「そろばんをやって本当に良かった」
岡村ゼミナール(株)“ACE KIDS WORLD”
珠算教育部長・高島 篤
私は、この11月で47歳になります。
自分ではまだまだ若いと思っていましたが、いつの間にか約半世紀人生を生きております。
昨年8月に、23年勤めた東京の一部上場企業を退職し、故郷の姫路に戻ってきました。
一年強の充電期間を経ての再始動のきっかけになったのが「そろばん」であることも、
まさに私の人生における「そろばん」の影響力の大きさを物語っています。
「そろばん」は私の人生の基礎をつくり、発展させてくれたかけがえのない相棒でした。
私自身、今、人生の分岐点に立っております。、次のステージに向かって力強く進んでいくために、その前段階として少しこれまでの自分の歩みについて、大好きな「そろばん」がもたらしてくれたものという視点で振り返ってみたいと思います。
そろばんを習い始めたのは小学1年生でした。その後中学一年生で初段に合格してやめるまで7年間、そろばん教室に通いました。「好きこそものの上手なれ」です。私とそろばんとの相性は良く、教室通いが本当に楽しかったです。
楽しさの一端はどんどん上達する実感です。
子供の時のあの実感は非常に大事な感覚だと思います。
小学3年生で節目である3級に合格しました。
その後も順調に昇級しましたが、小学6年生で1級を受験し、初めて落ちました。
悔しくて悔しくて号泣したことを今でも鮮明に覚えています。
あの時の母の励ましの言葉、そして次は絶対に受かってやるという純粋に前向きな気持ち・・・
今振り返っても小学校時代に、「そろばん」を通じて、いろいろなことを感じ、そして学ぶことができたと思います。
間違いなく「そろばん」が、人生の基礎づくりをしてくれたのだと思います。
私はとりわけ暗算が得意でした。
そろばんの試験も、みとり算・伝票算(今はない)は暗算でやりましたので実質試験でそろばんを弾いたのは掛け算と割り算だけでした。
当時の私は、街を歩いていて目につく数字、例えば車のナンバープレートなどは、無意識のうちに、足したり引いたり掛けたり割ったりしていました。
母とスーパーに行っても、レジではちょうどぴったりの金額を出して、よくレジの人にびっくりされると同時に誇らしかったことを覚えています。
小学校の授業では先生に頼まれて私が教えていました。
自分が自信を持って生きることのできる最高の「武器」でした。
この暗算力はもちろん、学業の助けにもなりました。
数字が大好きなので、まずは問答無用に算数が好きになり得意科目となりました。
その後、大学受験における数学まで算数・数学は、ずっと得意科目で点数を稼いでくれました。
例えば、数字の計算が早いので、コツを使って解く問題もそのまま計算するというパワー戦法もたびたび使えましたし、計算が早い分、試験時間が人より長く使えたと思います。
数字が苦手な人が多いなか、数字・数学が好きで他の教科を引っ張ってくれたというのは受験の上でも有利であったことは言うまでもありません。
そのきっかけは間違いなく小学1年生から習った「そろばん」でした。
人生を通じてずっと数字が得意なことが当たり前になっていますが、もしそろばんを習っていなかったらどうなっていたのか想像もつきません。数字が嫌い・数学が苦手になっていたのかもしれませんね。
仕事では、化学工業の会社で長く働きました。中心工場の工場企画、生産管理、主要製品の営業、海外(台湾)勤務等を歴任しました。
そのいずれのポジションにおいても、数字の強さ、計算の速さは自分の武器となりました。
工場での原価計算、損益計算も得意でした。営業ではお客様と話しながら、暗算で売値・数量・利益等計算し、交渉のなかで即座に判断出来ました。
海外でも数字は共通語ですので、数字の強さには一目置かれました。
自分で言うのも何ですが、大きな会社のなかでも、私の数字の強さは有名で、言わば私の
「代名詞」でありました。数字では高島さんに敵わないと誰からも思われていました。
仕事上の数字ですからもちろん、単純に計算が早いということだけではそんなに役にたちません。
数字の意味を読み取る力が必要です。
しかしそういう力は、まずは数字が苦にならないこと、計算が出来ることからはぐくまれます。
