明治から令和の御代まで五代に渡る皇后陛下の唐衣裳をまとめて紹介します。
昭憲皇太后 一條美子(はるこ)、明治天皇の皇后です。
昭憲皇太后の御唐衣裳は現在、明治神宮に冬物と夏物の2具納められていますが、昭憲皇太后が御唐衣裳の御姿で撮された御写真は、残念ながら無いようです。孝明天皇の准后(皇后に准ずる地位)、英照皇太后の衝撃的な唐衣裳のお姿のお写真は残されていますが、昭憲皇太后の場合はおすべらかしに釵子に小袿のお姿、そして袿袴の御写真位しか装束姿は撮されなかったようです。
明治6年、女学校へ行啓された昭憲皇太后。後ろは袿袴姿の女官達。洋装姿の女性達は、いわゆるお雇い外国人のオランダ人の教師。そして右側の男性は黒田清隆です。
御入内の折の唐衣裳 冬の御料です。以前にも紹介しましたが、昭憲皇太后の御入内当日に御着用されました。しかし、「宮廷の衣裳」には、明治初期の新年式、現在の新年祝賀の儀の折にも御召しになられたとの事です。
実は宮中の衣装には、幾つか変転があるのですが、よく知られているのは、明治19年から装束から洋装に変わった事なのですが、明治の初期にもそれがありました。昭憲皇太后が御入内になられ、そして明治4年位迄は、新年式そして天皇誕生日(天長節)などの大きな儀式の時には、昭憲皇太后は御唐衣裳を御召しになられていたとの事です。それから何時との事は、もう正確には分からないらしいのですが、明治4年から遅くとも明治9年までには、簡素化が進められ御唐衣裳から小袿に変わったとの事です。
上の有名な昭憲皇太后の釵子を付けられ小袿姿を御召しになられた御真影姿は、唐衣裳から小袿に簡素化された後に撮影された御姿という訳です。
重ねの色目も書いてありますがこれはシロガネが調べて推測で書いたものですので、それは承知して下さい。
▪御唐衣 赤色(経糸紫、緯糸赤の織物で禁色)の亀甲地文に白藤の上文の二倍織物 莟菊襲(表紅・裏黄)
裏地 黄色地の繁菱文の板引きの固地綾
▪御表着 青色(経糸青、緯糸黄の織物で禁色)の三重襷地文に紅の鳳凰の丸紋の二倍織物 松襲(表青・裏紫)
裏地 紅の平絹
(本来は打衣があるのですが、江戸時代以来は打衣を省くのが慣例との事でした復活したのは明治以降という事です)
▪御五衣 白地雲立涌文の綾地綾 雪の下襲(表白・裏紅)
裏地 紅色の平絹
▪御単衣 幸菱文の固地綾
▪御裳 白地の三重襷地文の固地綾に桐、竹、鳳凰の摺り画
こちらは夏の御料で、昭憲皇太后が明治天皇の御誕生日(天長節)に御召しになられたとの事です。宮中の慣例では、立夏の日から立冬の前日迄が夏の料が用いられるとの事ですから、明治の天長節である11月3日に御召しなられました。皇后が御召しになられた夏の御料で大変貴重な唐衣裳です。現在でも皇后が御召しになられた、唯一の夏の唐衣裳でしょうね。
平成の御代に皇室に上がられた妃殿下方は夏の料を着用されましたが、皇后になられてからは、冬の御料の唐衣裳を御召しになられています。
▪御唐衣 青地の亀甲地文に白の鳳凰丸紋の上文に生二倍織物
▪御唐衣 青地の亀甲地文に白の鳳凰丸紋の上文に生二倍織物
裏地 薄紅地の横繁菱文の生固地綾の板引き
▪御表着 紅地の小葵地文に白と青の向鳳凰丸紋の上文の生二倍織物
裏地 紫の平絹
▪御打衣 紅の生平絹の板引き
▪御五衣 黄色地に藤立涌文様の生綾地綾
裏地 濃蘇芳の生絹
▪御単衣 青地の幸菱文様の生固地綾
▪御長袴 紅精好の板引きで裏地は紅平絹
▪御裳 白地の三重襷文のこめ織に桐、竹、鳳凰の摺り画
▪紅の打袴
貞明皇后 九条節子、大正天皇の皇后です。
貞明皇后は近代初の天皇の即位式にお出ましになられるはずでしたが、丁度三笠宮様を御懐妊された為、お出ましになることは、出来ませんでした。しかし御即位式に御召しになられる御唐衣裳は、もう準備されておりましたので、こうして現在でも見ることが出来るのです。
しかし、御即位式用の御唐衣裳は、貞明皇后は、一度も御召しになられなかったのでしょうか?御写真だけも撮されれているかもしれません。
