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沖縄の水牛ー宮城節子

2024-01-14 09:07:32 | 日記
節子と出会ったのは23の年、当時僕は大学を中退して行き場を失っていた。将来に対する展望もなく、開拓する知恵のなかった僕は知らない異国ので死ぬことを考え、九州の地を這いずり回った。そして行き着いたのが沖縄になった。
沖縄については知らなかったが、大学時代読んだ唯一の岩波新書「米軍と農民」が僕をして沖縄にいざなったかのような気がしている。
そこで僕は、反基地、辺野古埋め立てに反対する活動家宮城節子と出会った。
北部ヤンバルオオシッタイに拠点を据え、機織りをしながら活動していた彼女は、実に大勢の仲間が全国にいたのには驚愕したものだが、60年安保、成田闘争で活動していた節子は、大木よねさんと共同生活をしている。
大木よねささんは、権力の手により居住地を強奪された国策被害者でもある。
家を愛し、畑を愛し、地元を愛した大木よねさんへの代執行は、岸田が沖縄辺野古に対し、代執行を執り行った暴挙に等しい。

節子とは酒ばかり飲んでいて、政治的な話はしていない。僕はノンポリであり、常識の薄い市民にしか過ぎないサラリーマンの立場で節子とは付き合っていたが、沖縄に対する日本政府の強権的傲慢には立腹していた。それは今でも変わらない。
法の支配だとか、国際秩序だとか、民主主義だとか、自民党議員の好きな言葉は、単純にDSー世界のごろつき集団の利権を擁護する言葉でしかなくなった。つまり、グローバリストーネオコン、シオニストに対する忠誠心を示す言葉が彼らの口から湧いているわけだ。

彼女たちがあらがったものは、人間としての自然権を何とでも人工的に作り変える詐欺師たちへの反発でもある。近代国家が多数決の原理で動くようになって以来の世界ユダヤ資本のアコギに対する抗議でもある。
節子が死んだという記事はネット上で知った。

沖縄を離れてすっかり忘れていた記憶がよみがえってくる。

沖縄の民意を反故にして薄ら笑いを浮かべる平和の公党公明高木の人権意識の低さは、奴隷国家の暴君に等しい。

代執行の後で、岸田自民は工事着工に出た。

沖縄の海を愛する全国の沖縄ファンは鳴りをひそめながらくだらぬテレビの沖縄に恋い焦がれる。

((´∀`))ケラケラ

松本人志の思考回路に準ずる低落知能

沖縄は、歴史の島である。戦争被害の島である。戦争は、絶対してはいけない人類犯罪であることを骨抜きにして台湾有事を語る似非保守の軽薄。

沖縄は見る島ではない。学びの島が沖縄。


節子が死んだ。
ドルの時代、パスポートを持って内地の大学に進学した節子の境遇は、貧乏くじを引くようなそれではなかった。
節子は、大木よねさんの生き方を選択した。
飲んべいだったが、律儀な人であった。

節子は今、三里塚の地で、伊江島の海で辺野古の生末を案じている。


人はいつか死ぬ。
死んだ後で評価される。

節子が死んだ。

何の反権の抗議の意思も示すことのできない日雇いとして僕は哀れに死んでいくだろう。

節子を忘れない。



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