「作者を尊重する」事は大事だ、とは思うしかし。
確かにか、それ以上に「神」大衆、それは全ての作者として尊重されうるもの、ではある。
色々と、状況か意識か、ちょっと感覚が尖ってしまう様な気には、成る。ガンダムゲームの幾つか、それに対して「このゲーム、ガンダムである必要性って有る?」それは言っちゃいけないと解っていても、つい出る。アーマード・コアの新作がプレビューされているから?そう言うのもあるのかもしれない。今回のそれは中々に「期待されるロボット兵器」を描いてる感じで、その辺も全体の空気としては影響が重いのかも。
今まで、微妙に頭を出せないコンテンツ、だった感はあって。知名度は有っても人気は、みたいなのが公然と語られるそれは、今回は相応の同意と共に、殺伐とした世界を飛んでいく感じには成っている。
MMDでも、かなり固執する人々が居る、そんなコンテンツではあり。今まで押し殺されていた何かが解放された、そう言うのは、有るのかもしれない。
是非はある、古い平成の悪癖に近いモノ、それが無形の邪鬼として、少し顕現しているのかも。
「伝説巨人イデオン」も、「強殖装甲ガイバー」も、不意にある「似たようなコンテンツ」だとは言えるのだろうか。期待の様なモノはあってもその先は奈落に墜ちていく、のが「納得」に成ってしまう感じの。今まで、それはそれで納得に成っていたモノだった、が。打開するべきなら打開するべきだった,のか、それは「それら」にまで、不意に意識は向いてしまう。
「伝説巨人イデオン」リテイクネタ。
地球で発見された「巨人」はイデオンと命名され駆動まで整備されるが、同時に「バックフラン」と名乗る外宇宙の脅威、その襲来を招く。イデオンは厄災の源だ、それは破壊せねば成らないし、それを起動した地球人類は危険なので支配せねば成らない。かくして始まる戦いはしかし、やがてバックフランの窮状と共に変化していく。”彼ら”の発展の源だった「人工太陽」は今、滅びつつあった。イデオンは”それ”を開発した人々が、迫害かの末に残したモノだった。人工太陽を護らんとする意識の壁を前に、イデオンは人工太陽への突入を行い、紆余曲折の末に人工太陽を「治す」事には成功、戦乱は収束、停戦へと至る。
「強殖装甲ガイバー」エンディングネタ。
実際には「外宇宙の超文明」それは、「ギガンティック・ドーン」と言うパワーによって、地球人として帰化していた。それは現実そのものを改変し得るパワーで、クロノスはそれを確保し、その起動を目指している。しかし実際には”それ”を避ける為に超文明は自身らの技術を捨て地球人と成っていた、のだ。その意識は人類が再びの「間違った可能性」それへ至るのを否定していた。Gユニットを装着し得る存在が、それを成長させる事で発露する「ギガンティック」によって制御されるギガンティックドーンを巡っての攻防戦が始まり、何とか主人公は”その”中枢へ到達する事に成功する。そこで主人公は事態の収束を望み、状況は「主人公がGユニットを拾う直前」までさかのぼる事になる。その時、そこにもうクロノスもGユニットも無かった。それを覚えているのは、ギガンティックを使用した主人公だけだった。
「面白い?」と問われると、不意に疑問ではある。この感覚はしかし、「宇宙戦艦ヤマト」のリテイクモノがああなっていく、その原理みたいな物でもある。主観的には戦乱!脅威!新兵器!を描く事を優先する結果、「レースで車が華麗にコーナーをクリアしていく」事よりも、「車がコーナーを曲がり切れず盛大にクラッシュする」それを求めちゃう、感じに似ている。適当の「限度」を前に止めてしまうそれは、1%未満と言っても失望、それはある。
コンテンツの発展は、経済を底上げするのだが。
その先にある「答え」とは、万人の求めるそれだろうか。