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あげちうのブロマガ

誰が為に鐘の音は響く

根本的な解決には成ってない、のだろう。

そこから吸える、と解ったら何処までも、だ、限度無しの要求がある。
ファミコンの終息、それも結局は、その果ての話、だったかもしれない。

「勝手に店を開いてそれが流行って何が悪いんだ?」

その夢に対して、自分も否定出来ない感覚は残る。

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勝手を許す、という事は、逆に何処かで勝手が消費される、そう言う意味ではある。そのしわ寄せをどこで引き受けるか?と言う、それは結局は社会的な弱者、”そこ”へ集中するのだ、その先に娼婦が有って、その先にその理不尽な死がある。

そう言うのを理解した上で、彼らのその要求に応じる事は出来ない訳だが。その先はでも、標的が彼ら自身へ向いて行く、貸した金も回収できないまま、彼らもまた潰えていく訳だ。


何処までやっても限度が無いなら、むしろバッサリ「ダメです」と切り捨てた方がよほど良心的かもしれないしかし、ともかく”ここ”でダメなら余所へ行く、のがその衝動の問題でもある。”ここ”で抑止出来ないなら?被害はあちこちへ広がる訳だ、収拾がつかなくなる?

そう言う様が、今の新型コロナウイルスの猛威、その絵かもしれない。


ミャンマーの騒乱も、漸くか、人死にの報道は治まってきた。人口5000万人規模の国家、そのクーデター、その際に発生した犠牲が1000人以下、それで沈静化していく、のは、比率的には大成功の部類、かもしれない、0.001%の犠牲で済んだ訳だ。天安門事件に比べたら、その犠牲者の少なさは特筆に値する。

か?

今の自身の提言してる”雅”市場、「大賀さん」紛争解決機構が結論で足場にする”それ”は、でも、0.02%以下の不満は無視して良い、結論ではそう言う規約に成っている。「このシステムに対して99.98%以上の否定が発生したら破棄される」その記載があるからだが。しかしミャンマーで言えば、その「無視して良い」%とは、一万人規模である。その不満は無視して良い訳だ、一万人と言う、不意にそこに有る、具体的な数値。

それが結局は「なんで俺の思い通りに成らないんだ!」でしかないにしろ、そこには人命がある。

”そう言うモノ”を、立場か流れとは言え個人で構築した、その是非はちょっと考えたりはするのだが。

信仰が試される、気はする。その「大賀さん」の決定とは、ミャンマーのクーデターの様に、一般的な感情論では少し疑問か否定の重い、そう言う結果を示すのだ。それが人の倫理を超えた完全さを結論では示すにせよ、不満はある。

今後が、そう言う世界である?その是非と、暗雲。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im8013511
https://publicdomainq.net/girl-flower-umbrella-0054680/

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