パウロはアテネを離れてコリントへ行きました。
コリントに行った時に、どういう心をもって、
行ったかは第1コリント2-1にあります。
「兄弟たち、私が、あなた方の所に行った時、
私は、優れた言葉や知恵を用いて神の奥義を
宣べ伝える事はしませんでした。
なぜなら私は、あなた方の間で、イエス・
キリスト、しかも十字架に付けられたキリストの
他には、何も知るまいと決心していたからです」
こういう心を持って行きました。
アテネでは、ひょっとすると、いくらか哲学者の
心に合うように、と思って説教したかもしれませ
ん。けれど、今は、ただ十字架のみを話す様に
決心しました。
パウロは、人間の知恵と世に属する力を用いる
事を恐れました。そんなものを用いれば、新しい
信者の信仰は弱い基盤の上に立てられてしまいま
す。
パウロは、ただキリストと、その十字架を宣べ
伝えて、新しい信者の信仰を神様の力の上に
立たせようとしました。
パウロがコリントに行った頃、そこでアクラと言う
ユダヤ人と、その妻プリスキラに出会った。
ローマ皇帝が、全てのユダヤ人をローマから退去
させる様に命令したからである。
アクラとパウロは互いに同業であったので、その
家に住み込み、一緒に(天幕作りの)仕事をした。
アクラとプリスキラは、おそらく財産を失い、苦
しみのうちに、コリントに来たのでしょうが、
かえって幸いとなりました。
パウロを自分の家に泊めて、それによって恵みを
味わうと共に、楽しい愛の交わりを結ぶ事が
できました。神様の摂理は実に讚美すべきです。
コリントは当時、教育の進んいる所で、賑やかで
富んでいて、極めておごった風俗の町でした。
そんな所へ、パウロは、身分の低い労働者として
赴き、自分の手で労働して生活費を稼ぎました。
「パウロは安息日に、会堂でイエスがキリストで
ある事を、ユダヤ人たちに力強く証しした。
しかし、ユダヤ人らが、反抗して口汚くののしっ
た。」
彼は、そこを去ってテテオ・ユストという神を
敬う人の家に行った。その家は会堂の隣にあった。
「会堂司クリスポは、家族全員と伴に主を信じた」
この家族は、コリントにおける最初の実でした。
クリスポが、救われ、クリスチャンになると、
ユダヤ人は彼を追放して、他の人、ソステネを
新しい会堂司にしました。
多くのコリント人たちも、パウロの話を聞いて
信じて、ぞくぞくと、バプテスマを受けた。
ある夜幻のうちに、主がパウロに言われた。
「恐れるな、語り続けよ、あなたには私がついて
いる。誰も、あなたを襲って危害を加える様な事
はない。この町には私の民が大勢いる。」