『立皇嗣の礼』の儀式の時に、皇后陛下が御召しになられたのは、御小袿に御単衣に緋の御長袴の装束です。皇嗣妃殿下と同じ装いでいらっしゃいましたが、平成の『立太子の礼』の時の上皇后陛下と同じ装いを踏襲されました。
上皇陛下の『立太子の礼』のときには、香淳皇后は、御髪は、『お中』と呼ばれる前髪のある、おすべらかし。御小袿に御単衣は、同じでしたが、切袴を御着用されたようです。
後年同じ、御小袿をお召しになられてカラー写真で撮影された香淳皇后です。
まだまだ戦後間もない時期の御儀式でしたから、略式の髪型と切袴になさったのかも知れませんが、御小袿は、丸文の二倍織物の正式な御小袿です。この小袿が正しいのです。
しかし前回の上皇后陛下も今回の皇后陛下並びに皇嗣妃殿下も二倍織物の小袿でしたが、しかし上文は、二組の文様を組み合わせた、『比翼文』でした。この『比翼文』はカジュアルなものとされており、こういう大きな儀式の際には用いられるものではありません。
おすべらかしは、釵子の付けた『大すべらかし』という最上級の髪型に長袴まで、御着用されながら、どうして?御小袿は、カジュアルなものとされている二組の文様を組み合わせた『比翼文』とされたのか、意味が分かりません。シロガネはガッカリしました。
困ったものです。上皇后陛下の『お好み』でいらっしゃるのか知れませんが、儀式が儀式なだけに、しかも天皇陛下は、黄櫨染の御袍という最高の御(おん)装いでいらっしゃると云うのに、バランスが取れません。そう・・・・・シロガネは、思うのです。
ところで、皇后陛下の紫の御単衣が出過ぎているのでは?と話題となっているようですが、そもそも単衣は、丈が小袿や袿より大きく仕立てられているのですから、小袿より出て当然で、全然可笑しくも有りません。
シロガネは全く気にもしないで、見ておりました。
シロガネは有職故実家では有りませんが(苦笑い😅)皇后陛下の御小袿の説明をさせて頂きます。好きでしている事ですから、楽しく調べました。
御小袿は、
白地の三重襷の下文に萌黄色の霞柄と紫のハマナスの上文の二倍織物です。中倍(なかべ)は薄青(薄い緑)に、裏地は、萌黄です。これは秋の襲色目である、白菊襲(表白・中倍薄青・裏萌黄)ですから、間違い有りません。
御単衣は、
紫ですが、ちょっと分かりずらいのですが、一般的には幸菱(さいわいびし)の文様のが多く女性の装束には、用いられていますので、多分、幸菱の文様だと思います。縁起のいい文様とされています。
こういう時は、紅の単衣とか、萌黄の単衣等が多いのですが、紫の単衣というのは洒落ていて皇后陛下の趣味の良さを感じました。それに襲色目は、もう・・・・沢山有りまして、色々な組み合わせがありましてそれは単衣の色も同じです。
皇嗣妃殿下のお単衣は其ほど出ていないからこれが正しい、嫌、皇后陛下が正しくて単衣が出ていない、コーシ・詐欺妃殿下(苦笑い😅)が間違っているとかなんとか、そういう風に、また妃殿下を悪く言う人達がおりますので、変な事が広まらないように、一応参考迄に、小袿姿の女性皇族方のお写真をのせます。
孝明天皇妃の英照皇太后の小袿姿です。椅子に座られていらっしゃるようです。
英照皇太后の姪でいらっしゃた貞明皇后の小袿姿です。昭和5年の撮影とのことです。かなり単衣が小袿より出ておられますね。
香淳皇后の小袿姿です。
平成の『立太子の礼』での上皇后陛下の小袿姿です。
