あげちうのブロマガ

養う立場のニート?

確かに今、シニア世代は後の世代に対して発言権はほぼ、完全に失っては居る。

ただ「お前天皇陛下の前でも同じ事言えるの?」それは、重い。

経済の回復に関して、彼らの方法論は全く効果を持たなかったのだ、単に(或いはダメだと解っていても)旧皇帝を担ぎ、異様な借金を創ってしまった、だけ(石原氏のした東京都での政策が象徴的だ)。旧皇帝の権力地盤の土台、今も、残照の様にか、或いは民進党を突き動かす原動力の様な、それはしかし。現状、経済的な回復を果たしつつある時、しかし何となく解っているのは、シニア世代の影響力が強い所ほど、そこは経済的な回復からは、遠い。

「評価が下がった」と言うべきか。

現状、社会を支えるのは?普通だ、「シニア世代の子供の世代」だ。そこに対して、シニア世代は要求出来なくなりつつ、ある。その要求に対して、対価を支払えない。”養ってもらう”立場に彼らは本来は下がった、わけで。後の世代の方法論は、シニア世代には殆ど理解出来ない物に成りつつあり、或いは「それはダメだ」そう言う危険な方法論でしかない。とにかく生き馬の目を抜く様な世間を生き延びるには、他者がどうなろうと構わず利益を奪わねばダメだ!他人と協調して、なんてやってたら直ぐに食い物にされるぞ!

…現実的に、中々反論もし難い。

建前と本音、理想と現実。確かに居るのだ、平気な顔で裏切る事の出来る存在、とは。旧皇帝は特に、そんなシニア世代の希望の星でさえあり。考えてみると、昭和のヒット作以外で、平成で、確かにヒットした物?それは…有ったろうか。「新世紀エヴァンゲリオン」以外に、微妙に記憶に残っていない、プレイステーションでさえ。「モンスターハンター」さえ、何となく今の体たらくに「さもありなん」的な。微妙に「…ヒット?」その、実感がない。グラディウスとかR-TYPEとか、昭和の頃のそれには、今に通じる確かな、続編が如何に微妙でも、「あれは面白かったよ」そう言う、納得する何かは有ったのだ。

その「新世紀エヴァンゲリオン」でさえ、今はもう、何だか影が薄くなった。平成とは…何だったのだろう。ともかく解っている事は、何故か「売れる物」利益性、それにはとにかく、縁遠い時代だった。それは今もまだ、奇妙な程根本的には…求められていない。

昭和の現実と、その残った負債、その発露か返済…だったのだろうか。現状の「あれは面白かったよ」それは、メディア的には微妙に影が薄く。旧皇帝は失脚した、”皇帝”は新しくなった筈だ…だから、今後はその辺、再注目されて行くのだろうか。それでも、シニア世代その存在は何となく重く。その否定的意向に、どうにも動きが鈍くは成る。旧皇帝はそんな隙間にまだ、何となく影響力を残していて。

「黄昏の狩人」その所有者、ともかく作者は「森宮」である。それは当然だ、他の誰でも無い。ただ何故か、今も”ここ”に割り込んでくる意識が何だか、ある。

想定では、”それ”が旧皇帝ではあって。

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