「一番良いオチ」を、目指すべきか否か。
それはでも、第三者的に言えばギャグでしかない。
主人公は、新米の婦人警官である。今は、赴任先の街に向かっていた。その街は多少治安が悪い、と言う話。期待と不安を抱きつつも、そこに着くまでの電車の中で、彼女は少し寝てしまい…夢を見ていた。彼女は赴任先で蔓延っていた麻薬取引の犯行現場に巻き込まれつつも、その組織を何とか壊滅させ、街の人々から一躍ヒーロー扱いされるのだった。という夢から醒めたその街は、奇妙な歓喜に包まれていた。着く少し前に、街を牛耳っていた暴力団のボスが心不全で亡くなった、らしい。同時に様々な悪事が判明、街は奇妙に浄化されていたのだ。
それが主人公が見ていた夢の結果だとは、もちろん誰にも解らない。
面白いか?と言うと、そこは、自分の主観的に言えば疑問である、それはギャグかなんかですか?だ。ただ、一応、特に「創造系」と定義する創作の方向性というかは…これが最善かもしれない。主人公以下、登場人物の誰も危険にさらされる事無く、元凶だけが消え、街には平和が戻った。そこに関与したかもしれないのは、”その”ゲームを遊んでいたか、その夢オチ漫画を読んでいたかの、読者達だけだ。
説明が出来ればそれはリアル、と言って良いのか、或いは。
夢を見ていただけで、状況は改善するか?と言うのはちょっと都合のいい話、ではあるまいか。ただ、創作の価値、それは何かの銃弾の様なニュアンスはある。以前に見た「面白い漫画」それは意識に塊として残り、”それ”はそれが必要な瞬間に消費される、それがそう言う結果では無い、とも言えない。彼女は何処かで、この種の問題を打開する物語を見ているのだ、それが、夢の中で展開され、自身に迫らんとした現実の問題を、その危機に陥る前に、打開した。
ちょっと都合良すぎませんか。
そのツッコミにこそ、やっぱり重い同意はある、とは思う。
その物語は、このツッコミに立ち向かわねばならない、訳だが。
ともかく「価値」それは、可能性ではなく、「同意の束」ではある。人々が”それ”を見る聞くして、「正しい」そう実感して始めてそこに+1される、”それ”が累積して、或いは巨大な岩を動かす様なパワー、そう言うのになる。絵とかの技術は、”それ”を任意に集めやすく、効果を期待するなら是非”高いスキル”を使いたい、派手なシーンに制作側が力を入れるのも、そこで動かせないなら意味がないからだが。ただ?必要なのは砲撃能力であり、接近戦では無い、と言うと?それは、時に「ちょっと違う」と言う評価を受けたりは、する。ただ、単純に高い技術を投入すれば良い、訳でもない。
ともかくそう言う効果、それとして具現性がある方が、もちろん「面白い」訳だが。
その可能性を否定するべきか否か、それは…まだ解らない。
それが最善である。
ただ、笑い話の様だ。
「紛争解決機構」それにしろ。
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