スッキリしない感覚は残る。
状況が悪化した、様な不安?も無い事も無い。
50代くらいの、エヴァンゲリオン世代にも、数多の不幸そう言うのはあり。その原理を語れば、平成の始まりに、「王の権威」それをユダヤ教の王が否定した所から、ではある。同意した、という過失は有るだろう、とは言え情報が開示されてなかった、と言うのも勿論ある。それは関係するか否か、画家を志した頃のヒットラーに対して、適切な「評価」を伝えられれば、彼はあそこまでの暴走をせずに済んだ、かもしれない。その憤りは、或いはユダヤ教徒の迫害として、当時の世界では道理として通ってしまったのかも。
この辺の因果は一旦、太平洋戦争の終結と共にリセットされてはいる、感じはする。日本は天皇を神とした、或いはエジプト王朝にも通じる”その”体制だった、”それ”に対してユダヤ教徒であるアインシュタインは原爆を発明し、それをアメリカは創り、使用し、結果で戦争は終わって。それにより日本に「王の権威」は渡り、世界は何故か、奇妙なグローバルスタンダードへと収まっていく。それは、ユダヤ教徒がエジプトから追い出される、”その前”の様な、そんな状態ではある?
考察はその後からで良い、そう言うのは有るだろうか。
ともかくユダヤ資本の旗手、ビル・ゲイツ氏は、民主主義的には定番の、残念な結果に成ってしまった…そう言うのは、因果の果てとして、何かの重い話としてはある。50代くらいの不幸、その”原因”であろう、そこに通じる成功者らが、その辺に全く何の過失も問われない?と言うのも、道理は通らない…そう言う視点は有る訳だが。
「大賀さん」その決定と言うのが”そう言う感じ”だと言う理解は有るのだけど、ともかく誰かが死んだ、病に成った、という訳じゃないだけ、それは良い結果、と言うべきなのだろうか。世界は何だか、より剣呑を高めては居る。結果、民主主義的な?神の救いを求める意識は「神」へと集中するその時、「神とは何か?」を問われる先に今、何が有るのか、ともかくか、それは今、ビルゲイツ氏の元には恐らくは、無い。
しかし、王を求める”それ”が「諦めた」感じも微妙に無いのが、暗雲の中にはある。
構築度の問題か、それともユダヤ教の執着?か。「この女性は居ない」創ったモノだ、と言う、その理解は、民主主義の否定には晒される訳だが。
「そうは思えない」”それ”は何時まで、この創作の女性を追うのだろう。そして何時まで、女性を生贄にし続けるのか。
誰か切り捨てを創れば、他の皆は幸せになる。
その理解が間違っていると言う感覚は、人間には出来ない現実がある…正義は勝ち、邪は滅ぶが世の常だ。100万人の中で反発する200人の集団は凶悪なテロリストでしかない。彼らが明確な反論をし得ない時?”それ”は処刑されてもやむを得ない、その理解は正義として有る。
80億人と言うその時、それは160万人にまで膨らむそれは、一つの小さな国でさえ有る。それを世界に仇成す邪悪として滅ぼして良いのか、しかし、それは全体の0.02%以下でしかないのだ。
物理と言うモノは、人間の理解とは少しズレた正義を語り続ける、そんな石板ではある。
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