瀬尾要造先生は、昔、ナザレン・アワーという
キリスト教のラジオ番組があり、そこで、先生の分かりやすメッセージを私も聴いていました。
その先生が書かれた本に「詩編のささやき」が
あります。そこから一部抜粋して紹介します。
先日「成人の日」に、「青年の主張」のテレビ番組で看護婦さんが意見を述べました。記憶に残っておりますのは、看護婦の仕事をしていて、臨終の時の絶望的な叫びを聞くと、自分の無力さを感じて、情けなくなる、というのです。助けてあげたいが助けてあげる事が出来ないのです。
皆さんはがハイキングに行かれる時、近道だと思って行くうちに、段々道が狭くなって、ついには
道が尽きてしまう。「しまった」と舌打ちしながら元の道に引き返し、再び正道を行くような経験をなさった事があるでしょう。
しかし、人生の道には、後戻りしたくても、出来ない事がくるのです。
神を知らない人は、このような事を考える事が嫌なのです。この様な人は、人生の意義とか、目的などを余り考えたくないのです。まして「死」と
いう事を考えまい、といたします。
それは神を知らない人々にとりましては、「死」と共に、すべてが終わってしまうからです。
父のない世界、神のない世界、これは考えるだけでも恐ろしい事ではありませんか。
臨終の際に、行き先がわからない、生けるイエス
・キリストにおいて啓示された父なる神を知らない。しかし、この世界は父なる神の一つです。
主なる神は、まどろむ事もなく、眠る事もなく常に私たちを守って下さるお方です。
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諸々の天は神の栄光を現し
大空は、その手のわざを示す (詩編19-1)
空の鳥を見なさい。…
天の父は彼らを養って下さる。
野のユリが、どうして育つか考えなさい。…
神は、このように装って下さる。
(マタイ6章)