に出かける。
渋滞が酷い高速を降りて市街地へ行くと、こじゃれた感じのお店が。店のネオンサインで女は気付く。彼の店だ。
夫に気付かれないようにドキドキしながら席に着くと、案の定彼が出てきた。五年の間に男も夢をかなえていたのだ。
ピアノに向かう男も女に気付く。そして鍵盤に指を添える。
男が選んだのは二人の想い出のあの曲だった。
▲(解除)
無言で再会した二人の為に男が演奏しながら、それまでの二人の人生を反芻し、別の選択をしていたらというタラレバ人生が流れてくるけれど、あれって無駄だよね。あそこで感激した人もいるみたいだけど、僕には疑問だった。
あの時別の道を選んだらって考えてしまうシチュエーションっていうのは今までも色々と見たけれど、まんま描いてしまうのは珍しい。「天使のくれた時間」のタラレバ人生は、リアル人生を見直すために必要だったけど、この映画のは何?何の為?
ていうか、そんな事よりももっと疑問なのは、なんで5年間もの間、音信不通だったかって事だ。
だって、この間に交流があったならば、そこを描いた方が濃いドラマになるはずだし、描いてないってことは音信不通だったってことでしょう。
この映画の最大の謎はそこだ。
細かく言えばもっと文句はあるけれど、誰も聞きたくないでしょうから止めておきます。
唯一気に入ったのは流れてくるジャズのシーンの曲が心地よかった事。勿論、主題曲のあのメロディーも大好きです。
(↓Twitter on 十瑠 から(一部修正あり))
年末年始でゆっくりと「ラ・ラ・ランド」を観ようと借りてきたが、返却日の今日やっとこさ2回目を観た。意外にこのお休みもやることは色々とあったってことか。褒めてる人、貶す人が半々だったような気がしたが、僕のお薦め度も★二つ(悪くはないけどネ)と微妙だな。
[ 1月 4日 以下同じ]
デイミアン・チャゼル監督の作品はコレが初めて。終盤のタラレバ人生を見せる所で、パリに一緒に行った主人公達を描いたシーンの中、赤い風船を持った水色のシャツの少年がチラっと出てくる。あれって「赤い風船」へのオマージュだよね。この若い監督が古いフランス映画も観てたってことだ。
1回目の印象は冗長。2時間の尺だがあと半時間はあった感じだった。ストーリーの把握がより出来た今日の2回目でも、その印象はより確実になった。脚本も監督だからどうしようもないね。
*
カリフォルニアで若い男女がめぐり逢う。最初は互いに印象は良くない出会いだった。
女は女優志望。ハリウッドの撮影所の中のカフェで働きながらオーディションを受けまくっているが、日の目を見ない日々が続いている。
男は音楽家。ジャズを信奉し、愛好家が少なくなっている事に危機感を覚えていて、将来は良いジャズを聴かせる店を持つことが夢だが、まず資金を貯めて・・というような段取りが出来ないロマンチスト。生演奏が謳い文句のレストランでオーナーの選曲したポピュラー曲を弾けば生活には困らないのに、つい自作のメロディーを弾いて何度目かのクビを言い渡される。
幾度かの出逢いでお互いを認識し、知らず知らずに夢を語り合い惹かれ合っていく二人。
二人での生活が始まる。
女は子供の頃から脚本をものしたこともあり、男は他人の本じゃなくて自分で書けばオーディションを受ける必要もないじゃないかと意見。女は一人芝居の創作に入る。
男は音楽学校時代からの知り合いに誘われバンドのキーボード奏者となり忙しい日々に入っていく。
アルバム作成にツアーと忙しく飛び回る男と創作に没頭する女。すれ違いの日々の中で感情の行き違いが起こる。男は一緒についてきて欲しいと言い、女は一人芝居の公演の期日が迫っているのでソレは出来ないと言う。
男は『君の為に頑張っているのに』と言い、女は『あなたはあなたの夢の為にお金を稼いでいるんじゃないの!?』とアパートを飛び出す。
女の一人芝居の公演は空席だらけで劇場の使用料も払えずに赤字確定。観劇を約束していた男はつまらないプロモーション撮影の為に行けなくなってしまう。
この辺りの展開は今までもどこかで見た光景だし、しかも主人公たちの安っぽい思考回路が見え隠れしてげんなりする。
アパートに一人残った男のもとに彼女宛に映画のプロデューサーから電話が入る。予定されている大作への出演オファーだった。先日の一人芝居を評価していたのだ。
男は女の実家を探してこの事を伝える。女は男の熱意にほだされハリウッドに再び向かう。オファーは確実なモノとなった。
撮影の為に女はパリに向かう。男が本物のジャズが聴ける街だと言っていたパリへ。
そして五年・・・。
▼(ネタバレ注意)
女は女優として成功し、ハリウッドに豪邸を構え夫と幼子と暮していた。
ある日、シッターに子供を預けて夫婦は外食に出かける。
渋滞が酷い高速を降りて市街地へ行くと、こじゃれた感じのお店が。店のネオンサインで女は気付く。彼の店だ。
夫に気付かれないようにドキドキしながら席に着くと、案の定彼が出てきた。五年の間に男も夢をかなえていたのだ。
ピアノに向かう男も女に気付く。そして鍵盤に指を添える。
男が選んだのは二人の想い出のあの曲だった。
▲(解除)
無言で再会した二人の為に男が演奏しながら、それまでの二人の人生を反芻し、別の選択をしていたらというタラレバ人生が流れてくるけれど、あれって無駄だよね。あそこで感激した人もいるみたいだけど、僕には疑問だった。
あの時別の道を選んだらって考えてしまうシチュエーションっていうのは今までも色々と見たけれど、まんま描いてしまうのは珍しい。「天使のくれた時間」のタラレバ人生は、リアル人生を見直すために必要だったけど、この映画のは何?何の為?
ていうか、そんな事よりももっと疑問なのは、なんで5年間もの間、音信不通だったかって事だ。
だって、この間に交流があったならば、そこを描いた方が濃いドラマになるはずだし、描いてないってことは音信不通だったってことでしょう。
この映画の最大の謎はそこだ。
細かく言えばもっと文句はあるけれど、誰も聞きたくないでしょうから止めておきます。
唯一気に入ったのは流れてくるジャズのシーンの曲が心地よかった事。勿論、主題曲のあのメロディーも大好きです。
・お薦め度【★★=悪くはないけどネ】
「ロシュフォールの恋人たち」の本記事で書き残した事と、ちょっとした雑感も書いてみます。
未見の方には“ネタバレ注意”ですネ。
この映画は3組のカップルの出会いの話で、ラストにはソランジュとアンディ、イボンヌとシモン・ダム氏は再会しますが、実はデルフィーヌとマクサンスはすれ違ったままなんですよね。“最後の最後まですれ違いが続く”と書いてますが、本当に絶対にここで逢うんだなというシーンが二つほど続いても結局はニアミスのまま残念な雰囲気が生まれて、しかし最後の最後に二人の出逢いを予感させて映画は終わるのです。
お祭りが終わって、エチエンヌのチームの踊り子の代役としてステージに立ったデルフィーヌとソランジュは、お礼にこの後パリに向かうトラックに便乗させてもらう約束をする。しかし、アンディとめぐり会ったソランジュは成り行きでキャンセルに、代わりにイボンヌのカフェで働いていた女の子が乗り込みデルフィーヌも予定通りトラックに乗る。お祭り広場で大団円の踊りが披露される中、画面はパリに向かうトラックの車列が続く街道へ。そこにはやはりパリに向かうマクサンスがヒッチハイクの車を捕まえようとしています。あぁ、ここでデルフィーヌのトラックを捕まえるんだなと思ってしまいますが、ドゥミ監督は本当に意地悪、マクサンスはデルフィーヌの乗ったトラックの2、3個前の車に乗ったのでした。
ま、同じイベント屋の一団のトラックですから、多分パリに着く頃には二人は・・・。
“あまりに身近な人の情報にも無関心なのは映画の設定としても我々日本人には不思議な感じがしないでもない”と書きました。例えばこんなところ。
ソランジュがダム氏の店に楽譜用紙を受け取りに行った時、彼は昔の恋人の話をします。ロシュフォールで出逢い10年前に別れた恋人には双子の娘がいた事。しかし娘たちは寮に入っていて一度も会えなかった事。別れる時彼女のお腹には赤ん坊がいた事。
少し考えればソランジュには心当たりのある家族構成だと思うんですがねぇ。
イボンヌのカフェは街の広場のあんな特等席にあるので、いつかはダム氏もやって来て会うに決まってるんですが・・。
気になった事。
ツイッターに呟いたのでコピペを。
本記事には書かなかったけど、あのジーン・ケリーは年齢的にミスキャストじゃないかなぁ。ソランジュを演じたドルレアックより30歳も年上だしネ。親子じゃん。ジョージ・チャキリスクラスがいなかったのかねぇ。 [9月20日]
二人がダム氏の店で踊っている時も、なんだかケリーさんの表情が空々しくて全然ロマンチックに映らなかったんだよね。
も一つ気になった事。
中盤に殺人事件のエピソードがあって、それはイボンヌの常連客の老人が殺人犯だったという結末なんだけど、ストーリーにどう絡むのかなと思っていたら結局なんの関係もないような雰囲気。これはどうしたもんかと色々とネットを見ていたら、これはどうやらドゥミ監督のお遊びみたいですね。
「ローラ (1961)」、「シェルブールの雨傘 (1963)」、「ロシュフォールの恋人たち (1966)」は、監督の中では3部作という位置づけらしく、但しそれはストーリー的に繋がっているのではなく、監督の拘りが絡んでいるらしいのです。
<J・ドゥミのデビュー作で“ヌーヴェル・ヴァーグの真珠”と呼ばれる作品>と言われているらしい「ローラ」は未見なので、これを見れば分かるんでしょう。
新しい出会いが待ち遠しいです。
未見の方には“ネタバレ注意”ですネ。
この映画は3組のカップルの出会いの話で、ラストにはソランジュとアンディ、イボンヌとシモン・ダム氏は再会しますが、実はデルフィーヌとマクサンスはすれ違ったままなんですよね。“最後の最後まですれ違いが続く”と書いてますが、本当に絶対にここで逢うんだなというシーンが二つほど続いても結局はニアミスのまま残念な雰囲気が生まれて、しかし最後の最後に二人の出逢いを予感させて映画は終わるのです。