計算の苦手な同僚たちがミスインプットした計算機やエクセル計算の結果をそのまま資料に載せて、しかもそれに自分では全然気づいていないということがよくありました。
要はその事業においてのその数字の意味を全然理解していないということですから当然成果は上がりません。
数字が好き、計算が好きなことが、数字を理解し、事業を理解することができる近道になります。
会社の仕事においても「数字の強さ」が役立ち、社内ポジションも順調に上がっていきました。
日常生活においても、役立つことばかりです。
海外旅行が大好きで色んな国に行きました。その時も、為替計算が苦も無く出来ます。海外での買い物も楽ちんです。
小さな買い物から家のような大きな買い物まで、すべてにおいて数字での損得計算を常に当たり前にやってきました。人生で相当の得をしてきた(少なくとも数字でこんがらがって騙されるというようなことがない)と思います。
妻と結婚して23年ですが、その間ずっと、妻は私を計算機替りにしています。
たぶん妻から私が尊敬されている数少ない能力だと思います。
ざっと駆け足で思いつくままにこれまでの人生を「そろばん」とともに振り返りました。
人生を生きていくなかで言葉と並んで数字は避けて通れません。
改めて自分自身のこれまでを振り返ってみて、数字が好きか嫌いか、苦か苦でないかは、学校・仕事・社会生活のどの場面においても相当の差を生じさせるものだと実感しています。
「そろばん」は勉強ではありません。
誰でも気楽に始められます。勉強が苦手な子供でも上手くなれます。
そしてその自信が勉強にも好影響を与えます。
好きで熱中しているあいだに自然に数字が好きになり、それが結果的に人生の各ステージで大いに役立つことを私自身経験して参りました。
一人でも多くの子供たちが、「そろばん」を習い始めることを願います。
その子供たちが「そろばん」を好きになる手助けをする仕事をしていきたいと思います。
そういう仕事は「素敵な仕事」だと心から思います。
以上
≪略歴≫
兵庫県立姫路西高等学校卒
神戸大学経済学部卒
元・昭和電工(株)職員
全珠連・初段
岡村ゼミナール(株)“ACE KIDS WORLD”
珠算教育部長・高島 篤
私は、この11月で47歳になります。
自分ではまだまだ若いと思っていましたが、いつの間にか約半世紀人生を生きております。
昨年8月に、23年勤めた東京の一部上場企業を退職し、故郷の姫路に戻ってきました。
一年強の充電期間を経ての再始動のきっかけになったのが「そろばん」であることも、
まさに私の人生における「そろばん」の影響力の大きさを物語っています。
「そろばん」は私の人生の基礎をつくり、発展させてくれたかけがえのない相棒でした。
私自身、今、人生の分岐点に立っております。、次のステージに向かって力強く進んでいくために、その前段階として少しこれまでの自分の歩みについて、大好きな「そろばん」がもたらしてくれたものという視点で振り返ってみたいと思います。
そろばんを習い始めたのは小学1年生でした。その後中学一年生で初段に合格してやめるまで7年間、そろばん教室に通いました。「好きこそものの上手なれ」です。私とそろばんとの相性は良く、教室通いが本当に楽しかったです。
楽しさの一端はどんどん上達する実感です。
子供の時のあの実感は非常に大事な感覚だと思います。
小学3年生で節目である3級に合格しました。
その後も順調に昇級しましたが、小学6年生で1級を受験し、初めて落ちました。
悔しくて悔しくて号泣したことを今でも鮮明に覚えています。
あの時の母の励ましの言葉、そして次は絶対に受かってやるという純粋に前向きな気持ち・・・
今振り返っても小学校時代に、「そろばん」を通じて、いろいろなことを感じ、そして学ぶことができたと思います。
間違いなく「そろばん」が、人生の基礎づくりをしてくれたのだと思います。
私はとりわけ暗算が得意でした。
そろばんの試験も、みとり算・伝票算(今はない)は暗算でやりましたので実質試験でそろばんを弾いたのは掛け算と割り算だけでした。
当時の私は、街を歩いていて目につく数字、例えば車のナンバープレートなどは、無意識のうちに、足したり引いたり掛けたり割ったりしていました。
