なんと!免許不要、しかも20万円以下のお金で4人乗りの船外機付のお船が買えのですョ~。

スクーター、パソコンと同金額程度で、規制緩和のおかげで免許無くとも、船外機付のお船のオーナになる事が出来た。その航海記。

父の故郷、山形県の最上川に遺灰をまく。2

2012-02-26 19:49:02 | 山形県

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父の故郷、山形県の最上川に遺灰をまく。1」の続きです。まずは動画から。実は私は人生で初めてこの時に川の堰を船でくぐったのでした。ある意味感激しました。ちなみに動画はくぐった後。くぐる最中は正直初めてな事で怖くて撮影どころではなかったです。

 

2011/8最上峡谷ボート下り・お盆前2.wmv

  

      

左上から写真の説明。1枚目山間部から平野部(庄内平野)に入ったあたりの風車発電機。庄内平野は日本海から吹く風と鳥海山という酒田のシンボル的な山から吹き下ろす風で、かなりの強風地帯。なので海岸線は砂丘が発達し松林の防砂林がすごい。庄内砂丘ではメロン栽培がおこなわれ特産品にもなっている。で、後ろ振り向くと2枚目という感じ。

3枚目、どんどん下りJRの線路の線路を過ぎしばらくすると、父の故郷だ。遺灰の散骨をし、戸沢村で頂いた花束から花を抜き取り父に手向けた。ちなみに父は幼い頃、この暴れ川最上川でお友達と遊んでて、目の前でその子がおぼれ死んでしまったことからトラウマになったのか、生涯あまり上手に泳ぎが出来なかった。海水浴とか何度も連れて行ってもらったが必ず浮き輪してたか、海に入らず眺めていることも多かった。4,5枚目は3枚目の場所から岸に上陸し、建設中の道路に並走し(4枚目)、父の縁者が眠る墓地に向かった写真。(5枚目)久々に私も父もこの地に戻って来た事を縁者の霊に報告した。父は色々訳ありで、故郷に対して愛憎半々という感じで、里帰りもある時期を境にあまり行かなくなっていた。

    

更に航海は続く。先祖の墓参りを済ませボートに戻り日本海の酒田港を目指す。左上1枚目から4枚目にかけどんどん下っている。3枚目、この日雲に隠れていたので次の日に酒田港防波堤から撮影した名峰鳥海山。この酒田の港だが、近づくにつれ結構まずい状態になってきた。河口は潮が複雑で船には危険地帯の一つなのだが、この日は港日に近づいた時間帯あたりから、風が猛烈な陸風になり、上の地図を見て頂くと分かるが、私はいったん河口から海に出て港に入るつもりだったのが、猛烈な風に邪魔させ、それとエンジンが故障していた事もあって中々防波堤に上陸できなかった。そもそもエンジンが動かなくなっていたのが1つ。それと港に入るにあたり、地図とかで調べていてもっと上流側から水路使って入港するつもりだったのに、それが見つからなかったのが2つ目のトラブルだった。更に気象条件悪化時はミニボートだから沖にさえ出なければ途中すぐに岸に寄せられると思っていた、が港周辺側はテトラポットだらけで上陸だけならできるが、その後の船の回収の困難考えて、予定外だったが、(中流域には釣り人ほとんど居なかったが、この辺にくるとすごい釣り人の数でその目線の中)、多数居る釣りしている方に、「エンジントラブルです。すみません!」と言いながらかなり波も高い中(複雑なうねり、三角波)、海に出てぐるっと回って港入りする事とした。強風でなかなかパドリングで進めないが、なんとか湾内に入るも湾の奥に少しでも行って上陸したかったが、周囲の釣り人の人達から、「もうあぶねえから、上陸しろ~」と言われて上陸し(4枚目)、ロープで堤防を歩きながら船を牽引した。途中船が堤防に引っかかり中々動かない所があったが、見かねていた釣り人達が手伝ってくれて、本当に助かりました。やはり雪国とか海のそばの人って助け合い精神がすごいですね。この辺が元々の江戸っ子が多い下町とかを除く、多くの人がイメージする東京人と決定的に違う所です。東京は良くも悪くもある意味クールですけどその分自己責任感も強いです。それに対してやはり外国でもそうなのですが、環境が厳しい地域の人は、物凄い助け合い精神持っています。東京人からするとお節介が過ぎるって思う人もいるけど、何にしても私はこの旅で互助精神に何度も助けられています。その辺の意識の差には本当に圧倒されます。