お祭りが終わって、エチエンヌのチームの踊り子の代役としてステージに立ったデルフィーヌとソランジュは、お礼にこの後パリに向かうトラックに便乗させてもらう約束をする。しかし、アンディとめぐり会ったソランジュは成り行きでキャンセルに、代わりにイボンヌのカフェで働いていた女の子が乗り込みデルフィーヌも予定通りトラックに乗る。お祭り広場で大団円の踊りが披露される中、画面はパリに向かうトラックの車列が続く街道へ。そこにはやはりパリに向かうマクサンスがヒッチハイクの車を捕まえようとしています。あぁ、ここでデルフィーヌのトラックを捕まえるんだなと思ってしまいますが、ドゥミ監督は本当に意地悪、マクサンスはデルフィーヌの乗ったトラックの2、3個前の車に乗ったのでした。
ま、同じイベント屋の一団のトラックですから、多分パリに着く頃には二人は・・・。
“あまりに身近な人の情報にも無関心なのは映画の設定としても我々日本人には不思議な感じがしないでもない”と書きました。例えばこんなところ。
ソランジュがダム氏の店に楽譜用紙を受け取りに行った時、彼は昔の恋人の話をします。ロシュフォールで出逢い10年前に別れた恋人には双子の娘がいた事。しかし娘たちは寮に入っていて一度も会えなかった事。別れる時彼女のお腹には赤ん坊がいた事。
少し考えればソランジュには心当たりのある家族構成だと思うんですがねぇ。
イボンヌのカフェは街の広場のあんな特等席にあるので、いつかはダム氏もやって来て会うに決まってるんですが・・。
気になった事。
ツイッターに呟いたのでコピペを。
*
本記事には書かなかったけど、あのジーン・ケリーは年齢的にミスキャストじゃないかなぁ。ソランジュを演じたドルレアックより30歳も年上だしネ。親子じゃん。ジョージ・チャキリスクラスがいなかったのかねぇ。 [9月20日]
*
二人がダム氏の店で踊っている時も、なんだかケリーさんの表情が空々しくて全然ロマンチックに映らなかったんだよね。
も一つ気になった事。
中盤に殺人事件のエピソードがあって、それはイボンヌの常連客の老人が殺人犯だったという結末なんだけど、ストーリーにどう絡むのかなと思っていたら結局なんの関係もないような雰囲気。これはどうしたもんかと色々とネットを見ていたら、これはどうやらドゥミ監督のお遊びみたいですね。
「ローラ (1961)」、「シェルブールの雨傘 (1963)」、「ロシュフォールの恋人たち (1966)」は、監督の中では3部作という位置づけらしく、但しそれはストーリー的に繋がっているのではなく、監督の拘りが絡んでいるらしいのです。
<J・ドゥミのデビュー作で“ヌーヴェル・ヴァーグの真珠”と呼ばれる作品>と言われているらしい「ローラ」は未見なので、これを見れば分かるんでしょう。
新しい出会いが待ち遠しいです。
(1966/ジャック・ドゥミ監督・脚本/フランソワーズ・ドルレアック、カトリーヌ・ドヌーヴ、ジーン・ケリー、ジョージ・チャキリス、ダニエル・ダリュー、ジャック・ペラン、ミシェル・ピッコリ、グローヴァー・デイル/123分)
すべての台詞にメロディがつけられたレシタティヴ形式のミュージカル「シェルブールの雨傘 (1963)」でカンヌ国際映画祭のパルム・ドールを受賞したジャック・ドゥミ監督が、日本未公開作を一つ挟んで次に作った華麗なミュージカルであります。今度はレシタティヴではなくメロディ無しの台詞部分を取り入れた一般的なモノ。音楽を担当したのは前作に続いてのミシェル・ルグランですが、ジャズ風は変わらずとも、祭典が背景のラブロマンスなので元気で明るい曲が多いです。
シェルブールをぐっと南下したフランス南西部の街ロシュフォールが舞台。週末のお祭りの為に大勢のイベント屋のトラックが川を越えてやって来るところがオープニングで、ジョージ・チャキリス扮するエチエンヌとグローヴァー・デイル扮するビルのチームはオートバイの曲乗りが得意演目だ。
お祭りがある広場にはイボンヌ(懐かしやダニエル・ダリュー)のカフェがあって、エチエンヌとビルは早速馴染み客となる。
街には軍の駐屯地もあって、兵役についている画家のマクサンス(ペラン)もカフェの常連。顔だけでなく歩き方までもイメージ出来る理想の恋人を探しているがまだ見つかっていないらしい。
お祭り広場を挟んでカフェの反対側にあるアパートにはイボンヌの双子の娘たちが住んでいてバレエ教室をやっている。姉の名はソランジュ(ドルレアック)、12分後に産まれた妹はデルフィーヌ(ドヌーヴ)。バレエの先生がデルフィーヌで、姉は作曲家を目指している。二人の夢はパリに出て活躍する事。そしてやっぱり理想の恋人にめぐり会う事だ。
さて、この顔ぶれでどんなカップルが出来るんだろうと思ってしまいますが、もう少し観ていると出演者も増えてきて組み合わせが分かってきますよ。
デルフィーヌはギョームという画廊を開いている男と付き合っているが、独占欲が強くて彼女の肉体にばかり執着しているので彼女は別れを告げに店を訪れる。その時、画廊に掛かっていた女性の絵がデルフィーヌによく似ていて、ギョーム曰くパリにいる若い画家が理想の女性を描いたものらしい。実は、この絵を描いたのはマクサンス。つまりデルフィーヌのような女性がマクサンスの理想なんですね。二人の出逢いが待たれるわけですが、これがなかなかどうして、最後の最後まですれ違いが続くので乞うご期待です。
ソランジュの憧れの男性はアメリカ人の作曲家アンディ・ミラー。最近ロシュフォールに開店した楽器店の店主ダム氏の音楽学校時代の友人という事で、ソランジュはダム氏にアンディに逢うための仲介を頼んでいる。ダム氏の楽器店へ注文していた楽譜を取りに行ったソランジュは、帰りに幼い弟ブブを小学校に迎えに行き、そこで一人の外国人に出逢い一目で恋に落ちる。通りすがりなので声も掛けられなかったが、この男こそジーン・ケリー扮するアンディ・ミラーなんですね。
憧れの作曲家の顔も知らないなんて少し変ですが、とにかくそういう設定になっているのです。アンディは近々パリで開催するコンサートの為に来仏してるんだが、ダムに内緒でロシュフォールまでやって来たわけです、彼を驚かそうとネ。
デルフィーヌとマクサンス。ソランジュとアンディ。
この二つのカップルが如何にしてめぐり逢い結ばれるかが物語の軸。そしてそこにもう一つ出会うべきカップルがあるのですが、それはネタバレの中で話すことにしましょう。
1966年製作という事で女性のスカートは今着ていても全然おかしくないミニスカート。皆さんスタイルは良いし、カラフルだし、男性陣には目の保養にもなりますね。
個人主義が徹底しているフランス人の生き方には見てて冷たい感じも受けるのですが、あまりに身近な人の情報にも無関心なのは映画の設定としても我々日本人には不思議な感じがしないでもないですな。
1968年の米国アカデミー賞で、ミュージカル映画音楽賞(ミシェル・ルグラン)にノミネートされたとのこと。
男子フィギアスケートの今は引退した町田選手がこの映画の音楽を使ったプログラムを演じていましたが、今回観ていて、序盤で双子の姉妹を紹介するシーンで流れた曲は聞き覚えがありましたね。それとやっぱりお祭りの舞台で姉妹が唄い踊るシーンもうっとりします。唄は多分吹き替えでしょうけど。
▼(ネタバレ注意)
店を訪れたソランジュにダム氏は10年前に別れた恋人の話をします。
このロシュフォールで出逢い婚約寸前までいったのに、彼女はどうしても滑稽なダムという名前になることが出来ずに別れたのだという。ダムは“奥方”という意味があるので、ダム夫人となれば“奥方”夫人。恋人は突然に予告もなく彼の前から消え去ったらしい。彼女のお腹には二人の愛の結晶も出来ていたのに。
一旦はパリに戻ったダム氏は、やはり彼女の事が忘れられずに二人が出逢ったこのロシュフォールに戻ったのだ。
人づてに聞いたところでは、彼女は別れて数年後に外国人から求婚されて、今はメキシコに住んでいるとの事。
実はこの恋人、ソランジュの母、イボンヌなんですね。
この後、今度はカフェのシーンで彼女がマクサンス等の前で昔の恋バナとして語るんですが、彼女曰く求婚されてメキシコへ向かったという話しは真っ赤な嘘。別れた後にやはりダム氏のことが忘れられずにイボンヌもロシュフォールに戻ってきたのです。
▲(解除)
すべての台詞にメロディがつけられたレシタティヴ形式のミュージカル「シェルブールの雨傘 (1963)」でカンヌ国際映画祭のパルム・ドールを受賞したジャック・ドゥミ監督が、日本未公開作を一つ挟んで次に作った華麗なミュージカルであります。今度はレシタティヴではなくメロディ無しの台詞部分を取り入れた一般的なモノ。音楽を担当したのは前作に続いてのミシェル・ルグランですが、ジャズ風は変わらずとも、祭典が背景のラブロマンスなので元気で明るい曲が多いです。
*
シェルブールをぐっと南下したフランス南西部の街ロシュフォールが舞台。週末のお祭りの為に大勢のイベント屋のトラックが川を越えてやって来るところがオープニングで、ジョージ・チャキリス扮するエチエンヌとグローヴァー・デイル扮するビルのチームはオートバイの曲乗りが得意演目だ。
お祭りがある広場にはイボンヌ(懐かしやダニエル・ダリュー)のカフェがあって、エチエンヌとビルは早速馴染み客となる。
街には軍の駐屯地もあって、兵役についている画家のマクサンス(ペラン)もカフェの常連。顔だけでなく歩き方までもイメージ出来る理想の恋人を探しているがまだ見つかっていないらしい。
お祭り広場を挟んでカフェの反対側にあるアパートにはイボンヌの双子の娘たちが住んでいてバレエ教室をやっている。姉の名はソランジュ(ドルレアック)、12分後に産まれた妹はデルフィーヌ(ドヌーヴ)。バレエの先生がデルフィーヌで、姉は作曲家を目指している。二人の夢はパリに出て活躍する事。そしてやっぱり理想の恋人にめぐり会う事だ。
