感覚の同意はあるか?が、その場合懸念には成る訳だが。
ともかく、公告代理店の暴走、という状況で、「対立」した側は著しく肩身の狭い状況には陥っていた。
いわゆる「就職氷河期」と言われた世代、ではある。具体的には昭和の頃を「良かった」と思う連中は総じてメディアに否定されていた、訳で。自然と、自身周囲からの視線は否定的になる、その中で生活する時、必要以上のストレスに耐えねば成らず。結果、以前なら「どこかに職はあるだろう」と言うそれが消えている、訳で。その上で、公告代理店の「真実」と言うか、動員と言うか、もりあげ隊というか?「流行を“造る”人々」それは、普通の人々のふりをして、そこかしこに居る、事には成る訳だが。
極論すれば、コミケに居る客とは9割以上が動員である、そういうノリだ。広告代理店での「売れない編集長」もまた、その環境の中で歪んでいった、事には成る訳だが。”彼ら”は、自身が「笑え」と言えば笑うし、「怒れ」と言えばどんな内容だろうと怒る、訳だ。視点は前に有った、「地下アイドルとしてデビューしたら客は一人だけだった」みたいな状況だというのは、本人には嫌な位に解る事態、だろうか。
眼前の客そのほとんどが、動員によって集められた人々だ、という時。それは「売れた」と言う実感を得る事が出来ない。
ともかくその人々を「客だ」と認識できない時、利益の内情も相まって、自身のプライドと結果からくる劣等感は凶悪な怪物と化していく、訳だ。就職氷河期世代は、そう言う視線によってか、大きく人生を歪められてしまった。
とは言え視線だ。「売れない奴は消えていく、それは当然だよね」「俺に消えろって言ってるのか?」後者の台詞が、その「広告代理店の後継者」それの言葉ではあり。”彼”は、それをそのまま世間に反射していたに過ぎない?昭和の頃の倫理や価値観を求める奴は総じて、そんなテレビの否定を受け続けた事には成る時、果たしてどこに問題が有ったか。
という事態は、状況的には「売れない奴は消えていく、それは当然だよね」に対して「その前に仕事しないとお金稼げないし、お金ないと最悪死ぬよね?」に、変わっている…可能性はまあ、ある。この時に、就職氷河期世代はどう反応するのか?ではある。ある意味で邪悪は倒され、状況は改善した、かもしれないがしかし。なんというか・・・昭和の頃を知っている存在に、「働け」それは今も、何かの重い枷の向こうにはあるような。
現状に成ってもやっぱり、昭和の頃に意識を残す人々は、「アート」と言う物に、少し違う夢を見ているのだ?
「優秀だから採用される」訳じゃない、現状ではある。