  

こうして何とか無事に上陸して、あとは船をどうしようか思案しながら船引いて、で堤防に船が引っかかったり助けてもらった時に、「もう少し歩くと船あるから、その船主に頼んで港まで曳航してもらえ」言われました。私はここで自己責任と意地張っても、かえって周りの方を不安にさせてるんだな、と思い素直にそれを頼む事にしました。その写真が2枚目です。分かりにくいですが私のゼファー号が他の船に牽引されています。3枚目は操舵している船主さん。ということでこの方が係留している第1酒田プレジャーボートスポット(詳しくはないですがここの係留代金とか首都圏に比べすごく安くないですか?)というマリーナまで3キロ位曳航し連れて行って頂きました。牽引開始場所からすこまで、距離結構ありますから、この船主さんが助けてくれて本当に助かりました。

それだけではなく一時避難の為のマリーナ入りやエンジン修理の為にあれこれ電話してくれたりと本当に頭下がります。しかも私がこの後電車で、今日船出をした戸沢村の舟番所に戻るか、酒田で1泊後戸沢に行くと説明すると、「これからソコ通過して俺たち家に帰るから、車で連れてってあげる。」と言うのです。ならばガソリン代を、、、と私が言うと「そんなもんいらない。」と言われ、またまた山形の人の人情に助けられる事となりました。本日の航行距離約45キロ。マリーナから舟番所までだって40キロ近くなります。それを無条件でここまで親切にしてくれる。仲間の方は「会長」言っていましたから、地元の名士さんかもしれませんね。でも最後まで名のりはしてくれませんでした。(翌日マリーナの方にも聞きましたが個人情報という事で丁重に断られました。)こうして私は無事最上峡芭蕉ライン舟下りの舟番所まで戻って来れました。もう夜で閉店していましたので、今日はまたここでテントを張りました。そして朝一番で、ここの皆様方にお礼を申し上げ、そしてほとんど恩返しにもなりませんが、ささやかにお土産を買ってこの地を後にしました。

ところで、お盆前後の時期は、水に入ると色んなご霊さんに足引っ張られるよ、と聞かされた事はあります。まして父の遺灰散骨が目的です。虫の知らせ的なものはあったので、今回の航海はそれになりに自分で注意払いながらボートを出したつもりでしたが、自分の経験の無さからくる無茶と、熟練さんでさえ命がけな船の航行に関して、本当に今回私の父をはじめ縁ある方が背中押してくれて、生きている大勢の人達にも助けられ生きて帰れる事が出来ました。この時既に父が旅立ってから1年半経過しておりました。諸事情で墓も1年間建てれませんでした。なので私は墓とこの散骨と、ご先祖への報告の墓参りで何か肩にかかっていた荷物をようやく1つ降ろせるな、と思った次第です。今回お世話になったすべての方々、本当に有難う御座いました。

合掌。

追記・この後私は酒田市の縁者の家を十数年ぶりに訪ね、先方様もそんな恩知らず的な私を快くむかえて下さり、父の件を話したりし、数日間お世話になりました。そして上記したマリーナで船を回収、その場で車の工具等使い、周りの船主さん達のアドバイスもあってエンジンが動くようになったので、今度は港を避け、海水浴場からボートだしてみました。

河口付近は小舟ではちょいと怖いな、と思ったからです。そこで数日後昔泳いだ事のある酒田周辺の海水浴場に行くのですが、2つだったかな、宮野浦・十字塚(小さい文字ですが地図にも書かれていますので参照。)に行ったのですが、どちらも現在は遊泳禁止。やはり日本海側の、しかも河口そばの海はなかなか厳しいです。このことはその時に訪れた庄内空港そばにある浜中(地図参照)海水浴場の監視レスキュー員の方も言われていました。この辺は、少し沖に行くと、すぐ深くなる、との事。波の荒々しさの為でしょう。その為の河口に近い所は閉鎖され遊泳禁止となったのだと思います。