さて、この顔ぶれでどんなカップルが出来るんだろうと思ってしまいますが、もう少し観ていると出演者も増えてきて組み合わせが分かってきますよ。
デルフィーヌはギョームという画廊を開いている男と付き合っているが、独占欲が強くて彼女の肉体にばかり執着しているので彼女は別れを告げに店を訪れる。その時、画廊に掛かっていた女性の絵がデルフィーヌによく似ていて、ギョーム曰くパリにいる若い画家が理想の女性を描いたものらしい。実は、この絵を描いたのはマクサンス。つまりデルフィーヌのような女性がマクサンスの理想なんですね。二人の出逢いが待たれるわけですが、これがなかなかどうして、最後の最後まですれ違いが続くので乞うご期待です。
ソランジュの憧れの男性はアメリカ人の作曲家アンディ・ミラー。最近ロシュフォールに開店した楽器店の店主ダム氏の音楽学校時代の友人という事で、ソランジュはダム氏にアンディに逢うための仲介を頼んでいる。ダム氏の楽器店へ注文していた楽譜を取りに行ったソランジュは、帰りに幼い弟ブブを小学校に迎えに行き、そこで一人の外国人に出逢い一目で恋に落ちる。通りすがりなので声も掛けられなかったが、この男こそジーン・ケリー扮するアンディ・ミラーなんですね。
憧れの作曲家の顔も知らないなんて少し変ですが、とにかくそういう設定になっているのです。アンディは近々パリで開催するコンサートの為に来仏してるんだが、ダムに内緒でロシュフォールまでやって来たわけです、彼を驚かそうとネ。
デルフィーヌとマクサンス。ソランジュとアンディ。
この二つのカップルが如何にしてめぐり逢い結ばれるかが物語の軸。そしてそこにもう一つ出会うべきカップルがあるのですが、それはネタバレの中で話すことにしましょう。
1966年製作という事で女性のスカートは今着ていても全然おかしくないミニスカート。皆さんスタイルは良いし、カラフルだし、男性陣には目の保養にもなりますね。
個人主義が徹底しているフランス人の生き方には見てて冷たい感じも受けるのですが、あまりに身近な人の情報にも無関心なのは映画の設定としても我々日本人には不思議な感じがしないでもないですな。
1968年の米国アカデミー賞で、ミュージカル映画音楽賞(ミシェル・ルグラン)にノミネートされたとのこと。
男子フィギアスケートの今は引退した町田選手がこの映画の音楽を使ったプログラムを演じていましたが、今回観ていて、序盤で双子の姉妹を紹介するシーンで流れた曲は聞き覚えがありましたね。それとやっぱりお祭りの舞台で姉妹が唄い踊るシーンもうっとりします。唄は多分吹き替えでしょうけど。
▼(ネタバレ注意)
店を訪れたソランジュにダム氏は10年前に別れた恋人の話をします。
このロシュフォールで出逢い婚約寸前までいったのに、彼女はどうしても滑稽なダムという名前になることが出来ずに別れたのだという。ダムは“奥方”という意味があるので、ダム夫人となれば“奥方”夫人。恋人は突然に予告もなく彼の前から消え去ったらしい。彼女のお腹には二人の愛の結晶も出来ていたのに。
一旦はパリに戻ったダム氏は、やはり彼女の事が忘れられずに二人が出逢ったこのロシュフォールに戻ったのだ。
人づてに聞いたところでは、彼女は別れて数年後に外国人から求婚されて、今はメキシコに住んでいるとの事。
実はこの恋人、ソランジュの母、イボンヌなんですね。
この後、今度はカフェのシーンで彼女がマクサンス等の前で昔の恋バナとして語るんですが、彼女曰く求婚されてメキシコへ向かったという話しは真っ赤な嘘。別れた後にやはりダム氏のことが忘れられずにイボンヌもロシュフォールに戻ってきたのです。
▲(解除)
・お薦め度【★★★★=ミュージカル好きな、友達にも薦めて】
ネタバレしてますので、「シェルブールの雨傘」を未見の方はご遠慮下さい。
vivajijiさんも書いてらっしゃるけど、ジュヌヴィエーブはギイと別れて半年もしない内に別の男と結婚したんだよなぁ。あなたと離れては生きていけないと泣いてすがり、シェルブール駅の列車の別れでも『ジュテーム、ジュテーム、ジュテーム』と叫んでいたのに、それはないだろう。
ジュヌヴィエーブのお母さんもお母さんだ。16歳のジュヌヴィエーブが若過ぎるからと結婚を反対していたのに、カサールの求婚には賛成かよ。結局、年齢じゃなかったんだな。
ジュヌヴィエーブが結婚に踏み切った気持ちの半分は、お母さんの為だったんだよな。と、思っておこう。ご主人が亡くなった後は金銭で苦労をし、残りの人生をあんなに悲観していたんだもの。
それにカサールも良い奴だったしな。金持ちで、抱擁力があって、余所の男との赤ん坊も一緒に育てていこうと言ってくれる男なんて、世間にはそう居ない。生きて帰ってこれる保証のない男を待つよりは、確かに安心だし。
日本人には納得できないよなぁとか思ったけれど、太平洋戦争の頃の日本を想定してみたら、ジュヌヴィエーブの様な生き方を選ぶのも納得かも。
安易にギイとくっつかないマドレーヌの生き方も納得だなぁ。荒んでしまったギイの人生が軌道修正できたのも、、彼女のおかげだもんな。そういえば、彼女の生い立ちとかが曖昧だったが・・。
そして、ラストシーンだ。オカピーさんが「人生の無常」と表現されたのも、このラストシーンがあればこそだよな。
しんしんと雪の降る年の暮れ、娘を助手席に乗せてジュヌヴィエーブが立ち寄ったガソリンスタンドはギイの店。
運転席でギイを見つけて驚くジュヌヴィエーブ。ギイはちょっと怒った表情だった。
すぐに車を降りるジュヌヴィエーブを、事務所に案内するギイ。
『初めて帰って来たの、結婚式以来、シェルブールには。義母の所に行って、これからパリに帰るところよ。ちょっと回り道したんだけど、まさかあなたに逢えるとは思わなかったわ』
タバコを吸うギイ。
『可愛いクリスマスツリーね。あなたが飾ったの?』
『いや、女房さ。息子のためにね』
『そう・・』
『黒い服だね。喪中なの?』
『母が、去年の秋亡くなったの』
助手席の女の子を見つけるギイ。車のドアに降りかかる雪を固めて遊んでいる。勿論、彼とジュヌヴィエーブの娘だ。
『なんて名前、付けたんだい?』
『フランソワーズよ。あなたによく似てるわ。話してみる?』
首を横にふるギイ。『もう帰った方がいいよ』
この後、ジュヌヴィエーブは事務所を出て行く前に、悲しげな表情を浮かべて、ギイに『あなた幸福?』と聞き、ギイは『そうだ』と答える。ギイの方からジュヌヴィエーブに対して『君は(どうなの)?』というような言葉はない。
これって、やっぱドゥミ監督は、ジュヌヴィエーブがギイに対して後ろめたさを感じていると表現しているんだよね。たとえ今の暮らしが裕福で夫に愛されているとしても、心には傷を抱えている。その事が切ないんだよねぇ。
おまけの動画(↓)は、作曲者ミシェル・ルグランが自ら唄っているテーマ曲。デュエットしている女性はアンジェラ・アキではありません。ナナ・ムスクーリです。^^
vivajijiさんも書いてらっしゃるけど、ジュヌヴィエーブはギイと別れて半年もしない内に別の男と結婚したんだよなぁ。あなたと離れては生きていけないと泣いてすがり、シェルブール駅の列車の別れでも『ジュテーム、ジュテーム、ジュテーム』と叫んでいたのに、それはないだろう。
ジュヌヴィエーブのお母さんもお母さんだ。16歳のジュヌヴィエーブが若過ぎるからと結婚を反対していたのに、カサールの求婚には賛成かよ。結局、年齢じゃなかったんだな。
ジュヌヴィエーブが結婚に踏み切った気持ちの半分は、お母さんの為だったんだよな。と、思っておこう。ご主人が亡くなった後は金銭で苦労をし、残りの人生をあんなに悲観していたんだもの。
それにカサールも良い奴だったしな。金持ちで、抱擁力があって、余所の男との赤ん坊も一緒に育てていこうと言ってくれる男なんて、世間にはそう居ない。生きて帰ってこれる保証のない男を待つよりは、確かに安心だし。
日本人には納得できないよなぁとか思ったけれど、太平洋戦争の頃の日本を想定してみたら、ジュヌヴィエーブの様な生き方を選ぶのも納得かも。
安易にギイとくっつかないマドレーヌの生き方も納得だなぁ。荒んでしまったギイの人生が軌道修正できたのも、、彼女のおかげだもんな。そういえば、彼女の生い立ちとかが曖昧だったが・・。
そして、ラストシーンだ。オカピーさんが「人生の無常」と表現されたのも、このラストシーンがあればこそだよな。
*
しんしんと雪の降る年の暮れ、娘を助手席に乗せてジュヌヴィエーブが立ち寄ったガソリンスタンドはギイの店。
運転席でギイを見つけて驚くジュヌヴィエーブ。ギイはちょっと怒った表情だった。
すぐに車を降りるジュヌヴィエーブを、事務所に案内するギイ。
『初めて帰って来たの、結婚式以来、シェルブールには。義母の所に行って、これからパリに帰るところよ。ちょっと回り道したんだけど、まさかあなたに逢えるとは思わなかったわ』
タバコを吸うギイ。
『可愛いクリスマスツリーね。あなたが飾ったの?』
『いや、女房さ。息子のためにね』
『そう・・』
『黒い服だね。喪中なの?』
『母が、去年の秋亡くなったの』
助手席の女の子を見つけるギイ。車のドアに降りかかる雪を固めて遊んでいる。勿論、彼とジュヌヴィエーブの娘だ。
『なんて名前、付けたんだい?』
『フランソワーズよ。あなたによく似てるわ。話してみる?』
首を横にふるギイ。『もう帰った方がいいよ』
この後、ジュヌヴィエーブは事務所を出て行く前に、悲しげな表情を浮かべて、ギイに『あなた幸福?』と聞き、ギイは『そうだ』と答える。ギイの方からジュヌヴィエーブに対して『君は(どうなの)?』というような言葉はない。
これって、やっぱドゥミ監督は、ジュヌヴィエーブがギイに対して後ろめたさを感じていると表現しているんだよね。たとえ今の暮らしが裕福で夫に愛されているとしても、心には傷を抱えている。その事が切ないんだよねぇ。
