あげちうのブロマガ

優位の向こうに有る英雄譚と現実

「僕は才能が有るけど、なんで君らには無いんだろうね?」余計なお世話じゃボケが。

シンプルに言えば問題の発端は”これ”ではある訳で、古くて新しい問題、ではあるのだろうか。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力

「嫌よアイドルとか。小説書いてる方が好き」そうすかー(;´Д`)。

 

いわゆる「人間性」とは、実際には”こう言うモノ”ではある。ドラマそれはここからしか生まれない、というか?そこまで言えるかは謎だが、ともかく現場が安直に「そうだ!上を妬んでもしょうがない、日々を努力し過ごさねば!」とか言い出す方が、見た目恐怖ではあって。やっかみの中から善悪みたいなのが発生し、それはやがて対立を経てまあ、体感的な苦闘を制した善が勝つ、みたいなのが売れ線?ではあって。それでもやっぱり悪、やっかみから邪へと堕ちていったそれは、馴染の悪、みたいな感じでヴィランと呼ばれる様になる訳だが。

世界は、逆に、「正義の味方が活躍するには悪の組織も必要なのだ」と、そんな道理を呑みこんで、それは世界として有り続ける訳だ。

「何を目指すかは自己責任だから、それが自由意思って物だから、それはどうしようもない」と言うのがまあ、今のオチでさえある訳だが。ともかく今?利益を目指すなら「働く」その”形式の”導入は不可避ではある、昔の様には儲からない時代だ。何処かにある「問題ないオーダー」を探して、受けて、それを期待される様に創る、具現化する、そこに利益はある。この時、マクロでは全ての人々が同一条件下に置かれており、利益性に不可欠な「平等」それは構築される、意図は問わない。平成の問題が起きた原理、それの反省からか、昔の様に一つの成功が次の成功を産む、みたいな感じには成らない。しかしその時、過去かにヴィランだったそれは、かなり肩身が狭くなるそれもまた、現実ではある。

物語的には神の信徒たる正義の勇者らの活躍によって、世界を滅ぼさんとした悪鬼らは追い払われた、世界は救われたのだ…的な帰結ではある訳だが。「何故彼らはヴィランに成ったのか?」それを防ぐ術は?それは、今もないし、現場的には余計なお世話以外の何物でも無い、という領域はまあ、ある。

一応再発防止的には、才能がある奴らも働け、それが必要には成る訳だが。そして今回の事態の原理はその、才能がある連中が自由を欲した、原理的にはそこに成るとは言える訳だけど。

果たして”それ”が徹底される時、今回の様な?大規模な破綻は起きないのか?それは深刻に疑問。

「好きな場所」と言うのが、当然か、ある。その人の個性として、人々から脚光を浴びそして私生活も監視されつつ「表現」をし続ける事が喜びも居れば、むしろ泥臭いか邪でさえある仕事でお金を得る、事に何かの居心地の良さを思う、そう言う個性も或いはあって。現実的な世界は、人間的な価値感では綺麗な物、だけでは出来てない、英雄もやがて、何かの汚れをプライバシーに背負う事には成るモノではあり。しかも、”神”に近い領域は既に「置いてある神像」と大差なくなるのだ、動かない事が最善、みたいなそれは幸せなのか牢獄の囚人か、ではある。良くも悪くもこの現実は、人間の自由意思を何よりも尊重したい、という事には成っている。その時、巨大な存在はそれを害する可能性が高まる、そこには道理がある訳だが、そしてそれは意外と告知が無かったりする、という深刻。

ドラマが続く限りは面倒も続く、そこは多少、辟易する現実ではある。物語のネタは尽きないが、つまり面倒も続くと言う事だ。

ともかく、幸いかKADOKAWAのサーバーも復活、ニコニコ動画も8月5日から本格再起動、という状態へ到達はした、らしい。グリコの方も出荷管理のサーバーが復活と、まあ漸く事態の打開にこぎつけた、感じではある。「何が原因だった?」は、相変わらず不透明なまま、雰囲気で現場のヴィラン、その暗躍を想定はしても今も、結局はそれらを発見し糾弾、という感じには成らないまま、ではある。そのまま残って居るのだ、才能がある奴らの「僕は才能が有るけど、なんで君らには無いんだろうね?」そんな理不尽な呟きは。彼らの戦いに対して神も、何故か線を引いている。自分の現状も、自身の願いとは全く異なる様と共に「そのまま」ではある訳だが。

「諦める」ポイントを探している、感じはある。

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