耐えがたい苦難や試練は、どんな人にだって、一度や二度、あるでしょう。いじめや、病気、事故や、災害、会社が倒産したり、お店がつぶれたり、大切な人の死や、信じていた人の裏切りを前にして、「もう死んでしまいたい」「もうどうでもいいや」と、人生を投げ出したくなる時、もあるでしょう・・・。人生には山もあれば谷もあります。時には疲れ切り「もう進むことができるかわからない」と思う時もあるでしょう。聖書預言は夢物語の慰めではなく「現実」です。その中でも終末預言は霊的であり象徴的ではありますが文字通り物理的に成就します。私たちが丹念に聖書を調べる理由はそれらが確かであることを私たちが確信するためです。生きる希望は聖書の中にあります。その希望は復活の主に再臨の主にそしてその信仰の力を与えてくださる御霊にあります。苦難の中にあっても絶望せずに生きるためには、自分の人生を自分の力でコントロールしようとするのではなく、正しいコンパスに従って自分の人生を神へと向きなおらせることです。イエス様は『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです』(ヨハネの福音書14章6節)と言われました。イエス様は『わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』(ヨハネの福音書14章6節)とも言われました。主への道へと向きを変えた時、自分のことすら責任が持てず、その場に立ち止まってしまっていた弟子たちが聖霊の力を受け地の果てまで出て行き、キリストの証人として再び歩みはじめたのです。それは止まりかけていた「あなたのタイムテーブル」の針が・・・再び動き出す瞬間なのです。なぜなら今もあなたと共に生きておられるイエス様の『神のタイムテーブルは』どんなことがあっても、決して止まることは、ないからです。
本文内容と下記広告は関係ありません。
本文内容と下記広告は関係ありません。