聖霊は「キリストの御霊」とも呼ばれます。
聖霊の働きが無ければ、聖書を理解する事が出来ません。砂を噛むような思い。
聖霊の働きが無ければ、罪と真理を知しる事が出来ません。
聖霊の働きが無ければ、悔い改めと罪の赦しがわかりません。
イエス様を受け入れた人々には、聖霊がその人々
の内に住まわれる、とあります。
私の考えとしては、聖霊は、イエス様を受け入れる前から、人々に外から語りかけておられるのでは?と思っています。ラジオやテレビ等のキリスト放送を通じて、又、友人を通して働いておられと思います。
ギリシャのコリント教会は、色々と問題のある教会でしたが、そこの人々にも聖霊はおられた。
「不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者
、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者
、そしる者、いずれも神の国を嗣ぐ事はないのである。あなた方の中には、以前は、そんな人もいた。しかし、あなた方は主イエス・キリストの名によって、又、私達の神の御霊によって、洗われ
きよめられ、義とされたのである。」
(Ⅰコリント6-9)
聖書は聖霊によって導かれた人々によって書かれたものです。ですから読む人も聖霊に導かれて読む必要があります。東大生でもわからない事が
聖霊が働かれると小学生でも分かる様になる。
「みことば、打ち開くれば光を放ちて、愚か者を聡からしむ」 (詩編119-130)
聖霊は祈りをとりなす
「御霊は、弱い私達を助けて下さる。私達はどう
祈ったら良いか分からないが、御霊みずから、言葉に顕せない切なるうめきをもって、私達の為に、とりなして下さる。」 (ローマ8ー26)
「御霊の実は愛、喜悦、平和、寛容、仁愛、善良
忠信、柔和、節制なり。かかるものを禁ずる律法
はあらず。キリスト・イエスに属する者は、肉と
共に、その情を十字架に付けたり。」
(ガラテヤ5ー22)
私達の内にキリストの形がなるまで、聖霊は働かれる。