読んでいます。
今日は、「ローマ人への手紙」の5章からで
「静まりと黙想の朝に」(松木祐三著)から、記し
ます。
松木先生は「ローマ人への手紙」の解釈で著名な
先生です。私も20才代の頃、当時、東京聖書学院
の教授であられた、先生の講義を聞いた事があり
ます。
「ひとりの違反によって、全ての人が罪に定めら
れたのと同様に、ひとりの義の行為によって、
全ての人が義と認められ、命を与えられるのです
。
ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人と
された様に、ひとりの従順によって多くの人が
義人とされるのです。」 (ロ-マ5ー18、19)
ここに二人のアダムがいる。
①古い罪ある人間性を持つ者を第一のアダムと言
い、そこで見られるのは神への不従順である。
その目指す所は、自分が神になることである。
これが、罪の根源である。
人には、この様な、根元的な罪があるので、行為
に現れる罪を犯す。言い換えれば、人は内に罪が
あるため、罪を犯すのである。罪の結果は死であ
る。罪人なので罪を犯す。
②第二のアダムなるキリストには、神への全き
従順を見ることができる。贖いのために、父に
従われた。この服従のゆえに、私達に救いが
提供された。
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「心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思い
を尽くして、主なる、あなたの神を愛せよ」
(申命記6-5)
「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」
律法は、この二つに帰結しますが、この言葉を
文字通り実践されたのが、イエス様です。
朝まだ、暗いうちから、父なる神様と交わりを
持たれました。或は、断食して祈られました。
イエス様の様に、従順に行われた人はいません
。
イエス様は多くの人を愛し、多くの奇跡を行われ
ましたが、父と共に、祈りのうちになさいました
。
ヨハネはイエス様が行われた事を、一つ一つ記録
したならば、あまりにも膨大で世界もこれを載せ
られない、言っています。
「彼におると言う者は、彼の歩みたまいし如く
自ら、歩むべきなり」 (第一ヨハネ2-6)