で私はこの海水浴場でボートだして良いか聞いた所、500円支払い駐車場に車止めた後、ブイでかこまれたエリアに侵入しなければどうぞ、と言われたのでボート出しました。その時に離岸流の様子や天候の情報教えてくれたスタッフの方有難う御座いました。またブイそばに接近しすぎて(エンジン切ってプロペラ格納していましたが)忙しい所多分ご心配されていたでしょう事、あわせてお詫び申し上げます。

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父の故郷、山形県の最上川に遺灰をまく。1

2012-02-26 11:25:08 | 山形県

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大分ブログの更新が遅れてて、今回も去年のお盆前のお話です。父の三回忌が最近あってそれにも絡む内容なので、なんとかこの日記早々に仕上げようと思い今頃書いてます。

さて今回ですが、私の父が山形県の今の酒田市の生まれで、最上川そばで少年期まで過ごしているので、その生まれ故郷そぐそばを流れる「最上川」に行くことをお盆の少し前を狙い実行致しました。目的はせっかくボート所有しているのですから父の遺灰を是非川にほんの少しの遺灰ですが散骨しようと思ったからです。生前父は「俺が死んだら日本海に灰をまいてくれ。」と冗談めかしに健康な頃たまに言っておりましたので、私はそれを実行する事にしたのです。最上川は日本海にそそぎます。

私は7月下旬千葉県を出て、常磐道を北上し、とりあえずいわき市の手前でおりました。何故かと言うといわき市の復興の様子を少しでも見ておきたいと思ったからです。で一般道で市内を走りますが、状況は私の想像をはるかに超えて酷かったです。道路のあちこちが陥没が激しくて、舗装修復は完了こそしてても、道路自体はまるで山道のように上下激しくうねっておりました。ここで何か私にできることは、と考えまして、今回私が実行したのはこの地にて少々高額な品物を、特に絶対必要な訳でもないのですがあえて買う事にしました。頑張れ東北。

そうして市内の様子を目にした後ですが、今までならそのまま、いわき市北上する手もあったのですが、そこには皆様ご存じの福島第一原発が国道6号線を見事に寸断しております。ですから磐越道かその下道を行き郡山を目指すことになります。夜車が少ない時間だったので磐越道には乗らず、この日は出発が遅かった事もあり国道49号線を走り、とりあえずどこか温泉にでも泊まろう(本当はいわき湯本に泊まってあげたかったが少しでも山形県に向かいたかった。)と走っておりますと泊まれそうな温泉宿がカーナビ見てもいわき湯本周辺以外だとあまり検索に出てこなくて、時間だけは経過していく。そんな中「道の駅ひらた」の看板が見えたので休憩と思い立ち寄りました。そうしたら、ここ仮眠コーナーというには少しキツイものがありますが、カーペットが引いてある畳6畳程度の休息所があったので、そこで寝袋に包まって寝る事にしました。先客にはお二人ほどバイク乗りの方がもう寝ていらっしゃいました。私は耳栓をしてこの日はここで眠りました。

翌日はひらたを出て東北道を北上し凄い集中豪雨の中郡山市を通過、ここで高速に乗り50キロほど行くと福島市。そこから国号13号に入って上杉家と牛肉とかで有名な米沢市まで行きます。ここは私の大好きな戦国武将伊達政宗の生まれ育ちの地なんです。そして私は正宗が欧州平定の為に南進したコースを逆に北上してきたという訳です。ここまで来て山形県です。しかし私の目的地の山形県酒田市は、山形の中でも米沢市から見て再北西にあたる遠所です。先はまだ長いのです。ということで米沢を少し北上すると最上川の上流部をたどるコースになります。そのまま行き県庁所在地の山形市を通過。私の目的地は酒田市から最上川をさかのぼる事約40キロ強辺りに最上峡という渓谷で有名な観光地があるのですが、そこを目指しました。新庄市を迂回する感じで川になるべく沿った道を進みます。程よく良い感じの渓谷になってきそうだったので、ボートを出向させる場所をとにかく探しました。その第一候補になったのが「道の駅とざわ」でした。時刻はもう夕方に入りかけなのでとにかく場所探しを急ぎました。

