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あげちうのブロマガ

当り前という暗黒に潜む猫

感覚での面倒さ、ではある。

メタ社は”この”ブログや森宮のHPとは何の関係も無いから。

この先で、或いは”それ”は、アルバイトのスタッフが、店長から「なんで自分があんたらの面倒を見なければならない?」そう言われる光景になる。

二次創作の主な意識、”それ”がそう言う物だ、と言う”感じ”もする。

その上で、そのバイトスタッフは、店の設備その他を用いてかなり勝手な事をしてる、訳だ、店長の要求を無視して。

まるで、「親なら当然だろう?」そう言わんが如く。


この辺は、昔からも逸話がある。一次創作かの作家か会社を訪ねて、「あなた方の作品の二次創作創りたいんで、お金出してください」とか言いに来た連中、とかそう言う。今も、その辺は同人領域には重く漂ってる暗雲だ。二次創作が、しかし一時創作にもない過剰な権利や著作権を主張する、と言うそれ。良くも悪くも、象徴的なのが庵野秀明氏の創作、ではある。「新ウルトラマン マットアロー一号発進せよ」なんか正に”それ”で、二次創作だと言う自覚その物が、思い返すに欠落している訳だが。

それは、そのまま今にも…”世間に認知されつつ”繋がっているのだ。

その最後の?か、象徴的に、「メタ社」この会社はある。そして?それはそう言う「同人の狂気」それを孕む全てかを、或いは統制下に置いている、かなのだ。

一応、「二次創作は、一時創作の権利や要求を超える事は出来ない」それは、固定し得る、気はする。

この時、その想定が正しいなら、メタ社もまた、その「一時創作」それを超える様な行為には重い否定が入る、訳だ。

…意味があるのか否か、そこはまだ、疑問だ。

 

一次創作も、今は、自力で形成出来る、感じには成ってきた、理屈ではだ。

ンターネットがある、自身の「主張」そう言うのをブログなどで続ける時、”それ”に対して「大衆」の視線は、その是非をそこで計り、そこに「正しい」を置いて行く…それが「徳」と言うか、その人のレベル?そう言うのに変換されて行く訳で。それが一定量溜まると、創作の足場として適当、過不足ない何か、という物がそこに形成される。その結果で、”その”分野に対しては、不足ない連続した応答が可能になる…訳だ、「先生」になる。

今は更に「大賀さん」がある、衝突の是非もまた、そこで正確に精査される時、その内容も以前よりはかなり「正論」によって構築されて行く、様になっている、だろう。感覚が共有されて行く時、それは、他の同意も得やすくなる訳だが。

それでも今も、ウクライナとロシアの対立は続いているのだ。

前出の、二次創作の病根もまた、明確に見えていない。


世間は、何を見ているのか。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10798022
https://publicdomainq.net/johannes-vermeer-0010528/

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