イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受け時、
「これは私の愛する子、わが心にかなう者」
(マタイ3ー17)
山でイエス様の姿が変わり、その顔は日のように
輝き、その衣は光のように白くなった時、
「これは私の愛する子、私の心にかなう者」
と言われました。 (マタイ17-5)
イエス様の方から見ると、愛された者と言えます
愛された者=the Beloved=イエス様を表わす固有
名詞になります。
「父は我らを暗黒(くらき)の権威より救い出して
、その愛(いつく)しみ給う御子の国に遷(うつ)し
たまえり」 (コロサイ1-13)
「その愛(いつく)しみ給う者によりて……その血に
頼りて贖罪、すなわち罪の赦しを得たり」」
(エペソ1ー6)
私達は、その愛しみ給う者によりて父に受け入れ
られます。 we accepted in the Beloved
イエス様は、十字架にかかり、私達の罪の
あがないをして下さいました。
「血を流すこと無しに、罪の赦しはあり得ない」
(without shedding of blood)
shed teare ;涙を流す
shed blood ;血を流す、血をそそぐ
なお、「イエスは涙を流された」は英語で
一番短いみことばと言われています。
Jesus wept
「父が私を愛された様に、私もあなた方を愛し
ました」 (ヨハネ15-9)
弟子ヨハネは、自分の事を
「イエスの愛しておられた者」と言っています。
(ヨハネ13ー23、21ー7)
小さい子どもは、何かあると、すぐに、おかあさ
んや、おとうさんに逃げ込みます。自分では対処
出来ないと、すぐに父母に助けを求めます。
イエス様は朝早くから、夜遅くまで、父に、幼児
の様に祈られました。
「キリストは肉体にて在しし時、大いなる叫びと
涙をもて、己を死より救い得る者に祈りと願いを
献げ、その恭敬(うやうやしき)によりて聴かれ
たまえり。
彼は御子なれど、受けし所の苦難によりて従順を
学び、かつ全うせられ……」 (ヘブル5-7)