     

「道の駅とざわ」・・・私は道の駅で、この手のタイプは初めて見ました。まるで万博の韓国館かソウル近郊の民俗村みたいな作りの道の駅・・・わが父の故郷酒田に行く時に良く通った場所。そういう思い出の地なのですが、訪ねなくなって何年も経過しているうちに、とても山形県思えない建物が建っていてびっくりしました。左から3番目には、多分この施設に携わったであろう在日コリアンの方でしょうかね?韓国風のクリスチャンらしきお墓も建っていました。ちなみに私は父と共に仕事で韓国に渡る事50回以上、韓国の良いも悪いも色々と所も知っています。だからちょいと不思議な心境でした。これも地方疲弊がなせる苦肉の挽回策なのか(韓流好きそうな女性客さん数名ですが、多分これ目的って感じの方も見かけました。黒字ならこういうのも活性化の為に悪くはないと思いますけど・・・)、それとも中国人が日本のあちこちを買いまくっている報道がされていますが、ここもそんな感じなのか、と・・・。まあこっち関連はこれ位にして本題へ。

でこの施設の道を挟んだ対面が最上川です。写真の一番右。でも距離結構あるんです。しかも国道びゅんびゅん80キロとか当たり前に車飛ばしている所を道具持って横断歩道も信号もない所を横断して、草ぼうぼうの土手で組み立てて・・・って、これは断念しました。なので移動。車をさらに父の故郷方面に進める事約2キロ。ここにも観光施設がありました。それが今回すごくお世話になることになった「最上峡芭蕉ライン観光株式会社」さんです。私が車走らせていると、この会社が運営する舟下りの乗船所である「戸沢藩船番所」というのが見えてきました。今度は山形にふさわしい立派な和風建築遺物でした。 http://www.blf.co.jp/index.htm

 

もう時刻は17時近くて、閉店の準備を確かしていた所だったと思いましたが、中を少し見させて頂き、桟橋もあるのを見て「私はここだ!!ここから船出せないか!!」と思い、まずはこの会社の方に父の散骨の事情を説明させて頂き、明日ここのそばからでよいから船をだすのの許可を頂けませんか?使用料もお支払いしますとこの会社の企画を担当されている芳賀さんにお願いしてみました。芳賀さんはほぼ二つ返事でこの件を承知して下さいました。しかも無料で。(この後専務さんだったと思いますが、その旨の確認までして頂きました。)さらにテントを敷地内に張らせて頂く事、車を翌々日までおかせて頂く事、水道を使わせて頂く事も快諾して下さいました。

私はこの件、書いている今も少し迷っています。具体名出すと先方さんに、ご迷惑かける気もします。勘違いした人が我も我もとテント張り出してもこれも駄目でしょうし、カヤックやウォーターバイク乗りの人が我も我もと無断で押し寄せても先方は大迷惑でしょう。今回ここの方々が承諾して頂いたのは、事前説明をし、私の父の散骨という特殊な事情を察してくれたのだとおもっていますけど、書くとまねて色んな事やる人が出てきそうなのが怖いです。このブログ見たからと言って、先方の業務に差障るような事は、決してなさらないで下さい。お願い致します。

とにもかくにもこの日記書き終えたら、電話いれてみて名前出す事を事後承諾になっちゃいますが、確認してみたいと思います。(※UP後メール出して電話しました。何かあれば連絡下さるとの事です。→翌日メールで丁重な返答頂きブログ掲載のOKもらいました。)

それからこの日はこの後、いきいきランドほんぽ館という近くの日帰り温泉施設に行きました。http://ponpokan.com/ponpokan/index.html

ここで風呂と食事をするためです。しかし、時間がレストランの営業時間をわずかにオーバーしていて、レストランしまっていました。でもここでもまた私は那珂川に続き地方の方の人情に触れることになります。スタッフの方が「今日は宴会あるから、少し時間くれれば作ってあげても良いよ。」と言ってくれたのです。忙しいのに、こんなに親切にしてくれるとは・・・本当に父の故郷山形に来て良かった。と父に語りかけました。ここでおかげさまで風呂と食事をし、帰り道コンビニで翌日の飲料水食料を買い込み、この施設の外れに車を置き、テントを張りました。そして寝る前にボートの組み立てをしておきました。