白地の二倍織物で、上文は、白樺丸文と破れ小葵の『比翼文』です。御単衣の出方は、皇后陛下と変わらない様に見えます。
明治天皇の皇女方の小袿姿です。
左から北白川宮妃房子内親王殿下・朝香宮妃允子内親王殿下・竹田宮妃昌子内親王殿下です。
小袿は、ちょと分かりずらいのですが、雲立湧の下文に丸文の二倍織物です。手にお持ちになられていらっしゃるのは、檜扇ではなく、ぼんぼりと呼ばれる扇子です。切袴をご着用のようです。
昭和16年10月22日に、三笠宮殿下とのご婚儀の為、ご実家の高木子爵家をお出になられる、百合子大妃殿下(18歳)です。
百合子大妃殿下(現在97歳)は、その後・・・・戦中戦後の動乱の激動の時代を生き抜かれた歴史の生き証人でいらっしゃいます。その波乱の人生の出発です。
ご婚儀当日の三笠宮両殿下です。
時局柄、略式の小袿姿でご婚儀となりましたが、この小袿は、貞明皇后賜った小袿でして、その後はお子様の内親王殿下や、お孫様の女王殿下方のご婚儀にこの小袿をお召しになられて、現在までに受け継がれていらっしゃいます。次にお召しになられるのは、どなたでしょうか?
三笠宮両殿下のご長女でいらっしゃる、近衛やす子さんの小袿姿。単衣は、小袿より余り出ていませんね。
説明文によれば、上代朱色に天平唐花紋の地に向かい鶴の丸紋をあしらった小袿と書いてあります。濃き長袴を着用されていますので、恐らく賢所参拝の時に小袿姿でいらっしゃると思います。
昭和41年12月18日のご婚儀の時には切袴をご着用されています。この時の濃きの単衣は、小袿から結構出ていますね。
小袿に濃き切袴姿のやす子内親王と衣冠姿の近衛忠輝氏のご結婚写真です。
昭和58年9月28日に裏千家へご降嫁される為、三笠宮家の次女でいらした容子内親王殿下が、賢所三殿を拝謁された後、ご両親殿下方やご兄弟方や秩父宮妃殿下と高松宮両殿下方と記念撮影された時の小袿姿です。
青の単衣は、珍しいです。小袿より余り出ていませんが、お召しになられている小袿は、母宮、百合子妃殿下がご婚儀際にお召しになられた小袿です。長袴も恐らく同じでしょう。ちなみにこの時の記念写真の中で、令和の御代までに健在でいらっしゃるのは、百合子大妃殿下と千容子さんのお二人のみです。
宮中三殿をご拝礼された後、ご退出される容子内親王殿下。賢所候所の玄関前です。
ご退出の時には、切袴にお召し替えなさったようです。車に乗られる為でしょう。
昭和58年10月14日、京都の裏千家でのご婚儀の時に、祖母宮貞明皇后から母宮へ受け継がれた小袿をお召しになられた容子内親王殿下。
祖母宮、百合子大妃殿下の小袿を譲られた高円宮家の三女でいらした守屋絢子さんの小袿姿です。同じく濃き単衣は、小袿より余り出ていません。
小袿は、紅地に藤立湧の地文に九条家の家紋の上文の二倍織物です。こちらも正当な小袿です。
近衛やす子さんと、皇嗣妃殿下の小袿からの単衣の出し方は、全く同じです。ですので、妃殿下も全く問題が有りません。
シロガネが思うに、単衣が小袿より出ている幅は、着付けもそうですが、多分ご本人の身長も関係しているのかも知れません。後、皇后陛下用の御単衣は、他の女性皇族より丈が長く仕立てられているのかも知れません。
昭憲皇太后御肖像
イタリア人の画家、ジュゼッペ・ウゴリーニが描いた、昭憲皇太后の小袿姿の油絵の肖像画です。
イタリア人の画家、ジュゼッペ・ウゴリーニが描いた、昭憲皇太后の小袿姿の油絵の肖像画です。