おまけの動画(↓)は、作曲者ミシェル・ルグランが自ら唄っているテーマ曲。デュエットしている女性はアンジェラ・アキではありません。ナナ・ムスクーリです。^^
(1963/ジャック・ドゥミ脚本・監督/カトリーヌ・ドヌーヴ、ニーノ・カステルヌオーヴォ、マルク・ミシェル、エレン・ファルナー、アンヌ・ヴェルノン/91分)
雨の季節になったらいつかは観ようと思っていた「シェルブールの雨傘」を、数十年ぶりに観ました。デジタル・リマスターされたレンタルのDVD。
今年の初め、「しあわせの雨傘 (2010)」の公開に併せて来日したドヌーヴを「徹子の部屋」で観た時には、体型はともかく、美しさは変わらないなぁと思ったもんですが、改めて彼女が二十歳の頃のこの映画を観ると、その美しさが尋常ではなかったことが分かりますな。僕が「SCREEN」を購読していた70年前後は、オードリー・ヘプバーンと人気を二分するスター女優でした。あまりに美しすぎたのと、近寄りがたい雰囲気もあったし(近寄れませんけど)、また興味の湧くような出演作も少なかったので、それほど観たものはないのだけれど、幸いにも「シェルブールの雨傘」は73年にリバイバル公開されたので、劇場で観ました。
6年前のコラム記事「映画館とお茶の間と」にも書きましたが、この映画には思い出がありまして、73年の劇場鑑賞では大きすぎた期待からか、あまり感動が無くてガッカリしたのに、その後にNHK-TVの字幕放送で見直したら凄く面白かったという経験です。小市民のささやかなドラマだからTVの小さなスクリーンが合っていたのではとコラムには書きましたが、とにかく、今回のDVD鑑賞で良い映画であることは再確認できました。
16歳から22歳くらいまでの女性を演じた、澄まし顔も泣き顔も素敵なカトリーヌ・ドヌーヴ。ん~、夕べ大騒ぎしていたAKBの女の子達と似たようなお年頃なんだけど・・・。
フランスはノルマンディーの港町、シェルブールが舞台。1954年から始まったアルジェリア戦争が背景にはある。
主人公は自動車修理工場で働くギイ(カステルヌオーヴォ)と、母親と二人で小さな傘店を営むジュヌヴィエーブ(ドヌーヴ)。
二人は愛し合っているが、ジュヌヴィエーブの母(ヴェルノン)は彼らが若すぎるからと結婚には反対する。ギイが20歳であることは近々2年間の兵役にも応じなければいけないので、若い二人の心変わりも踏まえての忠告だった。
ギイには両親がいなくて、病弱な叔母さんと二人暮らし。同じアパートに住むマドレーヌ(ファルナー)が叔母さんの面倒を看てくれていた。
57年の暮れ。ギイに召集令状が届き、別れがたい二人はデートの帰りにギイのアパートで結ばれる。
-この後、入営の為に町を離れるギイとジュヌヴィエーブの別れのシーンにお馴染みのテーマ曲が流れますが、特にシェルブール駅での切ない別れが印象的です-
戦争の影響か、傘店の経営が思わしくなくなったジュヌヴィエーブの母は、手持ちの宝石を売りに出かけるが、店主の渋い返事に落胆していると、たまたま居合わせた宝石商のカサール(ミシェル)が買ってくれることになった。カサールはイギリスやアメリカにも買い付けに出かける実業家だった。
ギイが町を離れて数ヶ月。彼とは手紙のやりとりしか出来ないジュヌヴィエーブ。やがてジュヌヴィエーブの浮かない様子に母親は娘の妊娠を知る。
しばらくぶりにシェルブールにやって来るカサールをジュヌヴィエーブの母は食事に招待していた。ジュヌヴィエーブは気分が悪いと中座するが、食事の後、カサールは彼女の母親にジュヌヴィエーブとの結婚を申し込むのだった・・・。
ミュージカルです。但し、ハリウッドのミュージカルと違うのが、上に書いた別れのシーン等に使われたテーマ曲部分だけでなく、すべての台詞にメロディがつけられていること。イタリア・オペラでは、この形式をレチタティーヴォ(英語ではレシタティヴ)と言うそうです。また、唄っているのは俳優ではなく全て歌手の吹き替えだそうです。
映画では珍しい形ですが、ジャズもお得意なミシェル・ルグランのジャズ風レシタティヴは、大仰でない自然な感情が表現出来ているし、語りとメロディを完全に分けたハリウッド製よりもムードに統一感が出ているように感じました。
淡いピンクやグリーン、水色、黄色などのパステルカラー主体の色彩が美しいのも特徴的。
美しい色合いの洋服を着た女優さんも負けずに美しいので、一見夢物語のように感じられますが、内容はフランスらしいシビアさで、つまりは若気の至りが生んだ悲劇。しかし、全てを受け入れて修復されていく終盤が観ていて切なくなるのです。
▼(ネタバレ注意)
一番グッと来たのは、やはりラストの二人の再会シーン。
運転席で、最初にギイに気が付いた時のジュヌヴィエーブの固まったような表情が切なかったです。
コチラにそのYouTubeがありましたので、リンクさせておきます。
ところで、ジュヌヴィエーブは幸せなんでしょうかねぇ?
子供はギイの血が繋がったフランソワーズだけみたいだし、何となく寂しそうに感じたのは僕だけでしょうか?
あと、マドレーヌがキレイに変身していたのも驚いたなぁ。
▲(解除)
1964年カンヌ国際映画祭のパルム・ドール受賞作。
米国アカデミー賞でも脚本賞や外国語映画賞、作曲賞などにノミネートされたそうです。
※ 完璧な分析がなされているオカピーさんの記事はコチラ。
※ 生の解説が聴きたくなるvivajijiさんの記事はコチラ。
※ ネタバレの追加記事、男のつぶやきはコチラ。
雨の季節になったらいつかは観ようと思っていた「シェルブールの雨傘」を、数十年ぶりに観ました。デジタル・リマスターされたレンタルのDVD。
今年の初め、「しあわせの雨傘 (2010)」の公開に併せて来日したドヌーヴを「徹子の部屋」で観た時には、体型はともかく、美しさは変わらないなぁと思ったもんですが、改めて彼女が二十歳の頃のこの映画を観ると、その美しさが尋常ではなかったことが分かりますな。僕が「SCREEN」を購読していた70年前後は、オードリー・ヘプバーンと人気を二分するスター女優でした。あまりに美しすぎたのと、近寄りがたい雰囲気もあったし(近寄れませんけど)、また興味の湧くような出演作も少なかったので、それほど観たものはないのだけれど、幸いにも「シェルブールの雨傘」は73年にリバイバル公開されたので、劇場で観ました。
6年前のコラム記事「映画館とお茶の間と」にも書きましたが、この映画には思い出がありまして、73年の劇場鑑賞では大きすぎた期待からか、あまり感動が無くてガッカリしたのに、その後にNHK-TVの字幕放送で見直したら凄く面白かったという経験です。小市民のささやかなドラマだからTVの小さなスクリーンが合っていたのではとコラムには書きましたが、とにかく、今回のDVD鑑賞で良い映画であることは再確認できました。
16歳から22歳くらいまでの女性を演じた、澄まし顔も泣き顔も素敵なカトリーヌ・ドヌーヴ。ん~、夕べ大騒ぎしていたAKBの女の子達と似たようなお年頃なんだけど・・・。
*
フランスはノルマンディーの港町、シェルブールが舞台。1954年から始まったアルジェリア戦争が背景にはある。
主人公は自動車修理工場で働くギイ(カステルヌオーヴォ)と、母親と二人で小さな傘店を営むジュヌヴィエーブ(ドヌーヴ)。
二人は愛し合っているが、ジュヌヴィエーブの母(ヴェルノン)は彼らが若すぎるからと結婚には反対する。ギイが20歳であることは近々2年間の兵役にも応じなければいけないので、若い二人の心変わりも踏まえての忠告だった。
ギイには両親がいなくて、病弱な叔母さんと二人暮らし。同じアパートに住むマドレーヌ(ファルナー)が叔母さんの面倒を看てくれていた。
57年の暮れ。ギイに召集令状が届き、別れがたい二人はデートの帰りにギイのアパートで結ばれる。
-この後、入営の為に町を離れるギイとジュヌヴィエーブの別れのシーンにお馴染みのテーマ曲が流れますが、特にシェルブール駅での切ない別れが印象的です-
戦争の影響か、傘店の経営が思わしくなくなったジュヌヴィエーブの母は、手持ちの宝石を売りに出かけるが、店主の渋い返事に落胆していると、たまたま居合わせた宝石商のカサール(ミシェル)が買ってくれることになった。カサールはイギリスやアメリカにも買い付けに出かける実業家だった。
ギイが町を離れて数ヶ月。彼とは手紙のやりとりしか出来ないジュヌヴィエーブ。やがてジュヌヴィエーブの浮かない様子に母親は娘の妊娠を知る。
しばらくぶりにシェルブールにやって来るカサールをジュヌヴィエーブの母は食事に招待していた。ジュヌヴィエーブは気分が悪いと中座するが、食事の後、カサールは彼女の母親にジュヌヴィエーブとの結婚を申し込むのだった・・・。
ミュージカルです。但し、ハリウッドのミュージカルと違うのが、上に書いた別れのシーン等に使われたテーマ曲部分だけでなく、すべての台詞にメロディがつけられていること。イタリア・オペラでは、この形式をレチタティーヴォ(英語ではレシタティヴ)と言うそうです。また、唄っているのは俳優ではなく全て歌手の吹き替えだそうです。
映画では珍しい形ですが、ジャズもお得意なミシェル・ルグランのジャズ風レシタティヴは、大仰でない自然な感情が表現出来ているし、語りとメロディを完全に分けたハリウッド製よりもムードに統一感が出ているように感じました。
淡いピンクやグリーン、水色、黄色などのパステルカラー主体の色彩が美しいのも特徴的。
美しい色合いの洋服を着た女優さんも負けずに美しいので、一見夢物語のように感じられますが、内容はフランスらしいシビアさで、つまりは若気の至りが生んだ悲劇。しかし、全てを受け入れて修復されていく終盤が観ていて切なくなるのです。
▼(ネタバレ注意)
一番グッと来たのは、やはりラストの二人の再会シーン。
運転席で、最初にギイに気が付いた時のジュヌヴィエーブの固まったような表情が切なかったです。
コチラにそのYouTubeがありましたので、リンクさせておきます。
ところで、ジュヌヴィエーブは幸せなんでしょうかねぇ?
