いろいろ。

同人サークルA-COLORが北海道をうろうろしながら書いているブログです

『女ひとり大地を行く』上映へ

2025-01-24 20:41:55 | 聖地巡礼

朝鮮戦争の影響

全面協力を得られるはずが、炭鉱会社を批判する内容ゆえに施設の使用を断られ、さらに63日のストに巻き込まれて三つの炭鉱を転々とすることになった本作。

会社が出炭目標を掲げているシーンがある一方で

労働強化に反対するビラを貼り出すシーンがあったりします。

それでもなんとか難産の末に撮影を終えたのですが、公開までにはまだ難所がありました。

『女ひとり大地を行く[ 最長版]』の復元】(板倉史明)によると、本作は映倫から朝鮮戦争を連想させるシーンの削除が求められました。

どうやら、映倫がアメリカに対し忖度して、表現の規制を模索していたようです。
実際に過度な忖度だったのか、暗に政治的な働きかけがあったのかどうかまでは不明です。

とはいえ、実際に削除されたのは2カ所のシーン・30秒程度だったそうです。

『鳥になった人間』によると、亀井監督が最初の撮影した劇映画『戦争と平和』はGHQ により約20分カットされたそうです。それに比べれば、まだ穏当だったのかもしれません……。

なお、このときの『映画倫理規程審査記録』は国会図書館デジタルコレクションで読むことができます。

国立国会図書館デジタルコレクション『映画倫理規程審査記録』

作中では、朝鮮戦争による国内の混乱の様子や、戦争加担者への批判がちょこっと映り込んでいます。これらは削除対象になっていないようです。

試写会、全国上映へ

困難を極めた製作の果て、ようやく完成した本作。

『日本共産党の文化活動―その実態と解剖―』によると、1953年1月16日にアカハタ本局主催で特別試写会が予定されていたそうです。
(同書では予定とあり、実際に公開されたかどうかは書かれていませんでした)

1月20日には、道炭労地方委員会で試写。
この際、【試写後、修正意見をまとめ、更に製作委員会で修正、カットすべきものはカットしたのち】という、ちょっと気になる文言が続いています……これについては別の記事で触れます。

1月29日、30日には釧路市の太平洋炭鉱の春取、別保会館で無料上映。

2月には夕張市で上映されることになるのですが……ここで、また労働組合と炭鉱会社との間で一悶着があったようです。

以下、夕張炭鉱労働組合の『創立十周年記念』からの抜粋ですが――

炭鉱組合では、ロケ地である夕張での優先封切を希望し、上映予定館である夕張会館の使用を会社に申し入れました。 しかし、炭鉱会社は夕張会館の使用を拒否。本作が炭鉱会社に否定的な内容で、撮影時にも協力を拒んでいたのだから、当然と言えば当然かも知れません。

そこで組合が【強硬な団交をもった。交渉数回】の結果、ようやく会社が会館の使用を認めることに。

2月13日から四日間「地熱発刊百号記念」の行事として夕張会館(このときの夕張会館は、どこにあったのでしょう?)で上映されました。
(『地熱』とは労働組合の機関誌)

そして、2月20日に全国公開されました。

資料のデジタル化によってわかった「評価」

せっかく上映された本作ですが人気は振るわず、炭鉱労働組合の動員を擁しても1,000万円近い赤字を出したとのことです。

本作は映画としてほとんど評価もされず、わずかな評価もとても厳しいものでした。

さらに共産党からは、本作の失敗を自己批判せよと迫られたようですが、亀井監督は「反省することはない」と突っぱねたそうです。

しかし、亀井監督は本作を最後に劇映画の製作を止め、本来のドキュメンタリー映画の監督に戻ることになります。

こうした本作への評価に関しては国会図書館デジタルコレクションで検索すると、いくつか読めるようになりました。

興味深いのは、公開前から『ソヴェト映画』や労働組合系の雑誌に取り上げられていたことがわかります――公開後は手厳しい評価がされているのですが。

それと変わり種として挙げておきたいのは『北海道年鑑1954年度版』にあった、本作の「ロケ隊来道」という項目。

【映画の内容について炭坑経営者と多少のいざこざがあったが、ロケは労働者側の全面的な協力で順調に進み】

――施設を使わせてもらえず、ストに翻弄されながら、三つの炭鉱を転々としたのに“順調に進み”とは、まったく取材をしていないのか、書けない事情があったのか――こういうモヤモヤしたドキュメントが存在しているのも、なんだかおもしろいですね。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