まずはじめに。
自称“ごくフツーの女子高校生”な主人公の一人称による、妙に厭世的で、学校がキライだとか、恋とか愛とかどうでもいいとかいう私小説的な作品ってのは、まず間違いなく読まないです、オレは。書き出しの数行でブラウザを閉じる。
そんなオレが「だんだんだん、学校を落ちる音なんて聞こえやしないはずだけど、わたしには聞こえた。」から始まる本作を読んでみたわけです。
いや~、おもしろかったです。カワイーねぇ、ってカンジで。
この作品ってのは、ネタバレ上等で書くと、主人公カギカの身の回りだけで起きるごく小さい話である。その小さい世界の中でカギカが思いこみと先走りだけで、勝手にドキドキしたり、悩んだり、苦しんだりする。
でも、それがいい。
最初は相手の好意に答えたつもりだったのに、いつの間にか自分が相手の仕草にや素振りに気持ちが乱されていく……ベタなんだけど、こういうことで気持ちが揺れる揺れる主人公ってのがカワイイんだ。
等身大っていうか、「ああ、そうそう」ってフツーにカギカの悩みにうなずけるっていうか。
そんな主人公をサポートするオーサカ、もとい神楽も基本的に友好的で見ていてホッとする。これぞ友達。
先生もかわい美人系でいい。人間的にできていらっしゃるし。
んで、主人公を悩ます、もう一人の彼女かおりんだが。
天然入ったぺとぺとしたカンジが、あんまり個人的には好きじゃなかったんだけど、そのぺとぺと加減が異様に度を超えて眼鏡に及んで……この“眼鏡”に及んだってのが、読み終えてみると勘違いの元凶だったわけで。
(結末を知ってしまうと、「そんな無茶な!」ってカンジだけど、まあ、そこは天然なんでってことで)
この小説は“眼鏡”をテーマにして書かれているんだけど。眼鏡っ子ではなくて、眼鏡。
かおりんが“眼鏡”に執着したことによって、カギカと眼鏡はタイトル通り恋敵の関係となる。
眼鏡を掛けた女の子と、女の子に掛けられている眼鏡の対立。
この結果、眼鏡はカギカが装備するアイテムではなくて、カギカに装備される(そして、かおりんが手にすることもできる)という主体となった。
道具が道具として使用されるのではなく、存在そのものとして独立させることにした、このアイデアは秀逸だと思う。これぞテーマ小説。
でも……道具ってのは、やっぱり使われてこその道具であり。そこにも、きちんとオチがある。
勘違いの目の曇りを取り去ったのも、改めて二人でデートする場所を取り持ったのも、やっぱりこの眼鏡でしたとさ、ということでめでたし、めでたし。
みんないい人ばっかりだし、和さんのカワイイイラストもぴったしハマっていて、心地よい読了感のある作品だ。
雑誌の巻頭に持ってきたのはベストな選択だった。
……と、褒めてばっかりなのも、わざとらしいかもしれないんで。最後に。
当方、女子高校生と話す機会なんて絶無なんでよくわからんのだが、今時の女子高校生ってのはヲタっぽいフレーズを合間に入れるもんなのかな?
特に、夏の炎天下を学校まで歩を進める過程において。異様なまでに、カギカは三国志にこだわってるんだけど、こりゃあいったい……?
後につながる告白シーンまで含めて、「暑さが判断を狂わせたのだ」と好意的に解釈してもいいけど。
オレは、さりげないパロディやカメオ出演は好きだけど、あんまりくどいのは、ね……。
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