聖書と共に

信仰は賜物

今日は「新約聖書1日1章」(榎本保郎著)
からです。

20~30年の信仰生活を送って、なお、福音
を理解していない人も多いし、今日、初め
て教会へ来たのに、聖霊の働きによって、
福音をはっきり理解する人もある。

それは丁度、空気の様なもので、吸い込み
さえすれば良いのである。
みんな同じように神の愛を受けている。

信仰そのものの、本質から考えると、信仰
は成長するものではない。
日々、新しく神から恩寵として頂くもので
ある。頂くという限りにおいて成長という
ものはない。

神はいつも、十分なものを、その所で与え
て下さる。

今日、新しく頂いていく、という生活が
信仰生活である。去年信じた人は、今年の
方が信仰生活が成長しているものではない

「あなたは初めの愛から離れてしまった」
        (ヨハネ黙示録2ー4)
という言葉がある様に、私達も初めの様な
純粋な信仰を持ちたいものである。

信仰は命であるから、毎日、新しく燃えて
いかなければならない。今日、新しく信仰
を求めて行かなければ、その人は飢える、
そういうものが信仰である。

それでは、信仰は、ただ与えられていく
だけというものであろうか。

神の約束を信じて自分を明け渡した時、
こういう結果が現れたという証、体験を
持つ事は、私達の信仰生活の支えになる事
は事実である。



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