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あげちうのブロマガ

黒が上に白が下にある絵に見る物

少し大きな山?を越えた感じで多少、気が抜けた感じがない事も無い現状。

それと共に「無理は無理」と言うのもちょっと、自覚か認識する現状でもある。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力

黒を悪、白を善、上を上位、下を下位、と見れば、光が闇に覆われている、様かも。

 

やっぱり独裁創作、その「評価」の難しさ、ではあり。本人の意図は、第三者には”全く”伝わらない?感はかなり、思う。当然ながら、”相手”は別の欲求に支配されているからだ、相手の我意なんかに構ってる場合ではない、ので。もちろん?それはそれで面倒も抱えているだろう、余裕の無さは深刻ではある、それはもちろん自分も、だ。

不意にまあ、ピカソの。幼い我が子が産まれた頃の絵、という奴に少し思い至る。衝動のままに描いた、そこには世間の様々なモノ、それに侵害されない”その物”、創作者がつい忘れてしまう大事な、というモノがある、的な。常に評価を気にする現状で、それは意味を持っているという気には成ったが。それはそれで、その後面倒にもなるという理解もある。

今日は休みにするつもりじゃなかったのか。

初期のなんでも鑑定団で「この子供が描いた様な訳解らない絵が2億?!」に、当時の島田紳助氏は非常に視聴者に解りやすい反応をしていた、絵ではあるが。今になるとそれも疑心暗鬼にはなる、本当にピカソの絵だったのか?ともかくしかし、今は想像はし得る。自分に子供が生まれ、その子が絵を描いている。そこには「その子の個性」というか自我?それが描かれていた、訳だ。何物の評価も聞く耳を持たない、その人の魂でさえある。「そう言うのは大事だ」人間が次第に失っていくモノがそこにある。

まあ、ピカソの絵を見るに実際、失笑物の言い分には成るのだが。「我こそは共産主義者である」そう言った当時の彼の感覚、理解での”それ”としては結果、人々を制御し理想郷を目指さんと言う深刻な独裁者のそれではある訳だが。理解では「ゲルニカ」は、或いは視点では今のウクライナ、それの勝利を目指し祈祷を込めた、という話だったが結果、それは叶わず…だから。逆にあの絵は名作と言われている、気もする。

共産主義が、死力を尽くしつつも負けた絵に成った、訳で。

実際のウクライナがどうなるかは、まだ解らない、西側諸国の支援は続いていて。ロシアのプーチン大統領は、「手に入れた4州を奪還しようとしないなら和平交渉に応じる」と言う声明を出している、これは、今の戦況がどう言うモノか?というモノではある。「ウクライナが取られた土地を奪還しようとしている」それにロシアは抵抗してる、絵な訳だ。ロシアは主張を堅持はしている、ウクライナは”迫害していた”親ロシア派のいる地区を返せ!と責め立てている、今はそう言う図ではある。「侵略」と言う視点で見れば、既に状況は逆に成っている、訳だ。

視点で、物の理解は大分変わる訳だが。ともかくどんな些細なモノでも、我意の衝突は面倒な絵には成る。

 

ともかく、次週辺りから日曜日はお休みするかと思います、その際はご了承ください。

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