自分も手塚治虫氏の作品を全て読んだわけではもちろん、ない。
つまんだ程度から、ともかく知っている範囲の中には、問題作、というのも結構、多い。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力
「そうだね日本じゃ畳の上に土足は良くない」問題は多分そこじゃない
ちょっと話題に成っている「ブラックジャック実写化」、ドクターキリコが女性に成っている、という話。手塚プロダクションの方では「お好きにどうぞ」と言うスタンス、単に不安なのは「邦画業界の技術」話題性優先で内容は二の次、に見えない事も無い…その現状ではある訳だが。色々な意図がある、ともかく放送は決まっている。そして。
ダメか?というと不意にか、そう言う訳でも、無い。
ともかく「性差」の問題は深刻で、原初のイデオロギーの対立、その要因でさえある、訳だが。作中のエピソードでも残って居る物はある、「女性とは何か?」ではあり。公開された情報の多くは隠蔽か改竄かされている、意図によって作者の意向は抑制されている、それは普通の話かもしれない。その時、そのエピソードは一体?ではある。
漫画にしろ「利益性が見込めない」時、違う需要を模索せねば成らない、場合はある訳で。実は過去の方がそう言うのが強かった、可能性は高くその時。多く歪んだ意図によるモノ、そう言うのは有るのかも。
その中で、少し残って居る話はある。
BJは過去に、かなり親密に成った女性との別れがある、「性別が変わってしまった」事による結果、ではあり。研究員時代かの彼と恋仲に成っていた女性はしかし、その後に病を発症、命を助ける為には、乳房と子宮を切除する必要があった。その時、劇中でその女性は「女では無くなってしまう」事が問題?にされた。二人はその時、心を通わせつつもBJは彼女を執刀し、彼女はその後、男になって、彼とは別れる事になる。
その劇中でも、微妙な絵はある。その後”彼”の方から、手を振わせつつもBJへ会えないか、電話をしているのだ。
そのエピソードだけでも、この時「気持ち」それは女性のままだ、という…そんな感覚はある訳だが。
一応不意にか、”これ”をドクターキリコにしたら。一つの医療に関するテーマは現れては、来る。
”彼”はその後か、ドクターキリコになる、訳だ。そして、良くも悪くもBJとは対立していく事になった。
何故か?というと、「生きていても辛いだけなら」ではある、原作でのドクターキリコのスタンスもそれだった、気はする。乳房と子宮を失った事で、愛すべき存在との「未来」は消えた、という価値観ではある、或いは求められる希望?そう言うのを叶える事も出来ない状態。結局、”彼”は意識的には女性のまま、な訳だ。そして、それ故の絶望とその先に、医者としてその安楽死を優先する感覚、それは芽生えた、と思えば?テーマ的には繋がりがある。
何とか延命を、治療を!目指すBJの前に、”彼”は「事実としての」彼の限度、未達、それとして現れる、訳で。
という話であれば?それはドクターキリコを女性化する事に、意味はある。
展開的には過去のエピソードを交えつつ、二人は「生かすべき」「いや死なせるべき」の狭間で対立し、結論的には最後、或いは共に協力しつつ執刀、その難しい患者を何とか治しつつも、最後は別れてオチ、という感じだと一応、作品としては纏まったモノ、には思う。医者の難しさ、というのは非常に良く出る可能性はまああり、最後に「現実は、漫画の様には行かないね」と、ドクターキリコに苦笑させると良い感じ、ではある訳だが。それでもBJは前に進む訳だ、医者としての矜持と共に。
でしかし、実際に今回の現場は何を意図してドクターキリコを女性化した物か、まあちょっと不安しかない。
ネットフリックスでの「アトラス」と言う新作映画が、それなりに面白い出来、ではある。色々な言い方として「SFアクションエンタメ、それはジャンルであってテーマとは言いがたいのでは」的な事は思うが些細ではある。ともかく古くは「ガンヘッド」でもあった、死を恐れない機械と人間との共闘により事態は打開される、という奴。アートスケール的には80点前後、十二分に名作だが…それでも、深刻な「否定」があると言えば、そう。ロボットがタイタンフォールのタイタンに似てる、故にか描写に独自性が無い、は失点だが悪くはない。
以前と異なり現状、この方向性での「面白い作品」を描けない、訳じゃないのだ。今までは深刻な”否定”が有った、今は違う…と思うと、BJこれもまあ、意外と解らない話ではある。
「紛争解決機構の決定を覆す事は出来なかった」と言う、結果は出たのか、或いは。