不足する感覚はある。
娼婦をゲーム機にやらせる、と言う話の是非だ。
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一応「売春への要求とは、自身に不足するモノの略奪にある」と言う時、なら標的は”最終的には特に女性である必要が無い”訳で、なら?と言うその先の話な訳だが。自分は今のところ、”そう言う渇望”はあんまり感じずには居る…こういう話は続けているし、それは理屈の具現としては期待される”それ”だ。価値は創れる、自身に不足するモノを見出し自分で創れば減らない、精神は維持出来る。そして自身としては、そう言うのは多く、ゲーム、PC、そう言うモノから得ている。
そうだろうか。
ともかく、参照し得るデータそれは自身の感覚しかない訳で、状況で言うと疑問も多い。何処か何か、吸い上げてる結果なのかも。それは常に疑問と不安としてはある。状況の、私見的に改善しない理由がそこにない、とは何処に対して言えるモノか。ともかく求めているのは「価値」だ、”そこ”に有る、人々の同意。それを創って換金する事で、経済は喪失を起こさずに発展し得る。
「金0.01gで100円」と言うそれに対して、どうも抽象的なそれは、間違い無い話。
そもそも?「娼婦をゲーム機に」やらせた、それが出来たとしても、それは罪悪感が薄れるだけで、根本的な改善に成っていないのかもしれない。吸われ始めると、キリが無くなる感じはある。自分の?動画のカウントが0のまま、という”それ”を維持する事を求められる様な。その個人は、自身以外を全て敵?とした略奪に晒される訳で…正直「ハリウッドシステム」と呼んでる方法論、意図的に頂点付近の欠落を創り、”それ”への不満を王の権威に向ける、その構造は正に、「王の権威」それを娼婦的な存在にする、というニュアンスでの利益性を期待した、訳で。”それ”であっても昭和は、少なくともアメリカは日本に対して、劣勢の立場に立たされていた。
道理と言えば、そうだが。
何にせよ、皇室は当時、あまり良い精神状態には無かった…それは間違いない。
「ファミリーコンピュータ」は、今まで?のそれと、何か違いは有るのか。
今、ファミコンでゲームを創る、それの意味はほぼ、無い。そこに対して苦言、ダメ出し?それは如何なる価値を投入しようと”許容せねばならない”否定だ、そしてその都度、それは娼婦の様な「対価」を支払わせられる。それであっても?それは或いは人間並みの価値を形成した、そんなハードではある、そしてまだ使える。吸われて行く”それ”が、娼婦的な要求を満たすなら、既存の「今まで通り」な社会に必要な分くらいは、”ここ”を維持する事で、捻出できるのではあるまいか?
もちろん、今後はやんわりと、改善していく必要はあるのだけど。
世界の”外”とは今、何処に有る物か。
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