「大衆は神である」と言う視線で見ると、自殺、それは大罪である。
しかしその時、「元凶」それの過失は”そこ”で止まってしまう事になる?
本日のダイス
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いやそれはおかしい。
「元凶」、自身の苛立ちをAV女優に向けて自殺させた、という”それ”は、相変わらず夢魔として残っては居る、訳だがしかし。ともかく「民尊主義」何が人々の為に正しい事か?という視点での考察では、「自殺」それは大罪として、ある。
民主主義は民尊主義に、理屈の上では勝てない。だが?民尊主義は「多数」を抱える民主主義を否定できない、主な「大衆」が居るのが”そこ”だからだ、が。その時、民主主義が民尊主義の「要求」に従えない時?残された対抗手段に「自殺」がある。”それ”を肯定されると、民尊主義は人々を護る為には、民主主義の要求を呑まねば成らなくなる。その時?世界は物理を無視した選択をする事になる訳だ、破滅的選択だとしても。故に、民尊主義は「自殺」それを全否定する事には、成る。
しかしとなると、「元凶」の起こした過失の最大の問題、それは「被害者が自殺している」と言う事で、つまり?過失は死んだAV女優の方に向いてしまう訳だ、だから、「元凶」を罰する事が出来ない?
どんな酷いAVか?はともかく、状況で考えても「出演への同意」それはしている、筈ではある。単に犠牲者の想定以上に”それ”が精神的に苦痛だっただけ、だ。強姦された人も、売春をしている人も、”それ”だけでの自殺はしてないっていう事例もあって。故に、この問題をひとまとめに考えると、どうも「元凶」への過失が問えない、が。しかし同じく民主主義、多数の意向それは、この元凶を許すつもりはほぼ、無い。
「罪は問われてないのに、自分が否定されるのはおかしい」
「元凶」には元凶なりの、そんな言い分がそこに出てしまう、事には。
要するにこの話、事例的には「2つの事件が一つとして扱われてる」事が問題で、本来は個別案件な訳だ?「死にたいと思うほどの苦痛を与えられた」事と、「苦痛に耐えられず自殺してしまった」事が、同一の事例として考えられているが…実際には前者と後者は別の問題であって。そう考えると?「元凶」それに問うのは単に、「出演者に埋めがたい精神的苦痛を与えた」と言う、そこには集中する事には成る。
そして「自殺した」と言う事は、その時点で、その”罰”は受けている、事には成る訳で、被害女性の過失?はそこで消えている、事には成る訳だ。問題にすべきは、「死にたいと思う様な苦痛を与えられた」そこだけ。
パワハラ、セクハラが問題視される現状でもある、「過失」それを問う事はこの時?これで出来るようには、成る?「元凶」それにとっての問題は、「何やってもうまく行かない」誰かがヒットする時、同じことを自分がやっても全否定される、理不尽だ、という事だが。それは「当たり前だ」と言う、そこでオチには成る。
軽犯罪の重過失、もそうだ、万引きを繰り返すと、次第に「評価」が理不尽に悪くなる。そういう見えない負債は存在し、それは「神」の視線の先で損失として、やがてダイレクトに現れる事には成る訳だが。過失がある存在はの過失を償わない限り、求める「評価」それを得る事は出来ない…これは物理的な事象でさえある。
ここで言える事としては、「通常のAV撮影は、犯罪行為である」今は、そう言う断言だろうか。相手に対価では埋めがたい苦痛を与える、それは犯罪である。
ちょっとだけ、進展という感じも、する。