あべっち v(^▽^)~♪ の『のほほん・とほほん・ボヤ記』

年を取るのは自分が思うよりもなまら速い。ここでUPするのは日記と言うよりボヤキだったりするべさ(笑)

読んでみてほしい1冊

2025-02-19 15:44:31 | ごにょごにょ...独り言。

このブログ、実はぷらら時代からやっていたんですが

「X」を始めてから、すっかりおろそかになってしまい、おサボリブログになっています。

 

携帯電話がスマートフォンに替わってからは、SNSが著しく発展し、

指先をちょっと動かせば、あれやこれやと情報がサクサク入ってきて、正直、退屈なんてものは皆無。

 

ニュースはもちろん、動画なんてYouTubeを開けば、アルゴリズムにより、自分が興味あるモノを提供してくれる。

SNSでメッセージを発信すれば、世界中の誰かとつながることができたり

今では、日々の生活に欠かせないアプリの登場で、スマホ1台が手元にあるだけで完結できるような便利さに。

 

こどもの時に描いていた〇十年後の未来。

自動車は空を飛んではいないものの、時計がコンピューターになったり、メガネがダイナミックな映像を見せてくれたり

ドラえもんのような世界が、少しずつ現世界に近づいている感に驚きつつ、自分もそれだけ年を重ねてしまった

時間の長さを感じられずにいられません(笑)

 

自分が好きなことの中に「読書」がありますが、その読書も今ではスマホやタブレットで読む人も増えています。

でも自分はどちらかというと、紙で読みたい派。

ページをめくる作業が好きなのと、紙の匂いが好きですw

本屋さんへ行くと、独特の紙の匂いがあって、書店の入口の自動ドアが開くといつもワクワクしっぱなしです。

 

冒頭が長くなりましたが、今回書き記しておきたいと思った本は・・・

福場将太さんの『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』 サンマーク出版

 

医学部時代の臨床実習中に目の病気が見つかり、32歳の時に視力を失った著者。

お医者さんなのに目が見えない。

一般人としては、致命的な出来事なのではと思うのですが、

目が不自由なお医者さん、看護師、心理士、理学療法士、言語聴覚士など、

医療や福祉関係で活躍されている方々の存在を知り、精神科医を志したとのこと。

 

目が見えるからこそ、見えるもの。

目が見えるからこそ、見えないもの。

目が見えないからこそ、見えないもの。

目が見えないからこそ、見えるもの。

 

この4つ、深くないですか?

目が見えるからこそ、当たり前のように見える

目が見えているのに、気付いていない、あえて見ようとしない

目が見えないからこそ、見たくとも見られない

目が見えないからこそ、何かに気付く、感じたりする   などなど。

 

著者は、本の中で、こんなことも綴っています。

 

「SNSって見る必要ありますか?」

 

著者は、見えないけれど、特段に困ることはないとのこと。

日々の生活にかなりの比重を占めている感のあるSNS社会。

例外なく、自分もどっぷりハマっている1人です。

スマホやPCを覗いては、さまざまな情報が目に飛び込んできますが

その中には不確定情報やデマもあり、そんな情報ほど広く拡散されてしまい

時には疑心暗鬼になり、不安になり、心が疲弊してしまう。

自分は「X」でもこのブログと同様にボヤくのがメインですが

動画を見て、日々の学びのためにも利用しています。

でも情報の過剰摂取でアンバランスにならないように、気をつけねばと、ハッとした1文でした。

 

また著者は、医師国家試験を不合格になり、リベンジした経験をしています。

やりたいことをやってみよう、会いたい人に会ってみようなど

自分の好奇心の思うままに行動し、自分ができることは何か?と模索し、再度合格を勝ち取りました。

 

チャレンジとバイタリティーあふれる著者のエピソードを読んでいると

目が見えなくても、心が診えるお医者さんの言葉は、

目が見えていても、他人の心をちゃんと見ていないかもしれない自分にとって、凄く注意喚起づけられるものばかりでした。

 

