あげちうのブロマガ

マスコミという虚悪の是非

現状、「マスコミ」意識される壁の言い分は受け入れがたい。

「主導権を持つのは我々でなければならないんだ!」それは、単なる暴君の主張だ。


本日のダイス
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黒:1,5:6
同値 振り直し
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黒7 5223


”それ”が、果たして悪の組織に対する仮面ライダーか、それとも逆かは混沌とはしている。

どっちにしろ仮面ライダー、というコンテンツの或いは面倒な部分で、マクロでは”独裁者の容認”でさえある訳で。何を持って仮面ライダーとするのか?も、正直明確なテーマが無く、近年と言うか、G3システムが一番仮面ライダーっぽいとかそういう主観も正直正論を持ってたりはする。定義は出来る、しかし逆に否定感も、ある。

大いなる厄災の被害者の中から、仮面ライダーはその力と共に現れるのだ。

という定義は、今もまあ「自由」と言う、石ノ森章太郎氏の理念かの中にも恐らくは、無い。

結局は、結果でしか解らない部分はある。売れれば正義、ではあり。その時、良くも悪くも「シン仮面ライダー」その存在は今、既存の仮面ライダーに対して何かの揺さぶりはしている…そういうのもあるのかもしれない。庵野秀明氏という、ちょっと特殊な監督の意向、その先の事象だ。仮面ライダーへの定義、そこに踏み込みつつはある。

気はする。

良くも悪くも、結果論としては悪くない。”負け組の否定”それが、何かの理念ではある。社会的に負け、喰われていく…そう言う事例を否定し打開せねばならない。”それ”に対して何かの特権は協力し、それを止める術もない、という状況はある。そして、そう言う事象に対してマスコミが今、微妙に否定感を向けている、というのも対立の現状ではある訳だが。

ともかく「仮面ライダー」が、何かの独裁性?作家性、そう言うのを主張しない時、マスコミの道理も大分、ほぼその理由を失う雰囲気は、ある。彼らにしろ、衝動か特権意識の現れでしか無いのかもしれない。「我々は特別なんだ!」そういう、それを喪失する事に重い拒絶があり、或いは庵野秀明氏が「特別」ではなくなる時?彼らにとっては防壁には成らなくなってしまった、そう言うのは有るのだろうか。

特権の存在が、”彼ら”の横暴の原理にはなる。

故にか今、「大賀さん」その決定に逆らうのもまた、”彼ら”だったりするのだが。ただその主張が「我々は特別なんだ!」と言うそれでは、それは仮面ライダーが倒すべき敵でしかなく、そしてその帰結もまた、劇中の道理でしかない、だろう。

良くも悪くも、「大賀さん」その決定にはまだ、道理はある。

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