聖書と共に

主は一人で

今日も前回に続き「レビ記講義」からですが、
その前に、
 臂(かいな)について、かいなとは二の腕の事
、二の腕とは、肩からひじにかけての腕の事。
音読みでひと入力すれば、出てきます。
父親が、小さい子供を抱える時に、肩をいれ
腕で支え持ち上げます。このイメージです。

それでは、「レビ記講義」(バックストン)です。

 主はご自身一人にて、私共のために、贖い(
あがない)を成し遂げ給いました。
主を助ける者は、一人もありませんでした。

私共は、誤った思想をもって、たびたび、幾分
かは自分の功績の為に、あるいは自分の働きの
為に神に近づく事ができると思います。これは
主の働きを助けるという誤った思想です。

「主は人無きを見、中保(なかだち)無きを
奇(あや)しみ給へり、かくて、その臂をもて、
自ら助け、その義をもて、自ら支え給えり」
         文語訳 (イザヤ59-16)
「主は人のいないのを見、とりなす者のいない
のに驚かれた。そこで、ご自分の御腕で救いを
もたらし、ご自分の義を、ご自分の支えとされた。」      新改訳 (イザヤ59ー16)

 祭司長は自分一人にて私共の為に働き、成し
遂げてました。イザヤ63-3、5参照
人間の目をもって見ますと、主は種々なる友達
がありました。けれども、その働きの為に事を
共にする者は一人もありません。

ただ一人にて進み給わねばなりませんでした
十字架の為に、エルサレムに上り給う時に、
主は弟子より進み行きて、一人も交わる者は、
ありませんでした。
ゲッセマネの園にて一人重荷を負い給いました
ピラトの庭にも一人でした。
カルバリの山にも一人でした。
死に給う時も、陰府に下り給う時も、ただ一人
でした。
主は、この様に一人にて贖いを成し終り給ひま
した。

私達の祭司長は、この様に全き贖いを立て給ひ
ました。
そうですから、今、全き救い主であります。

  ***********
汝の神、主は汝の中にいます。彼は救い施す
勇士なり。
彼、汝の為に喜び楽しみ、愛の余りに黙し、
汝の為に喜びて呼ばわり給う。
            (ゼパニア3-17)


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