平成18年(2006)2月6日の放送の「皇室日記」は、この年は高松宮殿下が、ご誕生になられてちょうど100年との事で、高松宮両殿下の特集でした。妃殿下のご学友でいらした、岩崎藤子さんが、喜久子妃殿下の思い出を語っていらっしゃる、貴重なお話ですのでここに再現します。
久能靖氏
「今日は、東京高輪にある高松宮邸にお邪魔しております。昨年末12月18日に妃殿下がお亡くなりになり、今は宮邸はひっそりとしております。今年は高松宮様がお生まれになられてちょうど100年になりますが2月3日はご命日でしたので、今日はお二人を偲んでの特集になります」
久能靖氏
「生前、医療・文化・芸術などで活躍された、高松宮妃喜久子様。喜久子様と特に親しかったという岩崎藤子さんは、明治の元勲大久保利通のお孫さんで女子学習院時代から、実に80年のお付き合いでした」
久能靖氏
「岩崎さんがはじめて妃殿下とお会いされたのは、おいくつの年だったんですか」
岩崎藤子さん
「小学校の~~二年」
久能靖氏
「二年?」
岩崎藤子さん
「はい」
久能靖氏
「同じクラスでいらっしゃたんですか」
岩崎藤子さん
「はい。同じクラスでお隣でございました。お席が」
久能靖氏
「ばぁ~~~」
岩崎藤子さん
「『お遊びしましょうね』と、おっしゃて、わたくしの手をお取りになって・・・・・芝生でこう~~~お山があって、お山滑りでそこでゴザで滑る遊びをずいぶんとさせて頂いた・・・・その頃は徳川さんでございましたから」
久能靖氏
「はい」
岩崎藤子さん
「文学は優れていらっしゃいましたネ~~~お歌とかネ~~お字とか、作文とか・・・・・特に活発という方ではないけど、お静かっていうほどでもなかったザンスね~~」
久能靖氏
「ご結婚というお話は、岩崎さんはいつ頃からどういう切っ掛けでお知りになったんですか?」
岩崎藤子さん
「本当に私たちが意識したのは、女学校の四年か、五年で御座いますから~~~結構妃殿下を、おからかいする・・・・・ことが多ございましたからね」
久能靖氏
「それに対して、何とお答えになっていらっしゃたのですか」
岩崎藤子さん
「『や~~~~よ~~~~』とおしゃて非常に照れていらっしゃて」
久能靖氏
「ご結婚式は岩崎さんはご出席になったんですか?」
岩崎藤子さん
「式はもちろん御所で御座いますけど、今の~~赤坂の~迎賓館、あちらで、ご披露宴が御座いまして・・・・確かクラス一同お茶をお呼ばれしましたけど、もう、ほんとうにその頃はおきれいで御座いましたよ~~~とっても」
久能靖氏
「お輿入れの時にね、お持ちになられた雛人形、拝見した事がありますけど、凄いものですね~~~」
岩崎藤子さん
「あの時、内裏様が召しているものとか、皆、妃殿下のご成婚の時の小さくした様な・・・・全て御紋でお箪笥のなかには、お召し物が一つ一つ入っていて、もう、ああゆうものはまたとなく拝見出来ないんじゃないかと・・・・」
久能靖氏
「ご成婚後のネ、両殿下はどんな感じのご夫妻でいらっしゃたんですか?」
岩崎藤子さん
「もう・・・・・極めて普通でいらっしゃいましたよーー殿下がお和服でお袴召して、妃殿下は訪問着でお手を繋いで出ていらしたんで、『ワァ~~~』とわたくしも思わず、フフフフ・・・・殿下も本当にお気の付く、お優しい方でいらっしゃいましたから・・・・」
岩崎藤子さん
「良く殿下は『皇族というものは、国のため国民の為に少しでも、役に立つのが、本筋だよ』と良くおしゃて・・・・」
・・・・・・・・・略
久能靖氏
「今、やはりあの~~両殿下親しくしてこられただけにいろいろな思いが・・・・・去来してこられますでしょうね・・・・・」
岩崎藤子さん
「ハイ・・・・・・・何か、何をしてもすぐ妃殿下の事が思い出されて・・・・・お好きな(妃殿下が)ものを自分が頂くとハァーー妃殿下がお喜びになられたとか、何となくそうゆう・・・・・何かにつけてそうゆう・・・・事を・・・・・つい思い本当にもう少しお目にかかりたかったと思って、それが本当にわたくしは今でもそれが残念で・・・・」
喜久子妃殿下のお祖父様は、皆様ご存知の徳川慶喜。そして岩崎藤子さんのお祖父様が、大久保利通。(岩崎さんの母君が利通と満寿夫妻の一人娘です)祖父世代が、官軍賊軍のああいう間柄でしたけど、孫の世代では孫娘同士が生涯の友情を結ぶのですから、歴史の未来は、面白いです。
生涯の良き友をお持ちになられた喜久子妃殿下は、とてもお幸せでいらしたとシロガネは、思います。そして妃殿下のお人柄が岩崎さんのお話からも十分伝わってきます。