いろいろ。

同人サークルA-COLORが北海道をうろうろしながら書いているブログです

『女ひとり大地を行く』従来版と最長版

2025-01-25 14:02:11 | 聖地巡礼

最長版の上映

1953年に『女ひとり大地を行く』が公開されてから50年余り。2008年12月、国立フィルムセンターで「生誕百年 映画監督 亀井文夫」が企画され、『女ひとり大地を行く』が上映されました。

しかし、このときに上映されたのは164分のバージョン――これまで全国で上映され、ソフト化されたものは132分だったはずなのに。32分もの差があります。

このときに上映されたのは映倫による削除要請を受け入れる前の最初に編集されたもので、上映用に使われていない「最長版」と呼ばれるバージョン。「最長版」の上映は、このときがはじめてとなりました。

この最長版に対して、上映に使われソフトなどで流通しているバージョンは「従来版」と呼ばれています。

フィルムセンターの板倉史明さんは、「最長版」と「従来版」の比較や、製作経緯に関する論文「女ひとり大地を行く[最長版]』の復元」を著し、これはネットでも公開されています。

また、2013年8月にポレポレ東中野で開催された「映像の中の炭鉱」の際に公開された「正木基「清水宏、亀井文夫、今野勉の炭鉱表現を読む」でも、板倉さんの論文を元に「最長版」についての解説が書かれています。

いずれもネットで閲覧可能なので、ご興味のある方はぜひご覧ください。

「女ひとり大地を行く[最長版]』の復元」

 

生誕百年 映画監督 亀井文夫(国立フィルムセンターのアーカイブより)

 

「映像の中の炭鉱」

「女ひとり大地を行く[最長版]』の復元」の中で、板倉さんは「最長版」と「従来版」との間に32分の差があることに【断定的な結論を提供することは困難】としています。

映倫による削除要請の箇所は30秒

本作は、映倫から朝鮮戦争を連想させるシーンの削除が求められました。

これは『映画倫理規程審査記録』にあり、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧が可能です。

板倉さんの分析によると、確かに「最長版」には映倫による削除の指摘箇所は残っていました。しかし、「従来版」によって削られた部分は【わずか30秒程度】だったそうです。

では、なぜ32分も削られることになったのでしょうか?

私は見ていないのでなんとも言えないのですが……「最長版」の方がきっちりと作られた作品だったそうです。

それが【短縮せざるを得ない状況】にあったため、【荒削りな編集・短縮】を承知の上で作品としての完成度と引き換えに「従来版」が作られたようです。

板倉さんは【興行的な問題だったのか、炭鉱会社あるいは炭鉱労働者組合からの何らかの圧力だったのかは現時点では闇に閉ざされたまま】として断定はできないとしています。

ただ、私も素人考えながら(理由はさておいて)なるべく時間を短くするために作られたのが「従来版」だったのではないかな、と思っています。

炭坑版の存在

「清水宏、亀井文夫、今野勉の炭鉱表現を読む」の中では、「従来版」よりもさらに短い「炭坑版」についても言及されていました。

これは本作を産炭地での巡回上映に使われていたのではないか、と推測しています。

しかし、残念ながら「炭坑版」のフィルムは見つかっていないので、実像は不明なようです。

労働組合誌の気になる記述

本作のバージョンは、上映時間が長い順に「最長版」「従来版」「炭坑版(存在は未確認)」があります。

労働者組合誌を読んでいると、本作の編集に関して気になる記述を見つけました。

夕張炭鉱労働組合『創立十周年記念』

P105 昭和28年の章「『女ひとり大地を行く』を上映」

【同二十日、道炭労地方委員会で試写後、修正意見をまとめ、更に製作委員会で修正、カットすべきものはカットしたのち】

1月20日に本作の試写を行ったようです。「カットすべきものはカット」とあるのですが、このときに試写されたのは「最長版」に近いものだったのでしょうか?

新夕張炭礦労働組合『新夕張と共に』

P434

【終戦のドサクサに会社幹部が倉庫から米を運び出すところを、主婦達にとっつかまって追求される部分で、旧新夕張会館前で行ったが編集のときカットされてしまった】

夕張市内で、炭鉱会社の幹部が不正を働くシーンを撮影していたようですが削除されてしまったようです。本書には、カットされたシーンのロケ風景とおぼしき写真もありました。

ここでいう「カット」というのが、「撮影したものの使われなかった」のか、「最長版(あるいはそれに類するバージョン)にはあったものの、従来版ではカットされた」という意味なのかが気になるところです。

夕張市に遺されたフィルム

炭鉄港デジタル資料館には、夕張市に保存されている本作の16mmフィルムがあります。

このフィルムが、なぜ夕張市に残っているのか? どのような経緯で入手したものなのか? もしかすると「炭坑版」なのではないか?

いろいろと疑問があって市の職員に質問してみましたが、「まったくわからない」とのことでした……。

フィルムが「カラー」なのは何かの間違いだと思うのですが。

「撮影年」が1953年になっているのは、もしかすると編集された年とか、入手した年のことかもしれないとか、いろいろ考えてみたりもするのですが。「わからない」と回答されてしまっては手も足も出ません。

しかるべき人に調査していただけたら、何か分かるかも知れないのだけど……。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