スペースインベーダーの悪魔、かもしれない。
「頑張れば出来る」硫黄島の決戦さえもしのぐ事は。
「つまり、朝鮮を復活させる事も出来るという事ですね?」
に、なっちゃったのかはちょっと解らない、可能性の一つ。ただ、今までの経緯を見ると思うに、現状は「達成」それに対して異様な否定感がある、それは感じる。視聴者らの「こうなってほしい」を、悉く裏切るという方向でしか作品が書けてない、雰囲気は不意に重い。何故か?の根っこに、「アルカディア」その失敗はあるのかも。
誰も助けてくれなかった。
昭和天皇さえも。
ともかく解っている事は、それは失敗した、という事だ。結果そこに、何かの重い物理的な否定、それが発生している?昭和天皇にしたら言い掛かりも甚だしいだろうか、国を護るという時、他に助けがあると思うのか?しかし、朝鮮という国の精神的基幹か、「豚に産まれたら豚である」それは、その物言いに重く否定を持つ、天皇制もそれに対しては同意せざるを得ない部分を持ち、そこは混沌となっていて。彼らは”そこ”で重く世界を呪う事になった、というのはまあある。
その背を押したのに、実際は「スペースインベーダー」その存在はあったろうか・・・そこは謎。昭和天皇は「無理だった」その結果でよかったが、現場で「頑張れば出来た」それを入れてしまった。当時既に、「ゲーム性では売り物にならない」それは、実感されていた部分は有ったのだろうか。その時、インベーダーゲームは相反する何かを持つ、或いは口裂け女の様な妖怪?そういう何かに成っていた・・・そういうのに、憑りつかれたかも。
それは何故か、「アルカディア」そのハードに、もしくは昭和天皇も諦めたそれに、奇妙な執着を向ける様になった?
そして或いは最後に言う訳だ、「何もかも嘘じゃないか!」と。
頑張ってもどうにもならないしゲームは金にならないし一部の人々しかヒットはしないしつまり支配するものとされるものは最初から決まっているのだ頑張ればとか努力すればなんて偽りだつまり朝鮮は正しいが滅んでしまったそれはおかしい。
世の中は何もかも間違っている。
静かにか、文鮮明氏は「発狂」した、そういうのは、多分。
その結果としてある現状に対して、しかし「達成」成功、それに重い否定感がある、というのはやっぱり、起点になった「アルカディアの失敗」それに、何かの固執がある、という事かもしれない訳だ。当時、いや今も、だ。「ゲーム性」それは売り物にならない、としたら。「コンピューターゲーム」それは、実際には単なる虚構の様なモノに過ぎないのでは有るまいか。頑張ればどうにかなる、なんて世迷言だ、それに対して人々は金を払っているのか?それはおかしい。
実際には「凄い難しい」だけで、確かに出来ない事は無い、かもしれない。その難しい事に挑むリスクとコストを前にして、先に進むのは愚かだという正論があるだけで。しかし。
「つまり私の努力が足らなかったという事か?」か
「つまり私は馬鹿でしかないという事か?」は、ちょっと解らない。
「アルカディアでも商業的に成功する事は出来た」という結果がもし出れば、それはこの混沌に一石を投じる事には…なるのだろうか。昭和天皇ではない存在によってそれが具現化し得る時、ここにある呪い、それは根拠を失うのか、或いは。
「朝鮮」という国に起きたモノ、それは一体。