ともかく問題になるのが「過剰である」この感覚だ。
その先に踏み込むと、何の前触れもなくBANされてしまう。
一応、本日のダイス掲載
白:6,1:7
黒:6,3:9
黒9 6361
一応ね、”これ”が紛争解決機構の結果、ではあるのだけど・・・。
という訳で、ちょっと本日はゲーム的なネタはお休みしつつ、少し考察。
「クラウドその物が、インターネットという世界にとって”過剰”だ」という、その先で、その剣呑はある、訳で。考えたら「だから」youtuberは「それは不味いのでは」そういう事しか、しない(それ以外では利益がっでない、様に操作されてるというべきか)。行き過ぎた領域で許容される?のはそう言う事でしかない、そしてその結果として「体感的なマイナス」そういうのを金銭で補いつつ存在する。
やんわりとした「売春」その要求が、クラウドの環境になる、訳だが。
色々端折って考えると要するに、「ゼビウス」その世界が、クラウド側な訳だ。インターネットその物が、その「グラディウスとゼビウスの対立」それその物に成ってた、そういう感じ。
インターネットその物は、要求し得る「理想の具現」ではある、経緯は似ているのかもしれない。「王の権威」そのアイディア?提案、そういうのを足場に、制作側も要求する機構を形成、その結果、それがお客の求める物になった…それは良い、が。「そのアイディアは元々は”私の”物だった筈だ」そういう声を無視できずにか、それは「クラウド」そういう物として、同一場所に増設される事になった、が。”それ”は本来のオーダー?それには入ってなかった、似て非なる異質でしかなかった。
だから、か。ネットワークの発展と共に、「クラウド」それは次第にデッドウェイトになり始めている。200MBのデータも、期待値では今20秒もあればダウンロードできる(実際の体感的にはまだサーバー側から送るデータ量の上限がある、なんか秒間2MBがせいぜいだから、一分半位は掛かるが)、そしてその方が画質、快適さ共に上、という理不尽。ストリーミングにしろ、データセンターを分散させた方が効率的だし低コスト、という感じになり始めていて…「クラウド、要らないのでは」その声が、その本来の?インターネットの倫理観では膨らんでいって。
”それ”を結局は、BANしちゃってた、感じな訳だ。ただ一応、その都度、「なんで?」は、”彼ら”からある程度の「賠償」それを請求し得る、様ではあるのだが。
結果、状況は打開されたのか、否か。
不意に危険水域に居る、感じにはなる。遠隔のBAN、「ハードその物がリセットされる」機構の存在を疑わざるを得ない、様な感じもあって、そういう機構が今のPC、OS?には入っちゃってる、訳で。youtubeもニコニコ動画も、何のアナウンスも無く再び利用できる様には成ったが、それは今後は無いのか?というと、それはまだ解らない。
最近身近で、「電気が止まる」事例が幾つかある。工事も、事故も。
何かの予兆、だろうか。
その時、本当に何も出来ない事態には陥るのだ。
「授乳中の豚」の絵を描いたのは、幼少期のあげちうである。
”それ”が評価された理由は、「作者と視聴者が同じ理解が出来る」そこに有る。
絵として要求されるものは、まず大事なのは”そういう事”であって。
その時、クラウドの価値観は変化するのか?
今までは、「阿呆こそ神」に成ってしまっていた。