母とスーパーに行っても、レジではちょうどぴったりの金額を出して、よくレジの人にびっくりされると同時に誇らしかったことを覚えています。
小学校の授業では先生に頼まれて私が教えていました。
自分が自信を持って生きることのできる最高の「武器」でした。
この暗算力はもちろん、学業の助けにもなりました。
数字が大好きなので、まずは問答無用に算数が好きになり得意科目となりました。
その後、大学受験における数学まで算数・数学は、ずっと得意科目で点数を稼いでくれました。
例えば、数字の計算が早いので、コツを使って解く問題もそのまま計算するというパワー戦法もたびたび使えましたし、計算が早い分、試験時間が人より長く使えたと思います。
数字が苦手な人が多いなか、数字・数学が好きで他の教科を引っ張ってくれたというのは受験の上でも有利であったことは言うまでもありません。
そのきっかけは間違いなく小学1年生から習った「そろばん」でした。
人生を通じてずっと数字が得意なことが当たり前になっていますが、もしそろばんを習っていなかったらどうなっていたのか想像もつきません。数字が嫌い・数学が苦手になっていたのかもしれませんね。
仕事では、化学工業の会社で長く働きました。中心工場の工場企画、生産管理、主要製品の営業、海外(台湾)勤務等を歴任しました。
そのいずれのポジションにおいても、数字の強さ、計算の速さは自分の武器となりました。
工場での原価計算、損益計算も得意でした。営業ではお客様と話しながら、暗算で売値・数量・利益等計算し、交渉のなかで即座に判断出来ました。
海外でも数字は共通語ですので、数字の強さには一目置かれました。
自分で言うのも何ですが、大きな会社のなかでも、私の数字の強さは有名で、言わば私の
「代名詞」でありました。数字では高島さんに敵わないと誰からも思われていました。
仕事上の数字ですからもちろん、単純に計算が早いということだけではそんなに役にたちません。
数字の意味を読み取る力が必要です。
しかしそういう力は、まずは数字が苦にならないこと、計算が出来ることからはぐくまれます。
計算の苦手な同僚たちがミスインプットした計算機やエクセル計算の結果をそのまま資料に載せて、しかもそれに自分では全然気づいていないということがよくありました。
要はその事業においてのその数字の意味を全然理解していないということですから当然成果は上がりません。
数字が好き、計算が好きなことが、数字を理解し、事業を理解することができる近道になります。
会社の仕事においても「数字の強さ」が役立ち、社内ポジションも順調に上がっていきました。
日常生活においても、役立つことばかりです。
海外旅行が大好きで色んな国に行きました。その時も、為替計算が苦も無く出来ます。海外での買い物も楽ちんです。
小さな買い物から家のような大きな買い物まで、すべてにおいて数字での損得計算を常に当たり前にやってきました。人生で相当の得をしてきた(少なくとも数字でこんがらがって騙されるというようなことがない)と思います。
妻と結婚して23年ですが、その間ずっと、妻は私を計算機替りにしています。
たぶん妻から私が尊敬されている数少ない能力だと思います。
ざっと駆け足で思いつくままにこれまでの人生を「そろばん」とともに振り返りました。
人生を生きていくなかで言葉と並んで数字は避けて通れません。
改めて自分自身のこれまでを振り返ってみて、数字が好きか嫌いか、苦か苦でないかは、学校・仕事・社会生活のどの場面においても相当の差を生じさせるものだと実感しています。
「そろばん」は勉強ではありません。
誰でも気楽に始められます。勉強が苦手な子供でも上手くなれます。
そしてその自信が勉強にも好影響を与えます。
好きで熱中しているあいだに自然に数字が好きになり、それが結果的に人生の各ステージで大いに役立つことを私自身経験して参りました。
一人でも多くの子供たちが、「そろばん」を習い始めることを願います。
その子供たちが「そろばん」を好きになる手助けをする仕事をしていきたいと思います。
そういう仕事は「素敵な仕事」だと心から思います。
以上
≪略歴≫
兵庫県立姫路西高等学校卒
神戸大学経済学部卒
元・昭和電工(株)職員
全珠連・初段