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あげちうのブロマガ

書物の間違いと落書きの正論

環境が良くなっても、同じ問題はそこに有る。現状でも、問いは難しくなる。

定員200名に、採用資格を満たす300人が来た時、どうやって100人を切るのか?

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「神の姿を描きました」一部では信仰さえあるかもしれないがでも

 

意識は、”ここ”に固執してしまう。「他の会社は無いの?」有ってもそれは考慮に成らない、前提が違う。トロッコ問題みたいな話、ではある。「切り捨ては必ず出る」と言う理解の先にある話だ。文部科学省は、この状況の先に返答を持たない、或いは首相に丸投げしつつ、固執する。当面の問題は「応募の早い者順で」で打開?にはなる、しかし。この問いが聞きたい話はそこではない、切られた100人を受け入れる先は無いのだ。

82の法則とか?その辺を受け入れがたい意識、そう言うのは深刻に重い。

本来、何の為に大学に行く必要があるか?とは、将来的な「収入」そう言うのを安定させる為、だ。高学歴であれば?能力を要求される職場に優先的に採用される筈、である。その場の給与は高く、生活は安定する、筈である。「一番いい」選択以外が許されない時、視野の中にはそれから漏れた後、の光景が存在しない。

そしてそう言う固執の結果、自分の子供にその「漏れた結果」が現れる、事には成る訳で。

主義や主張は、人生の何処までも付いてくる話、ではあるようで。「大衆は神である」も、最後は「正義は勝つ」と言うその結果に固執する事にはなる。「一人でもか?」世界を敵に回しても?何時までも、事態は”それ”に陥ってしまうのは、流石に閉口する訳だが。

こう言う話はもちろんか、それだけ蓄積している混沌だ、とは言えるのだけど。

現在の理解では、「8割の有職者が、2割の失職者に仕事を提供して対価を払えば、失業者は消える」ので。失業者が出る、という危機感は少し違うモノとしてはある。要するに「上の方が”それ”を世間に要求してない」事が失職者を産んでいる理由、ではある。自分で「良いアイディアだ」と言うそれは、自分以外の職を求める人々に提供?した方が良い、訳だ、自分で創りたい衝動は我慢して、だ。しかし「そう言う物だ」的な理解はまあ、今もやっぱり最終的な同意?それは得られていない。

文部科学省が納得してないから、だ?

ともかく「天皇陛下さえ教育する立場」と言う深刻さに、少し固執してる現状ではある。そこは世間の一般認識に対して大きな影響力を持つ、訳だがそれが、失業者は出るし、それを救済出来ない、というテキストの”理解”に固執している、訳だ。確かにそうだ、8割の有職者が自分が欲しいモノを自分で創ってたら、2割は失職者のままである。当たり前、でさえある絵はしかし、文部科学省としても?その願いでさえある結果、むしろ”それ”を、自分のアイディアを自分で創る事を推奨し、実現への努力を要求してしまう、気がする。

「仕事をしてください」に対して、文部科学省でさえ否定が有る、訳だ。

状況から言ってもちょっと激高しちゃうくらいの「いやそれは」ではあるのだった。現状、体感的にもその言い分は否定されている?感じは強い、独裁性それへの欲求は深刻に重い。カルト的でさえある、自分で創ったモノが評価されない、利益に成らない、それはおかしい。なる場合もある、成る奴も居る、「不平等だ」自身で切り捨てという究極の不平等を具現化しつつ、最後はそんな物言いに固執してしまう、訳だが。

要求は出来る、82の法則、それを具現化するのが、文部科学省の仕事であるのでは?

ただその時、現場は反論しないにしろ、受け入れるか?は別問題ではある。

現状の不景気は、深刻な「人災」ではある。文化面の異常、歪み、その発露だ。問題はそれを、「大衆は神である」そう言う感覚は打開出来るのか?ではあり、現状はその最悪な状態、「一人対世間」に陥っている…可能性は深刻に重い訳だが。

ニートとは、何故問題か、ではある。

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