戦略?上、問題ある方向性か?だ。
ただそれは、大事な前提あっての話だが。
「サイバードシティ」現実の環境を抽象化した、と言う縮図的な街を仮想現実に創り、現実の問題をまず”そこ”に吸い上げて、現実の騒乱の中和、打開、それを目指そう、と言う企画を、かなり前には立てている。実際には、自身が想定する「かむろぎ」その流通では具現化させている、のかもしれない。結局は、(敵が出る、としても)大規模なショッピングモールの様な環境ではあり…相応の収益も期待出来ている?と言う時。
”これ”をメタ社がやろう、と言うそれは、もちろん今の状況では二次創作である。
別に認めた事は無い、筈だが。
今のメタ社に思う懸念は”これ”で、元ネタとは全く何の関連も無いが、「似ている」似せている、そこを軸にして、その先を客に想起させる”だけ”で…実際には本人らは何の責任も対策も持ってない、感じがある。それでいて?「これは我々が始めたのだ!」と、その場その物の権利まで主張しよう、そう言う雰囲気も、重くある。
しかし、”それ”に対して世界の企業かの多くも、何故か乗っていく現実は有る訳で。
メタ社が”これ”を必要?とする理由は解る。「サイバードシティ」が期待されるモノで有る時?”そこ”の住人である、と言う事がそのまま、「facebook」の会員である、と言うニュアンスなら、それは「なんで?」に、返答が出来る訳だ。その時、Fecebookにページを持っている、と言う事には意味が出るだろう、そこに居ると言う事は、現実への何らかの貢献がある、という事でさえある、それは自身の必要性その他に利益を与えてくれる筈だ。
それはでも、「かむろぎ」のアイディア?だけど。
食い下がってくる感覚が、最近も不意にあって。二次創作の、或いはパクリの著作権その主張、だ。現状では、昔の様な物言いは出来なくなっては居る、今はもう「王の権威」それは居ないから、だ。特例、良くも悪くもそれには、”道理”が無くなりつつある。万人に、平等かつ公平な権利と待遇を提供する。その時、アイディアの著作権であっても”全て”に対して同じ条件が適用される。盗作は、何処まで行っても盗作でしかない。
一次創作、その立場の強みに関しての「理不尽」は、しかし相手の「理不尽」で書き消える感じで、今はあまり考慮する必要が薄れた。ミッキーマウス程に知名度のあるキャラなら二次創作でも許される筈だ!は、一般常識として「それは無い」が。共産圏、だろうか、そっちでは、こういう感覚は奇妙に薄いモノとしてはある。皇帝創作、それをまだ、”彼ら”は追及しようとしている…平成と言う時代の産んだ、或いは悪魔の様な?
それは、そう言う物として、でも、ウクライナを支援しているのだろうか。
正義は、何処。
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