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2009/11/1撮影分の2回目です。
ホフマン窯を見たあと館林に行きました。
※クリックすると大きい画像がご覧いただけます。
※撮影日の記載なき写真は2009/11/1撮影です。過去の写真には撮影日を記載しています。
皇后陛下の祖父に当たる、正田貞一郎が創業した館林製粉は、日清製粉の前身です。
2001年にはペンキ塗り替えのため足場が組まれていました。
モダニズムの影響が濃い建築です。様式建築から欠け離れたゆえに、古いものだと気付かれにくいようです。ネット上でもなかなか資料が出てきません。
完成間近の様ですが、現駅舎はどうなるのでしょうか?
菱形デザインの窓枠が良いですね。
館林では同じデザインの窓が散見されます。
ラーメン丼の模様「雷文」があります。
典型的な昭和初期の商店建築といえましょう。
昭和初期の建築だと思います。
商店にしては入り口が小さいので、事務所か医院だったのでしょうか?
雷文模様と菱形の窓枠があります。
此方も菱形の窓枠。
左右角の上部にコリント式オーダーのような模様が付いています。
テント看板に隠れていますが、見事な銅版張り看板建築だと思われます。
丸窓にステンドグラスが入っています。
アールデコの名品です。
東京の秋元本邸から昭和初期に移築さたという。
おそらくは、明治末から大正の建物でしょう。
秋元家は館林藩最後の藩主の家柄です。
創建時から白く輝くタイル張りだったのでしょうか?
だとしたら、当時、異彩を放っていたことと思います。
それとも、大正デモクラシーの時代には珍しくはなかったのでしょうか?
此方にも菱形の窓枠が・・
今回、発見できなかったので既に喪失しているかも知れません。
又々菱形の窓枠です。
昔の建築には、ごく狭い地域で大流行した意匠があります。館林ではこの菱形の窓枠が大流行したようです。
二業とは芸妓屋業と甲種料理店(料亭など)のこと。戦後の一時期キリスト教会として使われたこともあるそうです。
さて次回は、11/2撮影の川越です。
もちろん、過去の写真も発掘して掲載する予定です。
ホフマン窯を見たあと館林に行きました。
※クリックすると大きい画像がご覧いただけます。
※撮影日の記載なき写真は2009/11/1撮影です。過去の写真には撮影日を記載しています。
皇后陛下の祖父に当たる、正田貞一郎が創業した館林製粉は、日清製粉の前身です。
2001年にはペンキ塗り替えのため足場が組まれていました。
モダニズムの影響が濃い建築です。様式建築から欠け離れたゆえに、古いものだと気付かれにくいようです。ネット上でもなかなか資料が出てきません。
完成間近の様ですが、現駅舎はどうなるのでしょうか?
菱形デザインの窓枠が良いですね。
館林では同じデザインの窓が散見されます。
ラーメン丼の模様「雷文」があります。
典型的な昭和初期の商店建築といえましょう。
昭和初期の建築だと思います。
商店にしては入り口が小さいので、事務所か医院だったのでしょうか?
雷文模様と菱形の窓枠があります。
此方も菱形の窓枠。
左右角の上部にコリント式オーダーのような模様が付いています。
テント看板に隠れていますが、見事な銅版張り看板建築だと思われます。
丸窓にステンドグラスが入っています。
アールデコの名品です。
東京の秋元本邸から昭和初期に移築さたという。
おそらくは、明治末から大正の建物でしょう。
秋元家は館林藩最後の藩主の家柄です。
創建時から白く輝くタイル張りだったのでしょうか?
だとしたら、当時、異彩を放っていたことと思います。
それとも、大正デモクラシーの時代には珍しくはなかったのでしょうか?
此方にも菱形の窓枠が・・
今回、発見できなかったので既に喪失しているかも知れません。
又々菱形の窓枠です。
昔の建築には、ごく狭い地域で大流行した意匠があります。館林ではこの菱形の窓枠が大流行したようです。
二業とは芸妓屋業と甲種料理店(料亭など)のこと。戦後の一時期キリスト教会として使われたこともあるそうです。
表題写真も旧二業見番組合事務所です。
(カメラ;Nikon FA・2001/3/20撮影)
(カメラ;Nikon FA・2001/3/20撮影)
さて次回は、11/2撮影の川越です。
もちろん、過去の写真も発掘して掲載する予定です。
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