聖書と共に

生まれつきの盲人ー(2)

昨日に続きます。生まれつきの盲人がイエス様
によって、目が見えるようになった、その後の
話です。聖書の概略を記します。

 近所のの人々や、彼が元、こじきであった
のを知っていた人々が言った。
「この人は、座って、こじきをしていた者では
ないか」、そこで彼に言った。本人は「私は
それだ」と言った。
「イエスという方が、泥を作って私の目に塗り『シロアムの池に行って洗え』と言われ、行っ
て洗うと見える様になりました」
人々は、元盲人の人をパリサイ人たちの所へ連
れて行った。

話を聞いた、パリサイ人達は言った。
「その人は神から来た人ではない、安息日を守
っていないのだから」彼らは元盲人に聞いた。
「お前は目を開けた、その人を、どう思うか」
元盲人は言った。
「預言者だと思います。」パリサイ人は言った
「神に栄光を帰するがよい。あの人が罪人であ
る事は、我らは知っている。」元盲人は言った
「あの方が罪人か、どうかは知りません。ただ
一つの事を知っています。私は盲人であったが
今は、見える事です。」

パリサイ人達は言った。
「その人は、お前に何をしたのか、どんなにして、お前の目を開けたのか」元盲人は言った
「その事は、もう話して上げたのに、なぜ又、
聞くのですか。あなた方も、あの人の弟子に
なりたいのですか。」
パリサイ人達は、彼を、ののしって言った。
「お前は、あれの弟子だが、我らはモーセの
弟子だ。」 元盲人は、答えて言った。

「私の目を開けて下さった方を、ご存じない
とは。神は罪人の言う事は、お聞き入れになり
ませんが、神を敬い、みこころを行う人の言う
事は聞き入れて下さいます。
生まれつきの盲人の目を開けた人がある事は、
世界が始まって以来、聞いた事がありません。
もし、あの方が神から来た人でなかったら、
何一つ出来なかったはずです。」

パリサイ人達は怒って言った。
「お前は全く罪の中に生まれていながら、私達
を教えようとするのか」
そして、彼を外へ追い出した。

イエスは、その人が外へ追い出された事を聞か
れ、その人に会って言われた。
「あなたは人の子を信じますか」彼は言った。
「主よ、それはどなたですか、その方を信じた
いのですが」。イエスは彼に言われた。
「あなたは、もう、その人に会っている。
今、あなたと話しているのが、その人です。
すると、彼は
「主よ、信じます」と言ってイエスを拝した。

ここから「岩から出る蜜」(蔦田二雄著)から
抜粋しご紹介します。

 主が、この盲人に対してとられた態度の中に
イエス・キリストとの関係における、信仰の
プロセス(過程)を見る事ができる。

1、生まれながらの盲人がいやされたという、
  主から恵みを受けた事実。
2、恵みの与え主に対して理解が広がって行く
  過程
  この盲人も主を、預言者→神を敬い、その
  みこころを行う人→神から出ておられる人
  と言う。しかし、これだけでは福音の極致
  ではない。この種のタイプの者が多いが
  神学、教理の勉強では、神、救い主という
  お方が個人的には分からない。
3、主との個人的、結び付きは、礼拝に至らせ
  るものである。
  これは、人間側の決意によるものではなく
  神の与えて下さる証しに他ならない。

 主が主であり、慰め、喜び、いのちであると
いう、ここに根をおろした信仰生活が開拓され
なければならない。

うわさを聞いて接近して下さる主、語りかけて
下さる主、ご自身を啓示して下さる主を、
今日も教えて下さいと、渇きをもって、出る様
に。
「分かっている」という心は非常に危険である。













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