第5回 てつがくカフェ@いわて開催のお知らせ
テーマ:『震災後の共同体のゆくえ』
場所:「アイーナ」(岩手県盛岡市盛岡駅西通1丁目7番1号)6F和室(606 607 608)
日時:7月7日14:00~(2時間程度)
ファシリテーター:房内まどか(東北大学大学院)
【広告文】
『震災後の共同体のゆくえ』
「震災でぼくたちはばらばらに なっ てしまった。(中略)ぼくはさきほど、震災でぼくたちはばらばらになってしまったと記した。正確にはぼくは、震災前からぼくたちはばらばらだった、震災はそれを明らかにしただけだと記すべきだったのかもしれない。」
思想誌『思想地図β』の編集長である東浩紀は、この雑誌の震災特集号の巻頭言で上のような文章を書きました。東浩紀の文章にあるように震災は、地域の差、貧富の差、被害の差、年齢の差など、あらゆるところで、残酷なまでにクリアな分断線を引いてしまったのかもしれません。そしてその分断線の表出は人々に対して「連帯」の必要性を促すものであったこともおそらく間違いありません。
その証拠として、あらゆるメディアで「絆」の必要性や「共同体」の重要性が説かれました。それは「がんばろう、日本」というスローガンなどにもよく表れています。一方で、そういった「連帯」を志向する言葉に対して反発を覚える声も多く聞こえてくることも事実です。その反発は、メディアで「連帯」が説かれ過ぎていることへのアレルギーという面もあるでしょうが、中には本質的な批判もあります。その批判というのは「私たちはばらばらだから容易には連帯できない」というものです。
例を挙げましょう。釜石市では、同じ市内でもその地域によって被災の度合いが全く異なっています。ですからそこで「同じ被災者として連帯を」と言われてもそれは困難だ、という意見を耳にしたことがあります。おそらくこれに似た意見は釜石のような被災地だけでなく、それ以外の地域にも数多く存在していると思います。
震災によって、「ばらばら」に気づき、「連帯」を求め、さらにそこで「ばらばら」を再認識する。おそらく、今現在、私たちが置かれている状況はこのような円環構造だと思います。私たちは震災前、「なんとなくの一体感」によって「なんとなくの共同体」を形成することで日々を過ごしていました。しかし震災後には、その「なんとなく」の部分が取り払われて剥き出しの現実に放り出され戸惑っています。この「なんとなく」はおそらく二度と戻っては来ません。では、この「なんとなく」が失われた後に私たちはどのような「共同体」を作ることができるのでしょうか。そのことについて話し合ってゆきたいと思っております。
(文章 岩手大学大学院農学研究科 八木晧平)