貞明皇后の東宮の元への御入内時の唐衣裳姿。 二枚とも同じです。貞明皇后は、明治33年、5月10日に満15歳で当時、東宮でいらした嘉仁親王、後の大正天皇と御結婚されました。
貞明皇后の東宮の元への御入内時の唐衣裳姿。 二枚とも同じです。貞明皇后は、明治33年、5月10日に満15歳で当時、東宮でいらした嘉仁親王、後の大正天皇と御結婚されました。
貞明皇后のご入内時の唐衣裳、夏の御料です。
▪唐衣 経糸紫・緯糸赤地の亀甲地文に白五か紋の上文の二倍織物
▪唐衣 経糸紫・緯糸赤地の亀甲地文に白五か紋の上文の二倍織物
裏地 花田色の小菱文様
▪表着 経糸青・緯糸黄色の菱地文に紅色の鳳凰蛮絵紋の上文の二倍織物
裏地 青の生羽二重
▪打衣 紅色地の生無地綾の引倍木
▪五衣 薄蘇芳地の藤立涌文様
裏地 濃蘇芳生羽二重
▪単衣 青地の幸菱文様
こちらは、以前にも紹介しましたが、孝明天皇妃、英照皇太后が御召しになられた唐衣裳です。
英照皇太后は、貞明皇后の叔母に当たりますので、同じ九条家のご出身ですので、唐衣の上文は同じ九条家の家紋です。もしかしたら貞明皇后のご入内時の唐衣裳は、こちらの唐衣裳を参考にされたかも知れません。偶然でしょうか、唐衣と五衣と単衣は、ほとんど一致します。
貞明皇后のご入内時の唐衣裳は、現在遺されているのか分かりません。でも、もしかしたら、英照皇太后のこの唐衣裳を一部利用されたかも知れません。現に五衣は、夏用に裾に綿はありませんし。(冬用の五衣には、裾に綿があるのが特徴です)
貞明皇后が、大正の御大礼で御召しになられる予定だった幻の御唐衣裳を紹介します。
明治後期より科学染料がどんどん着物に使用されたせいでしょうか、当然、この装束にも使用されたでしょう、大変鮮やかな唐衣裳です。新しい時代を感じさせる華やかな色目だと思います。特に五衣の二藍の色が大変洒落た感じです。シロガネは、この唐衣裳は、ホント好きです。
唐衣は、白地ですが白は古来宮廷より最高の色とされており、白の唐衣を着用されるのは、皇后であってもこの時だけとされています。そして白の唐衣は、大正より令和まで引き継がれます。
▪御唐衣 白地の地浮小葵文の地文に向鳳凰丸紋の上文の二倍織物
裏地 蘇芳の綾織りの板引き
▪御表着 青地の亀甲地文に白の藤丸紋の上文の二倍織物
裏地 紫の平絹
▪御打衣 濃紫竪繁菱文様の綾織物
裏地 深紫の平絹
▪御五衣 蘇芳地の雲立涌文の固地綾
裏地 二藍の平絹
▪御単衣 紅地の幸菱文の固地綾
▪御長袴 紅地の好精
▪御裳 白地の三重襷文の固地綾に紺、茶、青の三色で桐、竹、鳳凰の摺り画
香淳皇后の御唐衣裳は、貞明皇后の御大礼の際の御唐衣裳を参考にまた新たな重ね色目に変更されました。有難い事に香淳皇后は戦後、御大礼の際の御自身が御着用された御唐衣裳姿をカラー写真で撮影して下さいましたので、大正と昭和の御大礼の御唐衣裳の違いがハッキリと分かります。
それは、平成の時も同じく、比べられますので、本当に香淳皇后がカラー写真を撮られた事は、凄く大きいです。
美しい御唐衣裳の御姿のカラー写真を残して下さった香淳皇后の雅な御配慮に心から、感謝申し上げます。
美しい御唐衣裳の御姿のカラー写真を残して下さった香淳皇后の雅な御配慮に心から、感謝申し上げます。
昭和42年(1967)5月11日に撮影された香淳皇后、御年64歳
香淳皇后の御大礼での唐衣裳は、基本的に貞明皇后の唐衣裳を先例とされましたが、ただ関東大震災後という事もあってか、唐衣の裏地の生地の板引き加工は、光沢があるせいか、華美すぎるとの理由で加工するのは止めてしまいました。これは、当時の配慮なのですが、どーゆう訳か、平成、令和までそれが受け継がれてしまう不思議な事になってしまいました。
長い間、板引きの加工が行われず、その加工が復活したのは、最近との事です。板引きの加工は、また記事に詳しく書きますが、いったん、特に特殊な技術を止めてしまうと、後にまた復活するときにえらく、大変な思いをするものです。