子供はギイの血が繋がったフランソワーズだけみたいだし、何となく寂しそうに感じたのは僕だけでしょうか?
あと、マドレーヌがキレイに変身していたのも驚いたなぁ。
▲(解除)
1964年カンヌ国際映画祭のパルム・ドール受賞作。
米国アカデミー賞でも脚本賞や外国語映画賞、作曲賞などにノミネートされたそうです。
※ 完璧な分析がなされているオカピーさんの記事はコチラ。
※ 生の解説が聴きたくなるvivajijiさんの記事はコチラ。
※ ネタバレの追加記事、男のつぶやきはコチラ。
・お薦め度【★★★★★=ミュージカル好きなら、大いに見るべし!】
(2003/アラン・レネ 監督・脚本/サビーヌ・アゼマ(=ジルベルト)、ピエール・アルディティ(=ジョルジュ)、ランベール・ウィルソン(=エリック)、オドレイ・トトゥ(=ユゲット)、ジャリル・レスペール(=シャルレ)、 イザベル・ナンティ(=アルレット)、ダニエル・プレヴォー(=ファラデル)、ダリー・コール(=フォワン夫人)/115分)
「ダ・ヴィンチ・コード」に刺激されて、カットバックのお手本が見られるヒッチコックの「見知らぬ乗客」を観ようとレンタル店に行ったら、珍しく貸出中。しょうがなく、つらつらと陳列棚を見ていて、最近コメントが入った「マーサの幸せレシピ」のヒロイン、マルティナ・ゲデックの出ている「善き人のためのソナタ」を思い出すも、これまた空箱のみ。
レンタルを諦めかけたところに、ピンク色のジャケットにオドレイ・トトゥの顔を見つけて、コレを手にしました。おまけに監督がアラン・レネときたもんだ。いまだにご活躍かと、興味が沸々と湧きましたな。内容は全然知りませんでしたが。
製作が2003年。レネさんは1922年生まれという事ですから81歳の時の作品ですね。
映画サイトの解説によると、<1925年にパリでロングランとなった傑作オペレッタを「夜と霧」「恋するシャンソン」のアラン・レネ監督が華麗に映画化したミュージカル・コメディ>とのこと。
元が舞台劇だという事はすぐに分かりました。二場三幕と言えばいいんでしょうか。二つの場所で、(連続してない)三日間の話。しかも、主な登場人物は7人で、それで2時間持たせられるんですから、大したもんです。
フランスの製鉄会社を経営するジョルジュの愛妻ジルベルトは、彼女に熱を上げる独り者ファラデルや若い芸術家シャルレと適当に遊びながら、きままな暮らしをしているが、実はジョルジュと結婚する前にアメリカに渡り一度結婚していた。それを知っているのは、オールドミスの妹アルレットのみ。
ある日、ジョルジュが大きなアメリカの会社との業務提携の話がまとまりそうなので、相手側の社長を夕食に呼んでいるという。なんと、それはジルベルトがアメリカで結婚していたエリックだった。
ジョルジュは妻にするなら処女に限るという考えの持ち主で、当然ジルベルトにとって自分は最初の男だと思っている。もしも、ジルベルトが再婚だと知ったら・・・。
ジルベルトは夫を愛しているので嘘をついてでもエリックと結婚していたことは知られたくない。アルレットを巻き込んで、なんとかエリックには黙ってもらうことに成功したが、実はエリックはジルベルトに未練があり、出来れば再婚したいと思っている。エリックとの離婚の理由はエリックの潔癖性が原因で、婚姻中に一度もキスをしたことがない。そんな男とよりを戻すつもりはなく、ジルベルトは自分には夫以外にも愛人が沢山いると見せかけてエリックを諦めさせようとする。この愛人役の候補がシャルレだが、一方、ジルベルトの若い友人ユゲットはシャルレに恋をしている。
と、まぁ、いかにもオペレッタらしい古い時代の単純な艶笑喜劇です。ハッキリ言って21世紀にこんな話を作る必要があるのか、なんて最初は思いましたが、たまにはこんな浮き世離れした映画を観て2時間を過ごすのもよろしいかも。ハリウッドの派手なミュージカルと違い、踊りもなくて、メロディーも地味なシャンソンですから、個人的にはミュージカル気分は味わえませんでしたが、「アメリ」のように登場人物が画面に向かって語りかける演出は舞台を観ている気分にさせてくれました。
前作の「恋するシャンソン(1997)」が、セザール賞で作品賞など7部門を受賞したことで気をよくしての製作だったのでしょう。
但し、若い二人以外が、設定以上に歳をくった俳優ばかりなのが気になりましたね。特に男性陣が。そして、オドレイ・トトゥの相手役が全然ハンサムじゃないのも
予告編の動画は画面が暗かったので、オドレイの写真集を持ってきました。アンチ、オドレイの方はスルーして下さい。
「ダ・ヴィンチ・コード」に刺激されて、カットバックのお手本が見られるヒッチコックの「見知らぬ乗客」を観ようとレンタル店に行ったら、珍しく貸出中。しょうがなく、つらつらと陳列棚を見ていて、最近コメントが入った「マーサの幸せレシピ」のヒロイン、マルティナ・ゲデックの出ている「善き人のためのソナタ」を思い出すも、これまた空箱のみ。
レンタルを諦めかけたところに、ピンク色のジャケットにオドレイ・トトゥの顔を見つけて、コレを手にしました。おまけに監督がアラン・レネときたもんだ。いまだにご活躍かと、興味が沸々と湧きましたな。内容は全然知りませんでしたが。
製作が2003年。レネさんは1922年生まれという事ですから81歳の時の作品ですね。
映画サイトの解説によると、<1925年にパリでロングランとなった傑作オペレッタを「夜と霧」「恋するシャンソン」のアラン・レネ監督が華麗に映画化したミュージカル・コメディ>とのこと。
元が舞台劇だという事はすぐに分かりました。二場三幕と言えばいいんでしょうか。二つの場所で、(連続してない)三日間の話。しかも、主な登場人物は7人で、それで2時間持たせられるんですから、大したもんです。
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フランスの製鉄会社を経営するジョルジュの愛妻ジルベルトは、彼女に熱を上げる独り者ファラデルや若い芸術家シャルレと適当に遊びながら、きままな暮らしをしているが、実はジョルジュと結婚する前にアメリカに渡り一度結婚していた。それを知っているのは、オールドミスの妹アルレットのみ。
ある日、ジョルジュが大きなアメリカの会社との業務提携の話がまとまりそうなので、相手側の社長を夕食に呼んでいるという。なんと、それはジルベルトがアメリカで結婚していたエリックだった。
ジョルジュは妻にするなら処女に限るという考えの持ち主で、当然ジルベルトにとって自分は最初の男だと思っている。もしも、ジルベルトが再婚だと知ったら・・・。
ジルベルトは夫を愛しているので嘘をついてでもエリックと結婚していたことは知られたくない。アルレットを巻き込んで、なんとかエリックには黙ってもらうことに成功したが、実はエリックはジルベルトに未練があり、出来れば再婚したいと思っている。エリックとの離婚の理由はエリックの潔癖性が原因で、婚姻中に一度もキスをしたことがない。そんな男とよりを戻すつもりはなく、ジルベルトは自分には夫以外にも愛人が沢山いると見せかけてエリックを諦めさせようとする。この愛人役の候補がシャルレだが、一方、ジルベルトの若い友人ユゲットはシャルレに恋をしている。
と、まぁ、いかにもオペレッタらしい古い時代の単純な艶笑喜劇です。ハッキリ言って21世紀にこんな話を作る必要があるのか、なんて最初は思いましたが、たまにはこんな浮き世離れした映画を観て2時間を過ごすのもよろしいかも。ハリウッドの派手なミュージカルと違い、踊りもなくて、メロディーも地味なシャンソンですから、個人的にはミュージカル気分は味わえませんでしたが、「アメリ」のように登場人物が画面に向かって語りかける演出は舞台を観ている気分にさせてくれました。
前作の「恋するシャンソン(1997)」が、セザール賞で作品賞など7部門を受賞したことで気をよくしての製作だったのでしょう。
但し、若い二人以外が、設定以上に歳をくった俳優ばかりなのが気になりましたね。特に男性陣が。そして、オドレイ・トトゥの相手役が全然ハンサムじゃないのも
予告編の動画は画面が暗かったので、オドレイの写真集を持ってきました。アンチ、オドレイの方はスルーして下さい。
・お薦め度【★★★=フレンチ・ファンには、一見の価値あり】
(1966/ジョージ・ロイ・ヒル監督/ジュリー・アンドリュース、メアリー・タイラー・ムーア、キャロル・チャニング、ジェームズ・フォックス、ジョン・ギャヴィン、アンソニー・デクスター、ノリユキ・パット・モリタ /138分)
ジョージ・ロイ・ヒルが「明日に向って撃て!」の3年前に作ったコメディ&ミュージカル。ジュリーとは前年の「ハワイ」に続いての作品で、二人の接点が二つもあったなんて初めて気付きました。
お金持ちの上司の秘書になって、ゆくゆくは彼と結婚するというのが夢の田舎娘が、ニューヨークに出てきて理想以上の素敵な彼氏をゲットするまでの話。
第一次世界大戦終了後のいわゆるジャズエイジの頃で、冒頭のタイトルバックで田舎娘のミリーが街を歩いている都会の女性達に刺激されて、いかにもチャールストンが似合いそうな“モダン”なスタイルに変身していくシーンが洒落ております。ロングの巻き毛はボブカットに、膝下丈のスカートは膝が見えるモノに、そしてボインちゃんではネックレスが乱れるのでペチャパイになるような下着を着ける。その後のミュージカルシーンの振り付けも格好良かったけど、リズミカルなカメラワークもスマートでした。
彼女のサクセスストーリーと別にもう一つ話があって、それは最近NYで一人暮らしの若い女性が忽然と消えているという事件。売春宿に売られているのではないかとの新聞記事も出るが、実はミリーが宿泊している独身女性専用ホテルの中国人女性支配人が絡んでいて、ミリーがどう巻き込まれるのかというところも興味を惹くところです。
序盤で、女優を目指して西海岸からやって来たという“ミス”ドロシー(ムーア)という娘がミリーの前の部屋に入ることになり、天涯孤独だという彼女が次に狙われることになる。
