ともかく吉事は有る。
「自分が良いと思えばそれで良い」
それは無い。
AviUtlが、使えません。
費用対効果が悪すぎます。
金銭的に多少の余裕が出た結果、以前にあった「紲星あかりの赤裸々トークショー」に声でも付けようか?と言う気分が多少盛り上がった…は良いけれど。
「と言う事は、やはりAviUtlを使わねばならないのか」
と言う事で、少し手を出してみたはいいがあかん。
・・・・。
最大の腰折れポイントは「x264」と言うMP4エンコーダが”導入できなかった”事にはある。この辺の問題は以前にPowerDirecterを使った頃にも感じたが、「自分にはどうにもならない」原因でブロックされる(出来る)部分があって、ともかく自分の環境では使えなくなる場合が、多々あった。昔から、だ。Delphiにしろ、コンパイラが吐き出すコードからして「特定の環境では動作を不安定にする」コード、或いは信号が混ざってしまうと言うかで、その環境では動いても?環境が変わると急に動かなくなり、そして当時もそうだがOSその物のアップデートが頻繁に行われ、”その都度様々に使えなくなる”訳で。ここにぶつかったら、もう踏み込むのは徒労でしかない。「美鶴さんの長い妄想」で有る、シーン切り替え時に妙に遅いそれは、そんな理不尽なブロックの結果ではある。まだ動くだけマシかもしれない、以前は起動さえしなかったのだ。
久々に切ない(-_-;)。
”MP4エンコーダが導入できない”だけなら機能的には?と言うと、まあ面倒だ。そして”その”環境で有るツールだけに、その先は「コンセプトに同意出来ない」理不尽の壁で止まる。ブラック企業肯定、と言うべきだろうか。古い時代への不満偏向、と言うべきだろうか。そして、その先に声と、何かの影が有る。”その”意識の先に、”何かの存在”があり、”これ”は、「それを動かさん」と言う執着の結果として有る訳だ。
やっぱり、中華思想の皇帝、それが大きかった時代の産物でしかない、感じ。
「王の権威」への、あまり好ましくない誤解がある。
”そこ”さえ動かせば不可能は可能になるのだ。
そして。
それがバカバカしい話である理解が、”この辺”にも「今は」有る。
前は無かった訳だ。そしてAviUtlを用いた動画の殆どが、その不可能へ挑んだ先兵な訳だ。
異様とも言えるコストの投入が行われた結果としてそこに有るのは「無理に決まってんでしょ」馬鹿なの?そんな、彼らの、彼ら自身への罵倒でしかない。出来てもおかしくなかったのだ、彼らの感覚では。現実がMMORPGの様な物なら、幾らでも変える事は出来る訳で。
自分の把握する病根は、要するに「アインシュタインとあげちう、どっちが偉い?」正しい?ここからでは有って。前者を正義とする時、それは難解と知的特権とそして、「核兵器の使用へ」と突き進む。それでも、社会的な一般論では”前者”だ。文化その他がアインシュタインを土台にする時、このツールもまた、その一つとしてここに有る訳だ。
わからん。
相対性理論も、帰結的にアインシュタインはうっかりしたら「私が神である」そう言わんとしていた、感覚さえ実はある。「王の権威」それはまあ、そう言う物?ではあるのだけど、それがやがてDOS/Vかに漂う「仮想現実を新たなる現実にしよう」的なベクトル、そこへ向いていると言うのも理解だ。宇宙を制御するCPUが何処かにあり、それを調整すれば、「一歩ごとに100円が発生する」そんな理不尽さえ具現化する筈であって。
それは無い(´・_・`)。
根っこにあるのは(0±0)、この構造?だと言う時、”これ”を制御する、と言う感覚には何かの実感的な虚言、そう言う気分はそして、「同意として」ある。「頭悪いんですか?」お前、自分が神様かなんかのつもりなんか?思い上がりと言う以前に、眼前に有る物理へ疑問を向ける、”それ”に何かの奇妙さがあって。
そして最大の問題は、”それ”を止められないまま、これだけのコストが投入された…、その現実ではある。
「中華思想の皇帝」それの影響を強く受けた「九尾の狐」極論化した何か、が多分あって。それは何かの無自覚と異様な堅牢さを持って、その妄想へと周囲を巻き込み突き進んだ訳だが。そこに結果としてあるのは「バカなの?」その実感と、そして積み上げた加害の山ではある。最終的には責任を取らされる、のだろうけど。”それ”があの、wowaka氏の様な結末としたら、何だか切なさしかない。
歌詞から感じる奇妙なトゲ?の理由ではある。
彼らは不可能へ挑み続けたのだ、命を賭してだ。
ともかくまあ、オールドタイプはWindowsムービーメーカーでも弄ってろってこったが。同時につまり、ボカロボイロは意味が無い、そんな話かもしれない。
改めてふと、瓦礫の中に居る。