お三方とも、ブログはとても面白くて、又勉強になります。「男系」支持の方々でいらっしゃいます。眞子内親王殿下のご結婚問題で、皇嗣家がいろいろと、逆風のなかでも、ご自分の意思を変えることなく、進んで下さいますので、シロガネもとても心強いばかりです。
今日、ふぶきさんのブログを朝、見ましたら、今は亡き高松宮妃殿下が、敬宮殿下、ご誕生のさい、「婦人公論」で「めでたさを・・・・」をという、手記を書かれた内容が、取り上げられていました。
シロガネも敬宮殿下がご誕生の時は、リアルタイムで、知っていますし、もうこの時は、絶賛!!皇室に、のめり込んでおりましたので、妃殿下の書かれた手記は、もちろんしっていましたし、本屋で、(婦人公論を・・・・・)立ち読みして、妃殿下の手記、そして「女性皇族を、将来天皇様に成られること・・・・」も勿論、読んでおりました。
当時は、まだ二十歳でしたし、皇室に強い関心があっても、「男系」・「女系」のことも何にも知りませんでしたし、「女性天皇」でも問題ないじゃん、どうして?なれない仕組みになっているんだ???とくらいに思っていました。
皇室を滅ぼそうとする、●●●の陰謀ーーと思って、皇室は、どうなるのだろう?やっぱり、「女帝」が、誕生するのかな~~と思って、なんとなく、そんな未来を「妄想」しておりました。
こんな感じでした。華やかで雅な女帝
ですので、妃殿下の書かれた手記を読んで、当たり前のように、「女性天皇は賛成」のご意見だと思っておりました。当時妃殿下は、骨折されて長く入院されて、退院された事は、「皇室日記」とかで知っていました。その妃殿下が「手記」を書かれるほど、お元気でいらした方が、シロガネ的にインパクトが、ありました。
妃殿下の書かれた「菊と葵のものがたり」と、お妹さんの榊原喜佐子さんの「徳川慶喜家の子供部屋」を読んでおりましたので、妃殿下の事は、全く知らない方では、ありませんでした。二冊は、とっても面白かったですし、シロガネの「皇室」の関心をより深めたご本でした。それと当時、「気性が強く、超保守的」と良く河原某氏の本で良く取り上げられていた、貞明皇后のお人柄が、詳しく知ることが、出来ました。
「一姫・二太郎」の事を読んだ時、本当にそうなれば、いいなと素直に思っていたことを、今でも覚えております。その「一姫・二太郎」には、どうやら、布線が、あったようで、貞明皇后が、百合子大妃殿下が、初めてご懐妊されたさい、当時戦時中でしたので、周囲から、是非とも男子をと、プレッシャーを強く感じておられた、当時の百合子妃殿下が、貞明皇后へ、ご挨拶に行かれた時、貞明皇后は、
「一姫・二太郎の言葉もあります。お姫さんが、産まれてもがっかりなされないでね」
と、おしゃたとの事です。そして、最初はやす子内親王が、そして次は、寛仁親王が、ご誕生になられました。当然、手記を書かれた喜久子妃殿下の「願い」は、その時の貞明皇后のお言葉が、念頭にあったはずです。お体が、お弱かったと言われる、百合子大妃殿下は、三男一女をお生みになられました。
お二人の「お姉様」方・・・・秩父宮勢津子妃殿下と喜久子妃殿下はには、お子様が誕生されませんでしたが、百合子大妃殿下は、「遠慮」なされず、お子様を次々にお生みになられました。お二人の「お姉様」方は、心の内は、ともかく、三笠宮家のお子様方をとても可愛がられたのは、皇室に詳しい方は、良く知っていらっしゃるはずです。
ふぶきさんが、書かれているように、「産める」ところから、どんどんと、いうのが、喜久子妃殿下のお考えでいらしたのは、間違いありません。それゆえ、当時の東宮家に、「遠慮」していらしたという、秋篠宮両殿下に対して、
「何を遠慮しているのかしら?遠慮せず、ドンドンお産みになられればいいじゃない」
と言われた事はこれは、シロガネも当時の週刊紙で読んで知っていました。喜久子妃殿下は、マジで「大物」デス。
「男系」を維持してゆくのは、産めるところから、どんどん産んでゆくしか今の世の中では、無理です。女性天皇はその結果で、はじめて課題となるのです。
女性皇族の「理解」と「賛同」と「支え」がなければ、「男系」を守りそして維持するのは、無理です。
そもそも、それに対して「理解」出来ない女性は、皇室には、向いていないのです。
現代の皇室の問題は、そういう「理解」に欠ける女性皇族が、上に上にいらした事でしょうね。それが「歪み」となって将来の皇室に、悪い影響にならない事を心から願います。
男系を支持されておられた寛仁親王がご生前、皇室の事を語った「皇室と日本人」の本のなかの「三笠宮一族は同じ考え」で、(一部書き写します)
殿下
我々は普通の家庭のように頻繁に一緒になったりすることはないんです。けれども柏朋会の私の文章が、読売新聞にすっぱ抜かれた時に、誤解されては困るのですぐ母親の所に電話をしました。
「読まれましたか?親父はどう考えているかしら?」
と話をしました。本当は私が発言するより皇族の長老である父に口火を切ってもらいたかったわけです。・・・・・・それから
「お袋は、女帝・女系になったら大変なことことになること、わかっているの」
と聞いたら、
「もちろん大変なこと」
だと言っていました。
・・・・・そう言うわけです。あの貞明皇后に薫陶を受けられた、百合子大妃殿下は、そう、おっしゃていたのです。当然、喜久子妃殿下も同じ、お考えでいらっしゃたと、シロガネは、思います。「一姫・二太郎」が喜久子妃殿下の「願い」であり、その結果が叶わなかった万一の事態に備えての「女性天皇」であったとはずです。
女系・男系どちらが、良いのかと迷っていたシロガネは、百合子大妃殿下の「・・・・大変なこと」のお言葉が、決定的となりました。
6月4日に、97歳になられた百合子大妃殿下