知ってる人なら……っていうか、『回廊』を知っている人なら、この「小説」が掲載されているWebサイトってのがすぐに思い当たる、メタフィクション的な書き出し。
で、この「小説」は「日記」を道具立てとして書き連ねられているわけだが、ある時点を境に作中内小説と作中内小説の日記の、虚構と現実がねじ曲がる。
どこからが虚構で、どこまでが現実なのか、そもそもどっちが虚構で現実なのかも、読み進めていくと分からなくなる。
で、さらに、最後の最後で、もう一人の語り手というか書き手が現れたところで、ぷっつりと切れてしまう。
この小説の語り手、作中内小説の語り手、そして日記からなる三重構造。いずれも一人称視点を前提としており、読者からは本当の語り手の姿が排除されている。
で、各々の語り手が現実と虚構の境目を把握していないので、結果的に読み手は混乱してしまうのだと思う。
いや、もしかしたら正しく一本の糸で繋がることもないのかもしれない(これはオレの推測だけどさ)。
おそらく混乱させることを目的としており、それがこの小説の実験なのだから、それはそれで評価するべきだとは思う。構造を読み解く、という作品ではないだろう、たぶん。
仮に、最後に登場するテキストファイルの持ち主が明かされたとして、そこに納得できる理由があったとしても、「ふぅ~ん」というだけだろう。っていうか、現実として、この作品では持ち主は明かされないし(推測はできたとしても)。
こういう仕掛けで書くと、何がなにやら分からなくなって混乱してしまいました、という感想で十分だと思ったのだけど、いかがなもんでしょうか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます