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「父の故郷、山形県の最上川に遺灰をまく。1」の続きです。まずは動画から。実は私は人生で初めてこの時に川の堰を船でくぐったのでした。ある意味感激しました。ちなみに動画はくぐった後。くぐる最中は正直初めてな事で怖くて撮影どころではなかったです。
2011/8最上峡谷ボート下り・お盆前2.wmv
左上から写真の説明。1枚目山間部から平野部(庄内平野)に入ったあたりの風車発電機。庄内平野は日本海から吹く風と鳥海山という酒田のシンボル的な山から吹き下ろす風で、かなりの強風地帯。なので海岸線は砂丘が発達し松林の防砂林がすごい。庄内砂丘ではメロン栽培がおこなわれ特産品にもなっている。で、後ろ振り向くと2枚目という感じ。
3枚目、どんどん下りJRの線路の線路を過ぎしばらくすると、父の故郷だ。遺灰の散骨をし、戸沢村で頂いた花束から花を抜き取り父に手向けた。ちなみに父は幼い頃、この暴れ川最上川でお友達と遊んでて、目の前でその子がおぼれ死んでしまったことからトラウマになったのか、生涯あまり上手に泳ぎが出来なかった。海水浴とか何度も連れて行ってもらったが必ず浮き輪してたか、海に入らず眺めていることも多かった。4,5枚目は3枚目の場所から岸に上陸し、建設中の道路に並走し(4枚目)、父の縁者が眠る墓地に向かった写真。(5枚目)久々に私も父もこの地に戻って来た事を縁者の霊に報告した。父は色々訳ありで、故郷に対して愛憎半々という感じで、里帰りもある時期を境にあまり行かなくなっていた。
更に航海は続く。先祖の墓参りを済ませボートに戻り日本海の酒田港を目指す。左上1枚目から4枚目にかけどんどん下っている。3枚目、この日雲に隠れていたので次の日に酒田港防波堤から撮影した名峰鳥海山。この酒田の港だが、近づくにつれ結構まずい状態になってきた。河口は潮が複雑で船には危険地帯の一つなのだが、この日は港日に近づいた時間帯あたりから、風が猛烈な陸風になり、上の地図を見て頂くと分かるが、私はいったん河口から海に出て港に入るつもりだったのが、猛烈な風に邪魔させ、それとエンジンが故障していた事もあって中々防波堤に上陸できなかった。そもそもエンジンが動かなくなっていたのが1つ。それと港に入るにあたり、地図とかで調べていてもっと上流側から水路使って入港するつもりだったのに、それが見つからなかったのが2つ目のトラブルだった。更に気象条件悪化時はミニボートだから沖にさえ出なければ途中すぐに岸に寄せられると思っていた、が港周辺側はテトラポットだらけで上陸だけならできるが、その後の船の回収の困難考えて、予定外だったが、(中流域には釣り人ほとんど居なかったが、この辺にくるとすごい釣り人の数でその目線の中)、多数居る釣りしている方に、「エンジントラブルです。すみません!」と言いながらかなり波も高い中(複雑なうねり、三角波)、海に出てぐるっと回って港入りする事とした。強風でなかなかパドリングで進めないが、なんとか湾内に入るも湾の奥に少しでも行って上陸したかったが、周囲の釣り人の人達から、「もうあぶねえから、上陸しろ~」と言われて上陸し(4枚目)、ロープで堤防を歩きながら船を牽引した。途中船が堤防に引っかかり中々動かない所があったが、見かねていた釣り人達が手伝ってくれて、本当に助かりました。やはり雪国とか海のそばの人って助け合い精神がすごいですね。この辺が元々の江戸っ子が多い下町とかを除く、多くの人がイメージする東京人と決定的に違う所です。東京は良くも悪くもある意味クールですけどその分自己責任感も強いです。それに対してやはり外国でもそうなのですが、環境が厳しい地域の人は、物凄い助け合い精神持っています。東京人からするとお節介が過ぎるって思う人もいるけど、何にしても私はこの旅で互助精神に何度も助けられています。その辺の意識の差には本当に圧倒されます。
