聖書と共に

血と脂

レビ記には、大きく分けて罪祭、燔祭、酬恩祭
があります。レビ記4章は罪祭です。罪祭では
子牛、ヤギ、羔羊(こひつじ)が、罪の身代わり
に犠牲として献げられます。
「そうすれば、彼らは赦される」とあります。

今日も「レビ記講義」(バックストン)からご紹介し
ます。
レビ記5~7節
 ここに血の用法を見ます。
第一に罪のために神が恩恵を下し給う道が
塞(ふさ)がりました。又、人は神に近づく道を
塞ぎました。交わりが全く無くなりました。
 
 その道を開くために血潮は三ヵ所に注がれま
した。それによって神と人の間の道が今一度開
かれました。

 私共は全き贖(あがな)いの為に、今一度、
信仰をもって神に近づく事が出来ます。
「我らはイエスの血により、その肉体たる幕を
経て、…新しき活ける路より、はばからずして
至聖所へ入ることを得て、…」(ヘブル10-19)

又、同じ力によって神が恩恵を降し給う事が出
来ました。地の上に全き贖いが成されましたか
ら神はペンテコステに日に於いて、聖霊を降し
給う事が出来ました。

 今、何ゆえ神の恩恵が私共にまで来る事が
出来ますかならば、主の聖血のためです。
その贖いが、ありませんならば神は人に、ただ
怒りのみを表した給わねばなりません。
けれど、今、神は人を憐れみて、貴き恩恵を降
し給う事が出来ます。

レビ記8~10章
 ここに脂の用法が記してあります。これは
ことごとく壇の上に焼かれました。即ち、こと
ごとく神に献げられます。

脂は心の最も美わしき意思を指します。
心の底まで神を悦ばせる様になる事です。即ち
心を尽し、精神を尽し、意を尽し、力を尽し、
力を尽し神を愛するはずです。
 
キリストは常にその通りの生涯を送り給いまし
た。又、罪祭でありましても、その意を神に
帰して神を悦ばせ給いました。
 神は十字架に釘けられ給いし主イエスより
御顔の光を取り除き給わねばなりません。

なぜなれば、主は罪人の罪を負うで罪祭と成し
給いましたから、神の怒りは、その上に落ちま
した。けれども、その時にさえ、罪祭の脂は、
神の前に悦ばるべき献物でした。
 即ち、父なる神は子なる神の志を見て、それ
を悦び給いました。
  

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