理解での「問題は無い」は、単に多く「出来る事は無い」だったりは、する。
給与は18万円、しかし会社の業績は下がっている。社長には逆らい難い。失職は危険だ。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力、翻訳して出力
枯れた瞳で自分を見つつ、彼女はそれでも、祈りの場へ向かう。
という事は、現状の悲痛はまだ続く訳だ(*'▽')。
”この”消えない危機感は、以前なら「他の仕事を」という選択肢があった筈だが今は…微妙に消えている、気はする。転職しての好転が想像できない、感覚が…少なからずある、かも。年齢的な問題もあるだろう、或いは、”理解”のその方が大きいかもしれない。「切り捨てのある社会は発展しない」時、自分がその切り捨て領域に居たら?どこに行ってもそこは、”そう言う場所”なのでは。
緩やかに磨り潰されていく、そこはそんな環境ではある。
当然の様に、「面白い」作品それは、その切り捨て領域を否定する、作品ではある。侵略者に立ち向かい撃退する!のが主な約束事としてあって。”理解”では、「漫画だから」売れる物を創ろうとしたらしょうがないだろう?という制作側の感覚は、多くスポンサー的には悪夢の具現でしかなく。「切り捨て領域を創っている」自覚は上に行くほどに深刻だ、そして分岐し、残念だが多くは「しょうがない」で、その領域は捨てられたままになる、が。もちろんか、「面白い」作品は”それ”を否定し糾弾、ロケットパンチの標的にしてくる。
面白くねぇんだよ!!
と、成っちゃうと…まあ、スポンサーに逆らえない作品は「なんで?」と、そう言う感じになる、それはまあ、絵として。
期待される施政者としてはむしろ、自分を悪役にするぐらいでちょうどいい、のだが。ただ本当に、”その”際には、「自分はそんな事はしていない」その断言か、事実が必要ではあり。「なんでもっと”面白く”作らないのか?」そこには深刻な、施政者側の現状が有ったりは、する。
漫画ですけどね、あの会社の社長は多額のお金を愛人経由でマネロンして、プールさせてるんですよね、そろそろヤバいんで、計画倒産考えてるらしいですよ。
妙なリアリティを追及する?奴は何か、更にこんなデマさえ構想して「面白い」とか描き始める、それは深刻な問題児である、出来れば要らない。
良くも悪くも、昭和をリアルタイムで生きた世代は、それだけである程度の幸運はあった、のかもしれない。少なくとも勧善懲悪その具現かを、基本的には疑わずに見ていた。うっすらとは感じたが、スターウォーズの銀河皇帝を「天皇陛下の比喩」とか考える事は少なかった、単なるテンプレの悪役でしかなく。民衆が苦闘の末に邪悪な独裁者を倒す!そのカタルシスを止める奴は基本的には居なかった、”それ”は描いて良い作品だった、のだが今は、ではある。
…もっとも、似たような作品は似たような作品、という評価にしか成らなかった、のも現実なのだが。
マジンガーZはウケたがグレートマジンガーはウケ無かった、この狭間に有る溝は、今も、ではある。
昭和への望郷、だろうか。昭和かの作品リメイクは続いている。ただそのどれもが、或いは微妙な評価、という現実もまあ、奇妙な深刻さを内包はしている。「なんで”普通”に創らないの?」昭和の普通を今に適用できない現実と、昭和のカタルシスを今に要求し得ない現状と、まあ色々ある訳だが。
ともかく今の施政者側は?かなり昭和期の勧善懲悪には否定感がある。
その頃のオタクが、サブカルチャーを甘く見ていた、というニュアンスももちろんか、ある。必要性だ意味だ、という話なんか考えていたら絵は描けない、それはそう。現場の多数決的に、グレートマジンガーで何故売れない?に憤慨が有ったのは確かで、しかし。それはオリジナルにしたら侵略行為でしかない、という事実は、今も或いは問題にされないまま…現場は気づくとかつての無法者に成っている、のだが。
正義か悪か、そう言う問題は、平成ではより深刻化している…それは間違いないかも。
企画側の意向次第で、膨大な労苦が無意味に成る!事を憤るべきか、売れなかった作品に投じられた労苦を棄てた視聴者を否定するべきか。
もちろん今に至っても、人間は自分の視野範囲しか考慮の対象にはしない。
自分の現状を良くする事が、その外を悪化させるとしても、だ。