ミリーは理想的な独身社長(ギャヴィン)の秘書になることに成功するが、同時にホテルのダンス・パーティーでトミー(フォックス)という青年とも知り合う。トミーは歌が上手くてダンスも上手くて、お喋りも楽しいが、いかんせん事務用品のセールスマンでしかない。最初のデートでトミーが結婚には拘ってないという事も分かるので、社長との玉の輿婚を諦めるわけにはいかない。
トミーが連れて行ってくれた金持ちの未亡人のパーティーで、トミーがドロシーと一つ部屋に入るのをみたミリーは、社長オンリーにかける。そんな時、ミリーと一緒のドロシーを見かけた社長はいっぺんに彼女に参ってしまう。ドロシーも社長に一目惚れするのだが、ついにドロシーに中国人の魔の手が襲いかかる・・・。
富豪の未亡人を演じているのがブロードウェイの大女優キャロル・チャニングで、彼女がミリーの人生指南的な役どころなんですが、彼女の豪邸でのパーティーのシーンや彼女がショーに飛び入りしているシーンなどにも唄や踊りがあり、ジミーがミリーの勤める会社のビルをよじ登ったりするハロルド・ロイドまがいのシーンもあり、その他、終盤では人さらい事件の結末のドタバタがあり、全体としては長すぎる嫌いがあります。(途中で4分弱のインターミッションが入ります)
前半の唄と踊りは好きだし、ミリーを中心にした語り口なので筋書きは分かり易いんですけどね。
ラストではどんでん返しがお得意のロイ・ヒルさんらしい展開も見せてくれます。場面展開にアイリス・ショットが使われたり、紙芝居風のショットの挿入、サイレント風の字幕の挿入などなど、監督が楽しんでいるのが分かります。複葉飛行機のシーンも後年の「華麗なるヒコーキ野郎(1975)」を思い出させましたね。
トリビアとしては、聞き覚えのある「♪ベイビー・フェイス」がこの映画の楽曲だったこと。それと、音楽担当に、ミア・ファローのずっと前の旦那さん、アンドレ・プレヴィンの名前があったこと。
ドロシー役のメアリー・タイラー・ムーアは、レッドフォードの初監督作品「普通の人々」で息子に冷たいお母さんを演じた人ですね。元々はコメディがお得意の女優さんです。
「ベスト・キッド」で空手の先生を演じたノリユキ・パット・モリタの、これが映画デビュー作。人さらいの中国人の1人でした。
NHK-BSのアカデミー賞特集で観たんですが、該当者は作曲賞のエルマー・バーンスタイン。その他、助演女優賞(チャニング)、音楽(編曲賞)、歌曲賞、美術監督・装置、衣裳デザイン賞、音響賞等にもノミネートされたそうです。
尚、プロデューサーは「夜を楽しく」と同じロス・ハンターでした。
[2008.12.23 追記]
・Youtubeで動画を見つけましたので、好きなシーンを二つアップしました。
ジョージ・ロイ・ヒルが「明日に向って撃て!」の3年前に作ったコメディ&ミュージカル。ジュリーとは前年の「ハワイ」に続いての作品で、二人の接点が二つもあったなんて初めて気付きました。
*
お金持ちの上司の秘書になって、ゆくゆくは彼と結婚するというのが夢の田舎娘が、ニューヨークに出てきて理想以上の素敵な彼氏をゲットするまでの話。
第一次世界大戦終了後のいわゆるジャズエイジの頃で、冒頭のタイトルバックで田舎娘のミリーが街を歩いている都会の女性達に刺激されて、いかにもチャールストンが似合いそうな“モダン”なスタイルに変身していくシーンが洒落ております。ロングの巻き毛はボブカットに、膝下丈のスカートは膝が見えるモノに、そしてボインちゃんではネックレスが乱れるのでペチャパイになるような下着を着ける。その後のミュージカルシーンの振り付けも格好良かったけど、リズミカルなカメラワークもスマートでした。
彼女のサクセスストーリーと別にもう一つ話があって、それは最近NYで一人暮らしの若い女性が忽然と消えているという事件。売春宿に売られているのではないかとの新聞記事も出るが、実はミリーが宿泊している独身女性専用ホテルの中国人女性支配人が絡んでいて、ミリーがどう巻き込まれるのかというところも興味を惹くところです。
序盤で、女優を目指して西海岸からやって来たという“ミス”ドロシー(ムーア)という娘がミリーの前の部屋に入ることになり、天涯孤独だという彼女が次に狙われることになる。
ミリーは理想的な独身社長(ギャヴィン)の秘書になることに成功するが、同時にホテルのダンス・パーティーでトミー(フォックス)という青年とも知り合う。トミーは歌が上手くてダンスも上手くて、お喋りも楽しいが、いかんせん事務用品のセールスマンでしかない。最初のデートでトミーが結婚には拘ってないという事も分かるので、社長との玉の輿婚を諦めるわけにはいかない。
トミーが連れて行ってくれた金持ちの未亡人のパーティーで、トミーがドロシーと一つ部屋に入るのをみたミリーは、社長オンリーにかける。そんな時、ミリーと一緒のドロシーを見かけた社長はいっぺんに彼女に参ってしまう。ドロシーも社長に一目惚れするのだが、ついにドロシーに中国人の魔の手が襲いかかる・・・。
*
富豪の未亡人を演じているのがブロードウェイの大女優キャロル・チャニングで、彼女がミリーの人生指南的な役どころなんですが、彼女の豪邸でのパーティーのシーンや彼女がショーに飛び入りしているシーンなどにも唄や踊りがあり、ジミーがミリーの勤める会社のビルをよじ登ったりするハロルド・ロイドまがいのシーンもあり、その他、終盤では人さらい事件の結末のドタバタがあり、全体としては長すぎる嫌いがあります。(途中で4分弱のインターミッションが入ります)
前半の唄と踊りは好きだし、ミリーを中心にした語り口なので筋書きは分かり易いんですけどね。
ラストではどんでん返しがお得意のロイ・ヒルさんらしい展開も見せてくれます。場面展開にアイリス・ショットが使われたり、紙芝居風のショットの挿入、サイレント風の字幕の挿入などなど、監督が楽しんでいるのが分かります。複葉飛行機のシーンも後年の「華麗なるヒコーキ野郎(1975)」を思い出させましたね。
トリビアとしては、聞き覚えのある「♪ベイビー・フェイス」がこの映画の楽曲だったこと。それと、音楽担当に、ミア・ファローのずっと前の旦那さん、アンドレ・プレヴィンの名前があったこと。
ドロシー役のメアリー・タイラー・ムーアは、レッドフォードの初監督作品「普通の人々」で息子に冷たいお母さんを演じた人ですね。元々はコメディがお得意の女優さんです。
「ベスト・キッド」で空手の先生を演じたノリユキ・パット・モリタの、これが映画デビュー作。人さらいの中国人の1人でした。
NHK-BSのアカデミー賞特集で観たんですが、該当者は作曲賞のエルマー・バーンスタイン。その他、助演女優賞(チャニング)、音楽(編曲賞)、歌曲賞、美術監督・装置、衣裳デザイン賞、音響賞等にもノミネートされたそうです。
尚、プロデューサーは「夜を楽しく」と同じロス・ハンターでした。
・お薦め度【★★=悪くはないけどネ、長いので★一つ減点】
[2008.12.23 追記]
・Youtubeで動画を見つけましたので、好きなシーンを二つアップしました。
(1969/ボブ・フォッシー監督/シャーリー・マクレーン、ジョン・マクマーティン、リカルド・モンタルバン、チタ・リヴェラ、サミー・デイヴィス・Jr、バーバラ・ブーシェ、バッド・コート/147分)
先日ご紹介したイタリア映画、「カビリアの夜」をアメリカにもってきて、ミュージカルでリメイクしたのがこの「スイート・チャリティ【原題:Sweet Charity】」であります。実はこちらを観たくって、それでは元ネタの「カビリア」も観なくてはと一緒にレンタルしたのでした。
allcinema-ONLINEで、<20世紀のミュージカル史上最大の振付&演出家>と紹介されているボブ・フォッシーの、劇場用映画初監督作品で、確かに初々しいというか、実験的な試みをしている所がありました。
例えば、ヒロインと恋人がデートをする場面で、カップルの静止画像を使い、楽しそうなBGMに乗せてカメラが止まっている二人の映像をなぞっていくという手法。その静止画像から次のシーンが始まる時に、止まっていた登場人物が動き出すという映像も幾つかありました。
二人が初めて出逢うのが故障で急停止するエレベーターの中で、スクリーン中央にエレベーターだけを写して回りを真っ暗にするという映像もあり、この映画が最初かどうかは知りませんが印象に残りました。
さて、「カビリアの夜」が元ネタといっても、実は(“実は”が多い!)その前に、この話は舞台のミュージカルになっておりまして、フォッシーは舞台の監督でもあったわけです。
舞台化のシナリオはニール・サイモン。67年「裸足で散歩」、68年「おかしな二人」、70年「おかしな夫婦」と乗りに乗っている時期の作品ですが、映画のシナリオは(サイモンさんが忙しかったからでしょうか)、ピーター・ストーンという人が書いています。ネットで調べると、ストーンは「シャレード(1963)」の原作者兼シナリオライターでした。
マクレーン扮するヒロインは、娼婦ではなくダンスホールのホステス。職業柄、そちらの経験も豊富で、後半に登場する真面目男(マクマーティン)に自分の仕事を素直に告白できないでいるところは、カビリアと同じでした。冒頭での前の恋人との別れ、映画スター(モンタルバン)とのめぐり逢いと一夜のデートなども一緒。後半の恋人との関係だけがカビリアとは少し違っていて、さすがにミュージカルですから、カビリアのように残酷には出来なかった模様です。
切ない男と女の気持ちのすれ違い、思い違い、勘違い・・・。特典映像では、別バージョンのラスト・シーンが収録されていて、それはそれで納得できる結末でした。要するに、男と女の話なんてどうにでもなる、という事でしょうか。(笑)
日本でも舞台ミュージカルで幾度か上演されているようですが、確かに何曲かは聞き覚えがありました。
ただ、どうなんでしょう。ストーリーとは直接繋がっていない、例えば映画スターとのデートで行った、ナイトクラブでの歌や踊りにミュージカル・シーンをもってくるというのは。「ウエスト・サイド」などでは、歌も踊りも登場人物の紹介や、ストーリーの一部になっていたのに比べると、回り道のような気がしましたね。
