とすれば「人間の二重人格を形成する善と悪の二大領域」(P101)の物語であるこの小説において、善の領域である宗教的な液体が使われているはずである。それはまさに各章で馥郁たる香りを放っているワインである。小説の冒頭でアタスン氏は「ワインがお気に召した場合など、彼の眼はいちじるしく人間的な光を帯び」(P9)る。P23からP24にかけてラニョン博士は「ワインを楽しんでいた」が、ラニョン博士はまことに善良なる人物として描かれている。P35、ジキル博士が自宅の晩餐会に招いたワイン通の旧友たちは、ヴィクトリア朝の善良なる倫理観の持ち主たちである。またハイド氏が住まいとしている部屋の納戸には「ワインが沢山」(P45)あるが、これはジキル博士が購入したものでありハイド氏はワインに興味がないことを示唆している。P52でアタスン氏がゲスト氏とワインを飲む場面はこの小説の中でも最も美しい箇所のひとつであるが、この場面で室内のアタスン氏とゲスト氏の前に置かれているのがワインである。しかし外の様子は「霧の海に呑みこまれ」「息苦しいほど霧が厚くたれこめて」おり「車馬は強風のような轟音をあげながら都会の大動脈を往来」しているのである。これらは隠される存在としてのハイド氏、サディストのハイド氏、さらには大動脈=血のイメージによりロンドンの町に隠れているサディストたちを暗示するものでもある。これらと並び描かれているのがワインである。ワインの「あざやかな緋色」は教会の「ステンドグラスの色彩」と併置されているのである。この部屋の中では「山間のブドー畑にそそがれた日の光が、いまや解き放たれ、ロンドンの霧を追い散らそうとしている。」のである。まさにゲスト氏が筆跡鑑定によりハイド氏の秘密のベールを剥ぐこの場面を象徴しているのである。いうまでもなくワインはキリスト教の文化領域にあるというキーワードである。まさに血のハイド氏と対立する領域と言えよう。
まとめ
以上見てきたように、「赤い色」に関連する表現により、隠されている内面の暗部としての暴力(サディズム)を暗示するものがいたるところに散りばめられていることが分かり、さらに宗教的な善悪の観念という背景も織り込まれていることが分かった。
(終わり)
参考資料
[1] 放送大学印刷教材「イギリス文学」P184
[2] ナボコフ「ナボコフの文学講義 下」河出文庫P40
[3] 放送大学印刷教材「フランス文学」P197
[4] 放送大学印刷教材「イギリス文学」P160