SNSを開くと、痛々しい言葉で、スマホの向こうにいる見えない相手を傷つける投稿を見ることもあります。

その言葉はまさに鋭い刃のよう。

よく耳にする「メディアリテラシー」を深めたり、より理解をすることも必要ですが

その中に少しだけでも「思いやり」を加えることも大事なのかなと。

 

目に見えないからこそ、気付くことがあるのなら

目に見えるからこそ、気付けることがある

 

読了後はそんなことを感じた1冊でした。

 

では、どうもおじゃまいたしました、へっくしょん。


たまには本を読もうよ。

2025-02-18 16:52:39 | ごにょごにょ...独り言。

おばんでございます。

今宵も北海道から、こたつにこもってお邪魔虫でございます。

 

気温が一気に高くなれば、一日中、氷点下の日もあり、鼻水とくしゃみから解放されない毎日です。

札幌の雪まつりも終わり、これからは春への準備になる2月ですが、北海道は侮れませんね・・・

 

いつもはここでフツーにただボヤくだけなんですが

今日は以前に読んだ本についてボヤこうかなとログインしました。

 

  緒方健二さんの『事件記者、保育士になる』 CCCメディアハウス

 

この本との出会いのキッカケは、某週刊誌の新著発売のコーナーを見たときでした。

単純に、タイトルに惹かれてのジャケ買い。

事件記者が保育士の労働環境の取材を含めた体験ルポのようなものなのかなと思ったら

某新聞社で事件や犯罪などを担当する記者だった著者が退社して、短期大学の保育学科に入学し、

保育士、幼稚園教諭、こども音楽療育士の資格を取得するまでの奮闘記。

 

世の中、よく「リスキリング」というワードを見かけますが

なんとなく、「学び直しをせにゃいかんよね」という風潮があるような気がしてモヤってた自分。

でも著者は、現役時代にさまざまな事件を取材するなかで

こどもが虐待され、命を落とした事件を捜査していたある警察官の言葉がきっかけとなったと言います。

 

「捜査で被害者の無念を晴らすことは出来るけれど、生育環境までは手が回らない」

 

毎日、TVや新聞などで、こどもへの虐待についての報道を目に耳にすることがよくありますが

内容は、親が虐待をして命を落としてしまい、親は逮捕されました。で終わることが確かに多い気がします。

そのような経緯に至った裏側には、その家庭の状況などはさまざまな問題を抱えていることが多く

親を立件して逮捕となったとしても、こどもが育っていく環境の改善に関わることは難しいという「嘆き」。

著者自身も取材を通して、こどもを守ることについての体感に限界。

同じような事件が繰り返されるのは、こうした経緯と未だ改善されていない社会問題が根深いままである証しなのでしょう。

本の中では著者が短大で学ぶ中で、今のこどもの生育環境や保育士の労働環境などはどうなのか?

実際に取材した事件の内容を並列しながら、事件記者の視点で捉え、その可視化された背景の裏を語っています。

 

また、保育士として必要なうたや遊び、ピアノの技術はもちろん、乳児・こどもたちの育成環境などに奮闘しつつも、

30年をも年の離れた同級生たちとの交流や、ちょっと恥ずかしい思いをしてしまうこともあれば

たまに、荒っぽいべらんめぇ口調でボヤくひとことに、思わずニヤリともしてしまうエピソードが満載。

 

読了後は、著者のように、長い間、事件記者として、サラリーマンとしてバリバリに働いていたからこそ、

現役を退いて、ゼロからのスタートを切りだせる勇気って、なかなかできないことではないかと思いながらも

生き方、働き方は人それぞれであり、チャレンジするのは何歳になっても可能だし、

変化を求めて一歩前へ踏み出すのも、自分が納得できるのであれば、アリなのかなと元気をもらえた1冊でした。

 

ジャケ買いの本がこんなに面白かったの、久しぶりです。

では、どうもお邪魔いたしました、へっくしょん。