ついでに言いますと、フォッシー原作の「シカゴ」のナイトクラブの部分は、登場人物の紹介や内面の描写になっているので、その点は問題ないと思っています。
スタイルが良いシャーリーなので、ジュリエッタのようなおかしみは出ないですが、終盤の彼女の演技には泣かされる人もいるでしょう。チャリティの正式名が、“チャリティ・ホープ・バレンタイン(Charity Hope Valentine)”というのは笑えます。
全体の調子はフォッシーにしては明るめ、3年後のオスカーを獲った「キャバレー(1972)」の哀愁を帯びた雰囲気の方が似合ってる感じがしましたな。
カメラは「卒業」などの名カメラマン、ロバート・サーティース。
尚、ラストシーンのヒッピーの一人にバッド・コート(「いちご白書(1970)」、「M★A★S★H マッシュ(1970)」)が出ていました。
先日ご紹介したイタリア映画、「カビリアの夜」をアメリカにもってきて、ミュージカルでリメイクしたのがこの「スイート・チャリティ【原題:Sweet Charity】」であります。実はこちらを観たくって、それでは元ネタの「カビリア」も観なくてはと一緒にレンタルしたのでした。
allcinema-ONLINEで、<20世紀のミュージカル史上最大の振付&演出家>と紹介されているボブ・フォッシーの、劇場用映画初監督作品で、確かに初々しいというか、実験的な試みをしている所がありました。
例えば、ヒロインと恋人がデートをする場面で、カップルの静止画像を使い、楽しそうなBGMに乗せてカメラが止まっている二人の映像をなぞっていくという手法。その静止画像から次のシーンが始まる時に、止まっていた登場人物が動き出すという映像も幾つかありました。
二人が初めて出逢うのが故障で急停止するエレベーターの中で、スクリーン中央にエレベーターだけを写して回りを真っ暗にするという映像もあり、この映画が最初かどうかは知りませんが印象に残りました。
さて、「カビリアの夜」が元ネタといっても、実は(“実は”が多い!)その前に、この話は舞台のミュージカルになっておりまして、フォッシーは舞台の監督でもあったわけです。
舞台化のシナリオはニール・サイモン。67年「裸足で散歩」、68年「おかしな二人」、70年「おかしな夫婦」と乗りに乗っている時期の作品ですが、映画のシナリオは(サイモンさんが忙しかったからでしょうか)、ピーター・ストーンという人が書いています。ネットで調べると、ストーンは「シャレード(1963)」の原作者兼シナリオライターでした。
マクレーン扮するヒロインは、娼婦ではなくダンスホールのホステス。職業柄、そちらの経験も豊富で、後半に登場する真面目男(マクマーティン)に自分の仕事を素直に告白できないでいるところは、カビリアと同じでした。冒頭での前の恋人との別れ、映画スター(モンタルバン)とのめぐり逢いと一夜のデートなども一緒。後半の恋人との関係だけがカビリアとは少し違っていて、さすがにミュージカルですから、カビリアのように残酷には出来なかった模様です。
切ない男と女の気持ちのすれ違い、思い違い、勘違い・・・。特典映像では、別バージョンのラスト・シーンが収録されていて、それはそれで納得できる結末でした。要するに、男と女の話なんてどうにでもなる、という事でしょうか。(笑)
日本でも舞台ミュージカルで幾度か上演されているようですが、確かに何曲かは聞き覚えがありました。
ただ、どうなんでしょう。ストーリーとは直接繋がっていない、例えば映画スターとのデートで行った、ナイトクラブでの歌や踊りにミュージカル・シーンをもってくるというのは。「ウエスト・サイド」などでは、歌も踊りも登場人物の紹介や、ストーリーの一部になっていたのに比べると、回り道のような気がしましたね。
ついでに言いますと、フォッシー原作の「シカゴ」のナイトクラブの部分は、登場人物の紹介や内面の描写になっているので、その点は問題ないと思っています。
スタイルが良いシャーリーなので、ジュリエッタのようなおかしみは出ないですが、終盤の彼女の演技には泣かされる人もいるでしょう。チャリティの正式名が、“チャリティ・ホープ・バレンタイン(Charity Hope Valentine)”というのは笑えます。
全体の調子はフォッシーにしては明るめ、3年後のオスカーを獲った「キャバレー(1972)」の哀愁を帯びた雰囲気の方が似合ってる感じがしましたな。
カメラは「卒業」などの名カメラマン、ロバート・サーティース。
尚、ラストシーンのヒッピーの一人にバッド・コート(「いちご白書(1970)」、「M★A★S★H マッシュ(1970)」)が出ていました。
・お薦め度【★★★=一度は見ましょう】
(1952/監督:スタンリー・ドーネン&ジーン・ケリー/ジーン・ケリー、デビー・レイノルズ、ドナルド・オコナー、シド・チャリシー、ジーン・ヘイゲン、ミラード・ミッチェル、ダグラス・フォーリー、リタ・モレノ/102分)
梅雨時にはピッタリと、先日からNHK-BS2でやっているアメリカのミュージカル映画特集の中の「雨に唄えば」を観ました。ジーン・ケリーが雨の中で傘を振り回しながら唄い、踊るシーンは何度もTVで見ていたけれど、実は全編を通して観るのは今回が初めてです。
♪アイム シ~ンギニンザ レイン ・・・♪
何度聞いても楽しい歌ですなぁ。哀しい時には坂本九の「♪上を向いて歩こう」、楽しい時にはコレを思い出します。「時計じかけのオレンジ(1971)」では不気味な使い方をされましたがネ。
あの雨の中のジーン・ケリーのシーンで、下町の若い男女の恋物語と勝手に思い込んでおりましたら、ジーン・ケリーが扮するのは寄席芸人を経て銀幕のスターになったサイレント映画の男優で、ハリウッドがトーキーに移行する時代の軽~い内幕ものでありました。
ドン(ケリー)とのコンビでドル箱スターになっている女優リーナ(ヘイゲン)は悪声の持ち主で、その演技もサイレントでは通用するもののトーキー映画では使いものにならない。所属会社は他社に遅れまいと、このコンビでトーキー作品を作るも、試写会では技術的な不備もあり観客からは酷評される。一計を案じたドン達は作品をミュージカルに変更、リーナに黙ってドンの恋人キャシー(レイノルズ)にリーナの吹き替えをやらせる。
ドンにぞっこんのリーナは、公開前にその事を知り、キャシーへの嫌がらせの意味もあって、今後5年間はノンクレジットでキャシーに自分の吹き替えをやらせようとするが・・・というお話。
ブラジル出身の歌手マルシアによく似たジーン・ヘイゲンは、この映画でアカデミー助演女優賞にノミネートされたそうです。実はちゃんと歌える美声の持ち主なのだそうで、しかしながらココでは間抜けで嫌みな女を演じて、見終わってみると彼女の印象が一番残っておりました。
ミュージカル・シーンがふんだんにあって、その分ストーリーは所々脱線ぎみ。個人的な好みから言えば推薦映画とはならないですな。大スクリーンでゆっくりと観れば、オコナーのアクロバティックなダンスやシド・チャリシーの色っぽいダンスなど見応えありそうですが・・・。
「雨に唄えば【原題:SINGIN' IN THE RAIN 】」なのに、雨のシーンも少なかったなぁ。
デビー・レイノルズ。“スター・ウォーズ”のレイア姫、キャリー・フィッシャーのお母さんですが、この頃の女優の中では個人的にはいまいち顔の印象が弱い人です。サンドラ・ディーとかコニー・スティーブンスなんかの顔が先に出ちゃう。そう言えば、デビーとコニーはどちらもエディ・フィッシャーと結婚していたんですな。フィッシャーはリズ・テイラーとも結婚している。結構なプレイ・ボーイでやんすな。
梅雨時にはピッタリと、先日からNHK-BS2でやっているアメリカのミュージカル映画特集の中の「雨に唄えば」を観ました。ジーン・ケリーが雨の中で傘を振り回しながら唄い、踊るシーンは何度もTVで見ていたけれど、実は全編を通して観るのは今回が初めてです。
♪アイム シ~ンギニンザ レイン ・・・♪
何度聞いても楽しい歌ですなぁ。哀しい時には坂本九の「♪上を向いて歩こう」、楽しい時にはコレを思い出します。「時計じかけのオレンジ(1971)」では不気味な使い方をされましたがネ。
あの雨の中のジーン・ケリーのシーンで、下町の若い男女の恋物語と勝手に思い込んでおりましたら、ジーン・ケリーが扮するのは寄席芸人を経て銀幕のスターになったサイレント映画の男優で、ハリウッドがトーキーに移行する時代の軽~い内幕ものでありました。
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ドン(ケリー)とのコンビでドル箱スターになっている女優リーナ(ヘイゲン)は悪声の持ち主で、その演技もサイレントでは通用するもののトーキー映画では使いものにならない。所属会社は他社に遅れまいと、このコンビでトーキー作品を作るも、試写会では技術的な不備もあり観客からは酷評される。一計を案じたドン達は作品をミュージカルに変更、リーナに黙ってドンの恋人キャシー(レイノルズ)にリーナの吹き替えをやらせる。
ドンにぞっこんのリーナは、公開前にその事を知り、キャシーへの嫌がらせの意味もあって、今後5年間はノンクレジットでキャシーに自分の吹き替えをやらせようとするが・・・というお話。
ブラジル出身の歌手マルシアによく似たジーン・ヘイゲンは、この映画でアカデミー助演女優賞にノミネートされたそうです。実はちゃんと歌える美声の持ち主なのだそうで、しかしながらココでは間抜けで嫌みな女を演じて、見終わってみると彼女の印象が一番残っておりました。
ミュージカル・シーンがふんだんにあって、その分ストーリーは所々脱線ぎみ。個人的な好みから言えば推薦映画とはならないですな。大スクリーンでゆっくりと観れば、オコナーのアクロバティックなダンスやシド・チャリシーの色っぽいダンスなど見応えありそうですが・・・。
