好きか嫌いか?の問題ではある。
ともかくドラクエ型RPGそれは、国民的テレビゲーム、その金字塔の一つであり。
”そこ”には大衆が居るのだ、そして、或いはその存続を願う時、信徒のすべき事。
…とは言え、同意出来るか否かは、やっぱり別問題としては残るかもしれない。
「こうで無ければダメなんです!」
を、強要するのはどうかと言う、そんな気分が失意の様なモノと共にはある。
その辺、自分もガンダムで言い出してるかもしれない部分だ、「現在のガンダムとは、認証機関であり紛争解決機構である」だから、ガンダムUCとかSEED、ああいうのは全然ダメだ。ガンプラが売れる=市場規模が広がる可能性が増える、という事だ。それは人々の生活にさえ直結する。ストーリーが面白くないと言うのは、”それ”への抵抗として最も懸念される部分だ、そこに注力しない、余計な思想で描く、そう言うのはいかがなものか?まして戦争を軽視するなど言語道断では。
「つまり、何故私の要求する通りにやらないのか?と言う事だ」
…というそれは、単なる暴君のそれでは。
”それ”を踏まえても、現実問題として、例えばメイド喫茶をファミレスの如く一般に普及させるべきか?ではあり。”それ”はどうやってもそれ以上に成らない、というラインはあるし、その拡大はその他へのストレスでもある。その「適当」を探して、妥協点を見出す、と言うのは結論で言えば古くは昭和天皇、その位のポジションで無ければ判断出来ない訳で。「これで良い」を、現場に要求する時、それにはかなり、理想とのズレは出る訳だが。
「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」が公開中だから、だろうか。「馬鹿なテロリストが暴走して潰される話のどこがそんなに良いのか?これが良くて、他のガンダムがダメと言う理由は納得出来ない」そう言う声は、”今まで”の、平成で「頑張ってきた」人々の、無視出来ない声として現れてしまう、というか。
不安は重くある、この話、本当に当初のプロット通りに終わるのだろうか。
現場の無理解?か民主主義、それに圧されて余計な展開に成ったりしないのか。
そして、”それ”を防ごうとする時、そこには何かの理不尽な制約、そう言うのが。
それが逆に、理解出来ない、という混沌から邪な竜を召喚したりする、訳で。
火事と喧嘩は江戸の華、とか苦笑気味に語られた事もあり。
騒乱はむしろ逆に、「紛争解決機構」或いはガンダムにとっては餌の様なモノ、だ。
結論で売れれば良い時、駄作?それはむしろ逆の効果に成ってきた、部分も実際には。
結果でしか判断できない時、その今の結果に貴方は同意しているのか?
邪、だろうか、或いは神の声、それは苦渋と共に耳元で、囁き続けている。
使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10082516
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10746787