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あげちうのブロマガ

五月晴れを泳ぐもの

同意を求めにくい感覚はある。

ショートサーキット出張版読み上げ動画6676

「このゲームをクリアする、高いスコアを獲得する、という事は、その地区の治安その他、ともかく危機から地域を守った事に成るのです」

と創ってる方?は言ってても、”それ”を証明?する方法は、無い。
言われた方も、同意するにはちょっと材料がなんちゃらすぎる。

それは「単なるピコピコ」なのだ、手元の小さな画面を眺めてる、不健康そうな遊び。
それを特に、シニア世代に対して求めるのは、ちょっと重い難は有る。

一応、だからこそ、か。

お客が「おもしろーい」と思えばリアルだし。
「つまんなーい」なら、それはちょっと間違っている、のだ。

それでしか判断できない、時。「そうなんですか?」の問いの答えは、その聞いた側の相手にしかない。その相手が「解りません」なら、それは解らないのだ、少なくともそう思う人にとって、それはその現象には成っていない訳で。

もちろん?その地区の発展や治安維持に全く価値を感じない、という意識も勿論ある、それはそれを体感したとしても、「面白い」とは思わない、かも。少なくともAにとっての利益は、Bにとっての不利益だ、と言うのは経済的には今までの常識でもある。


自身の理想?現状のそれに対しても、ちょっと問題?と言うか、そう言うのを感じる部分も有る。

今、選ばれた企画書、政治で言うならマニフェスト、それは何か?を、自分も微妙に把握していない。

「かむろぎ」なら、相変わらず掲示されてる物はある、”それ”を主眼として進むだけだが。

それはしかし、どういう状況なのか?だ。

ミャンマーのクーデター状態なら、世間の反発それは、相手の人死にが発生するレベルで起きている、のかもしれない。”それ”が起きないにしろ、その反発は世間のストレスとなり、「新型コロナウイルス」その発生へと帰結してるかもしれない、訳だ。

それは、誰の責任か?

「大賀さんの決定です」それに逆らうのは悪です、という、”ここ”はそう言う理解で、そしてそれによって不利益?は、今の所は、無い。とは言え少数派である事は間違いなく、理屈の上で反論は許さない?にしろ、「解りません」それは、先の通り、相手の理解に主体はあって、どうにも成らない部分ではあって。

「正義は勝つ」その、ダークサイド、その一端に今、自分も居るかもしれない訳だ。

新型コロナウイルスの活性化が、結果論での”ここ”の隆盛に有る時、それに伴い発生した喪失や損害、それは誰の不備と言う事に成るか。しかしクーデターの成功による新しい秩序の発生、それもまた、或いは結果オーライ、その一つとして歴史上の改革の手段、その一つではある。

今もまだ、結果は出ていない、根深い話な訳で。



使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10687158
https://publicdomainq.net/road-signpost-0054965/

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