「雨に唄えば【原題:SINGIN' IN THE RAIN 】」なのに、雨のシーンも少なかったなぁ。
デビー・レイノルズ。“スター・ウォーズ”のレイア姫、キャリー・フィッシャーのお母さんですが、この頃の女優の中では個人的にはいまいち顔の印象が弱い人です。サンドラ・ディーとかコニー・スティーブンスなんかの顔が先に出ちゃう。そう言えば、デビーとコニーはどちらもエディ・フィッシャーと結婚していたんですな。フィッシャーはリズ・テイラーとも結婚している。結構なプレイ・ボーイでやんすな。
・お薦め度【★★★=ミュージカルファンは、一度は見ましょう】
(2002/ロブ・マーシャル監督/レニー・ゼルウィガー、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、リチャード・ギア、ジョン・C・ライリー、クイーン・ラティファ、ルーシー・リュー)
意外だったのは、ポッチャリちゃんだと思っていたゼルウィガーが細身で筋肉質だったことと、スマートだと思っていたゼタ・ジョーンズが、巾広の体型で着装時とのイメージが違っていたこと。キャサリンは最初、デミー・ムーアかと思いましたな。
2002年のアカデミー作品賞を獲った映画。ミュージカルが作品賞を獲ったのって「オリバー(1968)」以来でしょうか。ボブ・フォッシーの舞台劇の映画化。フォッシーが監督賞を獲った「キャバレー(1971)」も面白かったけど、カット割りなんか、すこし雰囲気似てます。
人生の暗い部分というか、皮肉な部分にフォーカスをあてるフォッシーらしい話でしたが、あまり深刻にならず、音楽と踊りで笑い飛ばしてしまうところがアメリカのミュージカルの面白さ。やっぱりこれは、楽しい楽しいフォッシー・ミュージカルの快作です。
1920年代、いわゆるジャズエイジと云われる時代のシカゴの話。キャバレーで姉妹ペアで売っている歌手のヴェルマ・ケリー(ゼタ=ジョーンズ)は、妹がマネージャーである自分の夫と不適切な関係をもった所を見つけたため、二人とも射殺してしまう。
オープニングで、ショーの開幕にバタバタと駆けつけたヴェルマが、血糊がべっとり付いた手を洗い、拳銃を隠す。ここまでは、ゼタ=ジョーンズの顔は見せない。『一人で大丈夫よ』と舞台マネージャーに言って“♪オール・ザット・ジャズ”を唄い始めるときに初めて顔を見せる。そして、歌い終わったところに警察が店にやってくる。テンポよろしく、ぐっと引き込まれる出だしでありました。
そして、このショーを見に来ていたロキシー・ハート(ゼルウィガー)は、スターを夢見る人妻で、ショービジネスのコネを紹介するという愛人の家具のセールスマンに騙され、かっとなって彼女もセールスマンを射殺する。
こうして、二人は監獄というショービジネスとは全然関係ないところで出会うわけだが、ここに、女性を弁護して死刑になったことが無いという辣腕弁護士、実は金儲けの腕もピカイチのビリー・フリン(ギア)が登場する。
殺人者までもスター扱いしてしまうシカゴのマスコミを巻き込み、夢と現実が入り乱れ、ロキシーとヴェルマの華麗な女の戦いが歌と踊りで繰り広げられる。女性看守長ママ・モートン(ラティファ)や他のプリズナー達の人間模様も織り込まれ、こんなところがミュージカルの舞台になるんかいな、とあきれる話ではありました。
話の展開の行き着く先は途中で読めますが、やはり私はミュージカルが好きなんでしょう。ラストの歌と踊りも楽しかった。
リチャード・ギアの歌とダンスは、最初はちょっとコチラが照れてしまいましたな。上手くやれるんかな?・・・なんてね。さっき見終わったばかりですが、違和感は・・・ちょい残ってますね。下手とかじゃなくて、ただ彼に対する私の印象だけの話なんですが。
“♪ミスター・セロファン”のエイモス・ハート(C・ライリー)。こちらの方が意外性という意味では大きいんだが、その分印象深い。どこかで聞いた曲なんですがねえ・・・思い出せない。
ブロードウェイで振付兼演出家をやっているというロブ・マーシャルの映画初監督とのこと。舞台劇の雰囲気を生かした見事な映像でした。編集の力も大きいなと思っていたら、オスカーを受賞していました(=マーティン・ウォルシュ)。
ミュージカル・シーンで気に入ったのは、レニーが腹話術の人形になってR・ギアと共演するやつ。あと、レニーがブルーの短いスカートで暗いステージでソロで唄ってるやつ。ありゃ、どっちもレニーだった。顔のアップでは肌の荒れが目立ったけどねぇ。
そして、裁判シーンで、決定的なところでのR・ギアのタップと裁判のカットバックは上手い編集でしたな。
キャサリンの意外な体型についてネットで調べると、この時妊娠していたとのこと。それで、アノ踊りとは・・・天晴れ。
オフィシャル・サイト
http://www.miramax.com/chicago/
意外だったのは、ポッチャリちゃんだと思っていたゼルウィガーが細身で筋肉質だったことと、スマートだと思っていたゼタ・ジョーンズが、巾広の体型で着装時とのイメージが違っていたこと。キャサリンは最初、デミー・ムーアかと思いましたな。
2002年のアカデミー作品賞を獲った映画。ミュージカルが作品賞を獲ったのって「オリバー(1968)」以来でしょうか。ボブ・フォッシーの舞台劇の映画化。フォッシーが監督賞を獲った「キャバレー(1971)」も面白かったけど、カット割りなんか、すこし雰囲気似てます。
人生の暗い部分というか、皮肉な部分にフォーカスをあてるフォッシーらしい話でしたが、あまり深刻にならず、音楽と踊りで笑い飛ばしてしまうところがアメリカのミュージカルの面白さ。やっぱりこれは、楽しい楽しいフォッシー・ミュージカルの快作です。
1920年代、いわゆるジャズエイジと云われる時代のシカゴの話。キャバレーで姉妹ペアで売っている歌手のヴェルマ・ケリー(ゼタ=ジョーンズ)は、妹がマネージャーである自分の夫と不適切な関係をもった所を見つけたため、二人とも射殺してしまう。
オープニングで、ショーの開幕にバタバタと駆けつけたヴェルマが、血糊がべっとり付いた手を洗い、拳銃を隠す。ここまでは、ゼタ=ジョーンズの顔は見せない。『一人で大丈夫よ』と舞台マネージャーに言って“♪オール・ザット・ジャズ”を唄い始めるときに初めて顔を見せる。そして、歌い終わったところに警察が店にやってくる。テンポよろしく、ぐっと引き込まれる出だしでありました。
そして、このショーを見に来ていたロキシー・ハート(ゼルウィガー)は、スターを夢見る人妻で、ショービジネスのコネを紹介するという愛人の家具のセールスマンに騙され、かっとなって彼女もセールスマンを射殺する。
こうして、二人は監獄というショービジネスとは全然関係ないところで出会うわけだが、ここに、女性を弁護して死刑になったことが無いという辣腕弁護士、実は金儲けの腕もピカイチのビリー・フリン(ギア)が登場する。
殺人者までもスター扱いしてしまうシカゴのマスコミを巻き込み、夢と現実が入り乱れ、ロキシーとヴェルマの華麗な女の戦いが歌と踊りで繰り広げられる。女性看守長ママ・モートン(ラティファ)や他のプリズナー達の人間模様も織り込まれ、こんなところがミュージカルの舞台になるんかいな、とあきれる話ではありました。
話の展開の行き着く先は途中で読めますが、やはり私はミュージカルが好きなんでしょう。ラストの歌と踊りも楽しかった。
リチャード・ギアの歌とダンスは、最初はちょっとコチラが照れてしまいましたな。上手くやれるんかな?・・・なんてね。さっき見終わったばかりですが、違和感は・・・ちょい残ってますね。下手とかじゃなくて、ただ彼に対する私の印象だけの話なんですが。
“♪ミスター・セロファン”のエイモス・ハート(C・ライリー)。こちらの方が意外性という意味では大きいんだが、その分印象深い。どこかで聞いた曲なんですがねえ・・・思い出せない。
ブロードウェイで振付兼演出家をやっているというロブ・マーシャルの映画初監督とのこと。舞台劇の雰囲気を生かした見事な映像でした。編集の力も大きいなと思っていたら、オスカーを受賞していました(=マーティン・ウォルシュ)。
ミュージカル・シーンで気に入ったのは、レニーが腹話術の人形になってR・ギアと共演するやつ。あと、レニーがブルーの短いスカートで暗いステージでソロで唄ってるやつ。ありゃ、どっちもレニーだった。顔のアップでは肌の荒れが目立ったけどねぇ。
そして、裁判シーンで、決定的なところでのR・ギアのタップと裁判のカットバックは上手い編集でしたな。
キャサリンの意外な体型についてネットで調べると、この時妊娠していたとのこと。それで、アノ踊りとは・・・天晴れ。
オフィシャル・サイト
http://www.miramax.com/chicago/
・お薦め度【★★★★★=大いに見るべし!】
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■ Information&Addition
※gooさんからの告知です:<「トラックバック機能」について、ご利用者数の減少およびスパム利用が多いことから、送受信ともに2017年11月27日(月)にて機能の提供を終了させていただきます>[2017.11.12]
●2007年10月にブログ名を「SCREEN」から「テアトル十瑠」に変えました。
●2021年8月にブログ名を「テアトル十瑠」から「テアトル十瑠 neo」に変えました。姉妹ブログ「つれづる十瑠」に綴っていた日々の雑感をこちらで継続することにしたからです。
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HNの十瑠(ジュール)は、あるサイトに登録したペンネーム「鈴木十瑠」の名前部分をとったもの。由来は少年時代に沢山の愛読書を提供してくれたフランスの作家「ジュール・ヴェルヌ」を捩ったものです。
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