朝、いよいよ出発の為色々荷物の積み込み等終えて、芳賀さんにお礼をしにいきました。そうしたら芳賀さんの腕にいっぱいの花束が!!そして私に、どうぞ、と言って渡すのです。朝早くの時間です。時間的にお店とかやってないでしょうし、農家さんの作っているものにしても、きちんと束ねてくれているし・・・今考えてみるとどうやってこの花用意してくれたのか分りませんけど、本当に感謝感謝でした。心の中で「お父さんの故郷の近くの人ってなんで見も知らぬ人にまでこんなに暖かいの?」って内心泣いてました。私の住む近所では、日常的に孤独死も多く、近所付き合いも薄く、都市環境は便利だけど、人間性のゆとりは、ここの人たちより数段劣っていると思いました。そして改めてこの山形の北部域は私の第二の故郷だなーと思う次第です。そうして私はただでさえ1番船出向前で忙しい多くのスタッフの見送りと手助けをうけ、ボートを出向させました。

さて。ここで最上川の紹介。日本三大急流と言われる川の1つで、山形県内に発し、山形県内のみ通過して山形の海にそそぐ大河としては珍しい川でもあります。この最上川。江戸の俳人松尾芭蕉でもい有名ですが、私が彼の句で一位二位をあらそう好きな句も最上川関連が1つあります。それをここに書きます。

「五月雨をあつめて早し最上川」

でもう1つ好きなのが最上川からさほど遠くない所にある月山を書いた句。

「雲の峰いくつ崩れて月の山」

この2つが私の芭蕉の句のNO1とNO2なんですが、これ2つとも舞台は山形県です。でもこれ贔屓でもなんでもなくて、本当に偶然好きな句が2つとも山形北部を舞台にした句なんですよ。偶然じゃない、なにか父から渡された遺伝子の影響なのか、私は山形が好きでたまりません。私の病気が温度の低下に非常に影響されることさえなければ、今の家売って移住したい位です。それに私は独身ですが、父から嫁は山形人えらべ、なんていわれてましたが、実際女でも男でも雪深き所の情の厚さっての感じますよ。山形北部の方って正直商売っ気あまり大阪や東京よりないです。そういう意味では少し不器用です。でもそのかわりに、凄い人情味厚いんですよ。そういう山形の女性の嫁っ子さ来れば最高ですね。(山形懐かしかったので、元会社の同僚で天童に帰ったと聞いていた女性に連絡したんですけど、会えませんでした(悲))

ってえらい話ずれて申し訳ないです。本題のボートの話に戻します。

       

上の写真を左から解説。前日福島で遭遇した集中豪雨は最上川上流部にも降っていて、1日で船着き場水位2MだかUPしたとの事、でも珍しい事ではないそうです。むしろ船船頭さんのお話では、水位上がった分危険度も下がり楽に航行できるだろうとの事でした。で私は当日エンジン搭載して航行に臨んだのですが、エンジンがトラブルですぐいうこと聞かなくなりました。ちとあせったのですが、水量が多く、暗礁にぶつかる危険も少なかったのでパドリングにも力が入り、川の流れが速くて下流に行くまでは多分6ノット以上(時速11キロ以上)出てた気がします。ただスタッフの方が言っておりましたが、やはり岩場あっての渓流ですし、水も濁ってて残念との事でした。

2、3枚目は下船場との間にある休憩所。ここで私は名物だだちゃ豆アイスを食べました。おいしかったです~。そして4枚目が舟下りの下船場で、5,6,7枚目が下船場より少し下流にある堰の写真。船専用ゲートがありますので安心。ここ最上川のライン下り、本当にお勧めですよ。山形観光来られる方是非1度は体験してみて下さい。(舟下り自体も、昔に比べ危険個所の暗礁の爆破とかでかなり安全に航行出来る様になっています。でもこの最上峡の美しさは数百年前と大差無く我々をむかえてくれる事でしょう。)

父の故郷、山形県の最上川に遺灰をまく2」に続く。

 

最上川お盆前1

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