ともかく解った事は、小説を書く上で必要なのは客観的把握とそして、その描写力、ではある。
「写真を使え」と言う、その写真が使えない時どうするか?それは不意に深刻な議題。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
実はよく当ててる、とも言える
ちょっと気の迷いか、微妙なオーダーか、「異世界で無双するはずが鮫に追い掛けられてます」改め「ナオヤ戦記 ~奈落の巨顎~」を書き始めた、のは良いがしかし。色々問題?はやっぱり出てきた、この後AI絵に描かせ続ける、事の逆のコストと「無意味」と、「ダークネスダンジョン・ワールド」裏側で展開してるかもしれないそう言う世界観との、ちょっとした異相とその後。実際にはどんな神が設定され魔力の定理が敷かれてるか、ちょっと見えないここに、作者(企画原案者)だからって踏み込むのは、大分面倒な事態を産みかねない。
状況としては知恵を少し得た、という…この位で抑えていた方が良い、感じはする。
ともかく、「一般でのコミニュケーションで、多くの人々にとって大事なのは言葉での状況説明である」時。小説と言うのは?”それ”での様々なシチュエーションを多く作ってくれる、という現場的価値はある。現場的にはやっぱり、”その”描写力、そう言うのがまず第一の価値には成る、訳だ。その方法論は問わない、自分が説明すべき情景を文字だけで目的の相手に伝えられればそれでいい。もちろんそれが、広域であればあるほど良い訳だが、多様化した現状、ターゲットを絞っても問題無いのかも。
「長身の、というには少し巨大すぎるだろう、うっかりすれば屋根の雨どいに頭をぶつけかねない様な、そんな見上げる様な巨大なスタイルのいい女性が。白いワンピースを着て、面白そうな笑みを浮かべつつ、少年を覗きこんでいた」と書いた方が良いか、「そこに現れた異様に巨大な女性は、「ぽぽぽ・・・」と呟きつつ、少年を覗きこんだ」と書いた方が良いか?ではある。伝わればどっちでもいい訳だし、両方でももちろん良い、ともかく後者の場合、「八尺様」と言う妖怪のイメージが周知されていないと、伝わらない人は出る、だろう。
ともかく不意に今、”こういう技能”が不足している?のかも、そんな気はした。
本を読まなくなった、というのは確かだ、とは思う。その一因として「伝わっていない」或いは「需要が違う」それは、実はあるのかもしれない。実際に求めているのは「伝わる表現の一例」ではある?汎用的な「イメージ」を如何に文字で伝えるか?という、その知恵を求めてる訳だがその意味で、今は漫画やテレビに依存してしまった時、本と言う物に要求した一つを作者側も書かなくなった(詳しくは漫画を読んで、とか)そう言うのは有るのかもしれない、それでは意味がない。
最近、活版印刷が再び脚光を浴びている、という話もある。あの当時、文字は書けてもそんなに自由な表現は難しかった。表現力に乏しい、今で言えばテキストエディタの画面そのままで。逆に”それ”で何とかする術を、知恵を要求された訳だがしかし。小説を書く人々さえ、文字で描く意味、そう言うのを失いつつある、というのは現状の面倒な一端、だろうか。
「”普通の日本家屋”って、どんな?」
不意にか、少し知恵が足りてない自分が居る気は、した。