色々考えるが、結局は「信仰」その問題かもしれない。
「貴方は神を信じますか?」の、神とは何?ではある。
石巻市等で、再びの強震、震度6強とは、過去の東日本大震災を彷彿させるに十分だが…今の所は幸いと言うべきか、人的被害は多くない、印象。とは言え、70代の男性がショック死している、と言う報道もあり、過去の記憶のフラッシュバック、的な、そう言うのは重い脅威としてはまだ残る、と言うべきか。
とは言え、まあなんでここだけ、こんな事が続くのか、それはちょっと思う。
どうしてもそう言う答えの出ない問いに対しては、「神様なんで?」は、つい思うし。ともかく現場の人々こそが問う話だろうが、或いは返答は「自然災害に文句言ってもしょうがない」で終わり、に成る訳だが。とは言え、積み上がったジェンカの一本を引き抜いたら全部崩れた、と言う事例は現実として有る、そう言う物で無いと言う保証、それは何処にもない…自身の思想的には。
何か、この地区独特の感覚、そう言うのが有るのだろうか。
そう言うのが、「神」の逆鱗に触れたりしている、のだろうか?
ともかく東日本大震災の頃にしろ、当時から自分はまあ、社会的には否定された境遇には有った訳で。特に確かに、東日本大震災の頃のストレスと言うかはピークに近く、自分も洒落に成ってない、社会的なプレッシャー、だろうか、そう言うのは重く辛い感じは有った。だから、だろうか。当時だ、「機動戦騎ガンダムストライカー」という企画を、不意に描いたりはしている。破滅的大災害?で絶滅しかけた人々が、逃げながらその原因を探す、というそれはでも、奇妙にその後、現実かの様な有様を前にする事には成った。
ともかくしかし、自分はまあ、何とか今も、問題を多々抱えつつ、居る訳だが。
何にしろ、当時も、「社会が大賀さんの決定に逆らっている」表現すれば”そう言う感覚”は強くあった訳で。当時の”それ”は「その帰結」としての事例だ、と言うのは割と安定した理解ではある。そして今、同じ様な場所でまた災害?と言うと、まあ結局、何かは同じ場所から今も、「大賀さん」その決定に従う、という事に、重い否定が有るのではあるまいか、そう言う風にも、少し想う。
風土の問題、だろうか。
ウクライナも、或いは朝鮮半島も、常に外圧の脅威、というそれに屈してきた、そんな環境ではある。或いはそんな環境だった朝鮮で育ったろう「朝鮮王朝の末裔」その思想そう言うのは、神を否定し、むしろ”それ”を制御する、そこにスキルを持っている…そう言う現実はある。石巻市とか、東北の方が、そんなに経済的に発展してた、という歴史はまあ、薄い。その時、そこにはやっぱり、「豚に産まれたら豚のままだ」そう言う感覚と、反動は、重く残っているのだろうか?
神を信仰しても何の意味も無かった、そう言う歴史がある。
それは、でも因果の応報なのだろうか?
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