香淳皇后の御唐衣裳
▪御唐衣 白地浮織りの小葵文の地文に向鳳凰丸紋の上文の二倍織物
裏地 蘇芳地の小葵文様
▪御表着 青地の亀甲地文に白の藤丸紋の上文の二倍織物
裏地 紫の平絹
▪御打衣 濃紫堅繁菱文様の綾織物
裏地 深紫の平絹
▪御五衣 紅地の雲立涌地文の固織物
裏地 薄紅地の平絹
▪御単衣 紅地の幸菱文の固地綾
▪御単衣 紅地の幸菱文の固地綾
▪御裳 白地の三重襷文の綾織物に桐竹鳳凰の地摺り
昭和3年11月10日の即位礼の時の唐衣裳姿の香淳皇后、御年25歳
皆様が大好きな上皇后陛下。上皇后陛下は、昭和の御大礼での御唐衣裳を踏襲されるように見して実は、かなり個人的なお好みに変えていらっしゃいます。言うなれば「美智子様流の唐衣裳」香淳皇后と比べて見ますとそれが、良く分かります。
それがいいのか悪いのか、シロガネには、判断が難しいです。しかしそのせいで、大正、昭和の皇后陛下の唐衣裳は、「派手すぎる」と言われ美智子様が正して下さった様な評価が世間には、言われているようです。令和の御大礼の特別番組で、そのような言葉が聞こえてきました。
なんと酷い事でしょうか?
それでは、上皇后陛下の「美智子様流の御唐衣裳」を紹介します。
以前にも紹介しましたが、平成の御大礼での御唐衣裳です。
▪御唐衣 白地の小葵文の地文に紫の向鶴丸紋の上文の二倍織物
裏地 紫の平絹
▪御表着 白萌葱地に三重襷の地文に白樺御紋の上文の二倍織物
裏地 白萌葱の平絹
▪御打衣 深紫の無地綾
裏地 深紫平絹
▪御五衣 紅地に松立涌固織り
裏地 紅匂いの平絹
▪御単衣 紅の幸菱文の綾織り
▪御裳 白地の三重襷の綾織りに松に鶴文様の描き絵
上皇后陛下の御思召しによる御裳。松に鶴の絵ですが、控え目すぎます。弱々しく寂しい感じです。上皇后陛下は御満足くであられたかも知れませんが、なんだかその後の平成の御代に起きた様々なことが、思い起こされます。
参考までに、大正の御大礼の御裳です。恐らく昭和の時も同じだったと思いますがこちらの方がきちんとハッキリとして力強くていいと思います。
皇后陛下の公式の御写真です。美しくないです。一体誰が撮影したのか、酷い御写真です。他の女性皇族の方々も同じです。皇后陛下の美しさが全然感じられない、伝わらない酷い公式の御写真です。
令和の皇后陛下の御唐衣裳を紹介しますが、こちらのの皇后陛下の方がとても御美しいです。
(分かる所で調べましたが、打衣、五衣の文様、単衣、裳等は詳しく分かりませんでしたので、上皇后陛下の装束を踏襲していると思いましたので、それをそのまま書きました。あしからず承知して下さい)
▪御唐衣 白地の小葵地文に萌黄の松喰鶴丸紋の上文の二倍織物 白菊襲(表白・裏萌黄)
裏地 萌黄の小菱文様
▪御表着 薄紫地に菱地文に紫のハマナスの上文の二倍織物 藤襲(表薄紫・裏紫)
裏地 紫の平絹
▪御打衣 濃紫の無地の綾織
裏地 濃紫の平絹
▪御五衣 紅地の松立涌文の固織物
裏地 紅の匂いの平絹
▪御単衣 紅地の幸菱文の綾織
▪御裳 白地三重襷地文に松に鶴を描いたもの
大嘗祭のおりの帛の唐衣裳姿の皇后陛下
多くの皇室ファンの度肝を抜いた(大笑い)、御唐衣裳を御召しの皇后陛下のオープンカーでの御姿。色々なと事を皇后陛下はなさるものです。何とも不思議な感じです。
京都から牛車を取り寄せられなかったのでしょうか。牛車は解体できるものですし、やろうとすればできなくもないはずですが。ただ問題は、牛車を引く牛ですが、いっそうの事、皇宮警察の人達が牛の代わりに引くということも出来きますし、現に輦車(てぐるま)という人が引く、特別な身分の人が乗る車もありました。
その輦車です。
皇后陛下の御唐衣裳の御姿は、伊勢神宮の「親謁の儀」で見納めです。御唐衣裳を御召しの皇后陛下は恐らく2度と拝見する事は、ないでょうね。こんなに美しい素晴らしい御装束を拝見出来ないのは何とも残念です。もったいないです。