こうして何とか無事に上陸して、あとは船をどうしようか思案しながら船引いて、で堤防に船が引っかかったり助けてもらった時に、「もう少し歩くと船あるから、その船主に頼んで港まで曳航してもらえ」言われました。私はここで自己責任と意地張っても、かえって周りの方を不安にさせてるんだな、と思い素直にそれを頼む事にしました。その写真が2枚目です。分かりにくいですが私のゼファー号が他の船に牽引されています。3枚目は操舵している船主さん。ということでこの方が係留している第1酒田プレジャーボートスポット(詳しくはないですがここの係留代金とか首都圏に比べすごく安くないですか?)というマリーナまで3キロ位曳航し連れて行って頂きました。牽引開始場所からすこまで、距離結構ありますから、この船主さんが助けてくれて本当に助かりました。
それだけではなく一時避難の為のマリーナ入りやエンジン修理の為にあれこれ電話してくれたりと本当に頭下がります。しかも私がこの後電車で、今日船出をした戸沢村の舟番所に戻るか、酒田で1泊後戸沢に行くと説明すると、「これからソコ通過して俺たち家に帰るから、車で連れてってあげる。」と言うのです。ならばガソリン代を、、、と私が言うと「そんなもんいらない。」と言われ、またまた山形の人の人情に助けられる事となりました。本日の航行距離約45キロ。マリーナから舟番所までだって40キロ近くなります。それを無条件でここまで親切にしてくれる。仲間の方は「会長」言っていましたから、地元の名士さんかもしれませんね。でも最後まで名のりはしてくれませんでした。(翌日マリーナの方にも聞きましたが個人情報という事で丁重に断られました。)こうして私は無事最上峡芭蕉ライン舟下りの舟番所まで戻って来れました。もう夜で閉店していましたので、今日はまたここでテントを張りました。そして朝一番で、ここの皆様方にお礼を申し上げ、そしてほとんど恩返しにもなりませんが、ささやかにお土産を買ってこの地を後にしました。
ところで、お盆前後の時期は、水に入ると色んなご霊さんに足引っ張られるよ、と聞かされた事はあります。まして父の遺灰散骨が目的です。虫の知らせ的なものはあったので、今回の航海はそれになりに自分で注意払いながらボートを出したつもりでしたが、自分の経験の無さからくる無茶と、熟練さんでさえ命がけな船の航行に関して、本当に今回私の父をはじめ縁ある方が背中押してくれて、生きている大勢の人達にも助けられ生きて帰れる事が出来ました。この時既に父が旅立ってから1年半経過しておりました。諸事情で墓も1年間建てれませんでした。なので私は墓とこの散骨と、ご先祖への報告の墓参りで何か肩にかかっていた荷物をようやく1つ降ろせるな、と思った次第です。今回お世話になったすべての方々、本当に有難う御座いました。
合掌。
追記・この後私は酒田市の縁者の家を十数年ぶりに訪ね、先方様もそんな恩知らず的な私を快くむかえて下さり、父の件を話したりし、数日間お世話になりました。そして上記したマリーナで船を回収、その場で車の工具等使い、周りの船主さん達のアドバイスもあってエンジンが動くようになったので、今度は港を避け、海水浴場からボートだしてみました。
河口付近は小舟ではちょいと怖いな、と思ったからです。そこで数日後昔泳いだ事のある酒田周辺の海水浴場に行くのですが、2つだったかな、宮野浦・十字塚(小さい文字ですが地図にも書かれていますので参照。)に行ったのですが、どちらも現在は遊泳禁止。やはり日本海側の、しかも河口そばの海はなかなか厳しいです。このことはその時に訪れた庄内空港そばにある浜中(地図参照)海水浴場の監視レスキュー員の方も言われていました。この辺は、少し沖に行くと、すぐ深くなる、との事。波の荒々しさの為でしょう。その為の河口に近い所は閉鎖され遊泳禁止となったのだと思います。
で私はこの海水浴場でボートだして良いか聞いた所、500円支払い駐車場に車止めた後、ブイでかこまれたエリアに侵入しなければどうぞ、と言われたのでボート出しました。その時に離岸流の様子や天候の情報教えてくれたスタッフの方有難う御座いました。またブイそばに接近しすぎて(エンジン切ってプロペラ格納していましたが)忙しい所多分ご心配されていたでしょう事、あわせてお詫び申し上げます。
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